人型の魔族
「真白っ!アレンっ!!」
扉の方から、さっきの攻撃の音を聞きつけたのか、レミーユとオルフェンの声が飛んできた。
――ここで戦うのはまずい。
宿屋の一室で魔族とやり合えば、建物を壊すだけでなく、宿の客まで巻き込んでしまう。
「魔族だ!二人とも外で折り合おう!アレン、行くよ!」
僕はできるだけ頭を回転させ、大声で扉の向こうにいるレミーユとオルフェンに伝えると、アレンは驚いた目でこちらを見た。
「外って……ここから飛び降り――」
言わせるより早く、僕は彼の腕を掴んで窓へ走った。
魔族の赤い瞳が、僕らを追うように動く。
狙いは何だ。
何でこんな宿屋の一室まで入り込んできた?
「つかまって!」
窓を蹴って外へ飛び出した瞬間、夜風が全身を叩いた。
地面までの高さが迫る。反射で足元に魔力を叩きつける。
「風緩衝!」
僕たちの身体がふっと軽くなり、着地の衝撃は膝をつく程度で収まった。息を整える間もなく、頭上から気配が降ってくる。
――来た。
僕らを追うように、影が音もなく着地した。
今まで戦ってきた魔物と格が違う。
おそらく魔王と階級の近い魔族だ。
魔法で何発か魔族に攻撃を打ちながら、アレンと暗闇の中を走って距離をとる。
しかし、攻撃が効いている様子はない。
ーーーこいつ、魔法が効かない!
それがどういう意味を示すのか理解してゾッとする。
僕には手に負えないということだ。
それに、アレンは今武器を持っていない。
咄嗟に逃げたから部屋に置いてきてしまった。
どうしよう、どうしたら二人とも生きられる?
考えようにも敵は考える時間を与えず、後ろからひっきりなしに攻撃してくる。
走りながら飛んでくる攻撃を防いでいるのもずっとは保っていられない。
足が限界を迎えようとしたとき、敵に向かって鋭く走る人影があった。
「真白、アレン!下がれ!」
オルフェンだ。刃が魔族に向かって振り下ろされ、魔力の火花が飛び散る。
攻撃を真正面から受けた魔族は一瞬よろけ、すぐに立ち上がった。
夜風が二人の間を震わせる。
「……お前、魔王のしもべか」
オルフェンの声はいつもの軽さを失い、獣のように研ぎ澄まされていた。
魔族は返事をせず、口元だけを薄く吊り上げる。
赤い瞳は、オルフェンだけを見つめている。
オルフェンが剣を構える。刃が夜空を切る音が、やけに鋭く響いた。
「二人ともこっちよ」
いつのまにかそばに来ていたレミーユに僕とアレンは腕を引かれて茂みの中に隠れた。
――助かった。
「貪欲な王の使い。懐かしい匂い」
魔族が低く言った言葉に、アレンとレミーユがぴくりと反応する。
その額には一本の筋が立っていて嫌な予感がする。
「「っっっっっ!」」
「王を侮辱する気か!」
僕は慌てて彼らの口を押さえた。
ギリギリセーフ。
オルフェンが言ったことそっくりそのまま二人も言うつもりだっただろうが、
そんなことをすれば、隠れた意味がなくなってしまう。
「侮辱、いや、同情だ。呪いを宿した瞳だ」
魔族がカタコトで言葉を返す。
(喋れるのか……)
ていうか、呪いを宿した目ってどういうこと?
言葉に引っ掛かりを覚えたがオルフェンが飛び出してそれどころではなくなった。
剣と暗い魔力がぶつかり合い、火花が散る。短い間に幾度もの斬撃が交差する。
互角の戦いにオルフェンの強さを知っていても彼が敗れやしないかとハラハラする。
魔族は壊れた笑い方で挑発を続ける。
「呪いに犯されたお前、何も守れない。浅はかな人間」
「黙れっ!」
オルフェンの一閃。だが、魔族の反撃は速い。闇の刃が放たれ、オルフェンは弾かれるように宙に飛んだ。
「っ!」
空中で剣を両手で固く握り締め、オルフェンは魔力を収束させる。眼が鋭く光る。
光が炸裂した。剣が一閃し、地を裂く勢いで振り下ろされる。刃は魔族の腹部を貫き、深い傷を刻んだ。しかし同時に、魔族は腕を突き出し、黒い槍をオルフェンの胸へ叩き込む。
――轟音。爆発の閃光が辺りを包み込み、土煙が舞った。
二人の影が地面に崩れ落ちる。僕とアレンが駆け寄る。
「オルフェンさん!!」
魔族は胸から黒い血を滴らせ、笑いながら膝をついた。
「人間にしては、悪くなかった」
その囁きが最後の言葉となり、魔族は塵のように砕け、静かに消えていった。
「オルフェンさん、しっかり…!」
オルフェンさんの胸にはぽっかりと穴が空いていた。
まだ、意識があるのが奇跡だ。
レミーユが駆け寄り、祈りの光を注ぐ。僕も必死に回復の詠唱を続けた。しかし傷は深く、癒え切らない。
「やめるな!まだ間に合う!」
アレンが膝をつき、オルフェンの肩を抱える。オルフェンは弱く笑い、血のついた手でアレンの手をとった。
「泣くなよ。まだ、戦いは終わってないだろ」
その声はすぐに弱まり、アレンの手から指先が地面に落ちる。
レミーユの祈りの光がかすかに揺れて、やがて沈黙が落ちる。
冷たい風だけが通り過ぎる。
これは魔王討伐の旅だ。
仲間を失うことも、自分の命を失うかもしれないということも、覚悟していた。
覚悟していたのに、倒れたオルフェンの姿を見ても、頭は現実を拒む。
こんなの、違う。
だって、さっきまで生きていたのに。
時間がちぎれたみたいに、
さっきと今が繋がらない。
理解したくなくて、理解が追いつかなくて、胸の奥が冷たくなる。
あの魔族の言葉が「呪い」「王」「守れない」が頭の中をぐるぐる回る。
アレンは拳を震わせながら立ち上がる。
「俺はなんで、仲間を守ることもできないんだっ」
その背を見つめ、言葉が出ない僕。空がどこまでも灰色に沈んでいるようだった。
――そのとき、空気が激しく震えた。
風が急に止まり、灰色の雲が渦を巻く。耳鳴りのような低い唸りが広がり、砂がわずかに浮き上がる。何かが降りてくる。
目の前の空間が裂け、黒と金の光が交差する。そこから一人の男がゆっくりと現れた。漆黒の衣を纏い、背には巨大な影が揺れている。金色の瞳が、静かにこちらを見据えていた。
アレンが何か言いかけた瞬間、彼の身体がふっと崩れるように倒れた。レミーユも僕の隣で目を剥いて倒れていく。オルフェンの傍に寄せていた手も、力なく地に落ちた。
次々と仲間が倒れていく中で、なぜか僕だけが立っていられた。




