心の揺れ
昼過ぎ、僕たちは再び荷物をまとめ、次の目的地へ向かう準備をしていた。
食料や水を補充する。
村の様子を見渡せば、子供たちが自由に駆け回り、大人たちが談笑している。
昨日の静けさが嘘のように村の活気が少しずつ戻ってきていた。
「勇者様、最後にどうしてもお連れしたいところがあるのですが」
僕たちは村外れの小さな丘に案内される。
そこには小さく積まれた石があった。
村の人たちが失った子どものために、急ごしらえで作った祈りの場所だそうだ。
レミーユはそっと膝をついた。
「この子の魂が安らかでありますように」
その声は静かで、揺れる風の音に溶けるような優しさを帯びていた。
手のひらに淡い光が灯り、その光が小さな石積みにふわりと降り注ぐ。
アレンとオルフェンも無言で頭を下げる。
僕も二人の隣で手を合わせてそっと目を閉じた。
その子の名も、姿も知らない。
けれど、ここに確かに生きていたという事実に胸が締めつけられた。
助けられなかったことへの悔しさと、
もうこの子の未来がどこにもないという痛みが、静かに押し寄せてくる。
この子も、この子のことを思い悲しむ人たちも
どうか、苦しみが少しでも軽くなりますように
風がそっと頬を撫で、その冷たさが現実を思い出させる。
気づけば、アレンたち三人が後ろに立っていた。
誰も何も言わない。
僕の追悼が終わるのをただ黙って見つめていた。
「行きましょう……」
レミーユの言葉に、僕たちは小さく頷いた。
「勇者様。本当にありがとうございました。この子も、きっと……安らかに眠れるでしょう」
村長の言葉は震えていたが、その目にはわずかな光が宿っていた。
次に辿り着いた村でも夜になると「魔物が出る」という噂が立っていた。
家畜を襲うでもなく、人に危害を加えるでもなく、ただ森の奥に現れては、月を見上げて消えるという。
「お願いします。あの魔物をどうにかしてください」
そう訴える割には、この女性は目にクマもなく、健康そうだ。
別にこの女性を悪く言いたいわけじゃない。
でも本当に魔物に怯えているなら、前の村のように張りつめた空気があってもおかしくないのに、
この村にはそれがない。
子供たちは大声を上げて走り回り、大人たちも井戸端で談笑している。
魔物に怯えているなら対峙したり捕まえたりしないとと思うけれど、この村は前の村ほど静かでもなく、そんなに怯えているような感じがしないのは気のせいだろうか。
「危害を加えないなら対峙する必要はないんじゃないか?」
「ダメに決まってるだろ」
と、アレンに眉間に皺を寄せて言い返された。
「今はよくてもいつか人に危害を加えるかもしれない。この村の人たちにとって、絶対に安全だという保証はないんだ」
「そうかもしれないけどさ、」
僕の話を聞く気はないアレンは、村の人たちに向き直って勝手に宣言してしまった。
「俺たちに任せてください。必ずその魔物を倒します」
「っありがとうございます、勇者様!」
女性はほっとしたように笑顔になるが、その笑みはどこか含みのあるものだった。
日本では人に危害を加えてない野生の動物は麻酔で眠らされて森へ帰されてた。
だから今回もそんな感じで人里には降りてこないようにすればそれでいいんじゃないかって思う。
命を奪う必要はない。
でも、勝手に倒すことが決まってしまった。解せない。
「僕の世界では人を襲っていなければ大丈夫だよ!人里から離れてる所に連れてくだけでいいじゃん」
「いいえ、よくないわ。魔物は殺さなくては」
「聖女が殺生していいのか?」
「陛下がそう仰っていたんだ。俺たちは従うのみ」
ーーーぐぬぬ
僕は抗議したけれど、レミーユもオルフェンさんもアレンと同じ意見で、魔物ならば退治するものだと言った。
三対一じゃ、これがこの世界の常識なんだと無理矢理納得せざるを得ない。
とはいえ、どうしても胸の奥がざわついた。
危ないから倒すというのは分かる。
でも、なにもしていない魔物を、会う前から敵と決めつけるのは、どこか引っかかった。
一旦魔物の様子を見て判断しよう。
さっきみたいに大きくて恐ろしい魔物なら、村の人たちが怖がるのもわかる。
さっそく僕たちは調査に向かった。
森の奥はひんやりと静かで、木々の間を抜ける風が、かすかに鈴の音のような音を立てていた。
「気を抜くな。どんな魔物でも油断は禁物だ」
アレンが前を歩きながら低い声で言う。
僕はそれを聞いて魔力を巡らせ、すぐに防御魔法を張れるように準備した。
その時、茂みの奥で、「みー、みー」という可愛らしい鳴き声がした。
子猫のような、けれど少し違うような気もする。
か細い声に導かれるように近づくと、そこには小さな魔物が傷だらけで倒れていた。
見た目はうさぎに似ているけれど耳の先が三つに分かれており、背中には誰かに故意につけられたような大きな傷があり、そこから溢れた血が乾いて地面に染みをつくっている。
まだ息をしているのか呼吸をするたび身体が上下に動いていた。
その瞳は、怯えと痛みでいっぱいで敵意は感じられない。
「……かわいそうに」
僕が近づいて抱き上げようとしたのをアレンが腕で制した。
「真白、離れろ。そいつは月明かりによってくる魔物、ルナリスだ」
「でも、弱ってて動けないんだ。攻撃してこないよ」
それに、ルナリスは月明かりを栄養分として生きている生物だ。
人間に危害を加えた事例なんてない。
「油断するな!」
アレンの声が響くと、次の瞬間、目の前で彼の手が剣に伸びギョッとする。
いつも冷静に行動するアレンが感情的に剣を抜くなんて信じられない行動に頭が追いつかない。
小さな魔物に剣先が振り下ろされようとする、直前。
「待って!」
僕は思わずルナリスを庇うように飛び出していた。
剣が僕の肩すれすれで止まり、風圧が頬を打つ。
「真白!そこを退け!危ないだろ!」
アレンの瞳が真っ黒に淀んでいる。
いつもの彼なら、自分より弱いものに剣を向けたりしない。
なぜかはわからないけど今は本来の冷静さを失っている。
「落ち着いてアレン。大丈夫だ、この子は敵じゃない。見てよ……攻撃しようとしてない。怖がってるだけだ」
「そんなはず‥‥だって、魔物は悪だろ」
「違うよ。魔物も人間と同じ生き物だ。善と悪、両方いる」
黙って見ているだけだったオルフェンがゆっくりと歩み寄り、魔物の前に膝をつく。
すると、ルナリスはさらに大きく身体を震わせた。
「本当だ。怯えている」
アレンが静かに剣を下ろすのをみて、僕は震える魔物を優しく抱き抱えた。
背中の傷には触らないように気をつけながら撫でてやると、震えがだんだんとおさまってくる。
その様子を三人がじっと見ていた。
そのまま安心したように僕の腕の中で目を瞑るルナリスの傷口にレミーユがそっと手を翳した。
淡い光が魔物の傷を包み、少しずつ塞がっていく。
突然痛みが和らいでルナリスは驚いて目を開けた。
「大丈夫。もう怖くないわ」
その声に反応するように、魔物は小さく鳴き、僕の腕の中からゆっくりと抜け出した。
確かな足取りで土の上を数歩だけ歩き、月明かりの中で、体が光に透ける。
――その瞬間、魔物の体がふっと光に包まれ、無数の小さな光の粒になって空へと溶けていった。
「……消えた?」
「昇華したのよ。まだ生きたかった魂が、ようやく眠れたの」
僕がつぶやくとレミーユが静かに教えてくれた。
残されたのは、夜露に濡れた草と、ほんのり暖かい光の欠片。
僕はただただ立ち尽くした。
アレンは剣をしまったあと、しばらく無言で森の闇を見つめていた。
それから、無言で歩き出すアレンを僕たちは慌てて追いかけた。
「アレン、その、さっきは、僕を守ろうとしてくれたんだよね。ありがとう」
言葉にすると、自分でも驚くほど声が小さく震えていた。
勝手なことをしたから怒っているだろうか。
アレンに従わなかったのは今回が初めてだ。
魔物を庇ったあの瞬間、心臓が強く跳ねたことを思い出す。
アレンが本気で剣を振り下ろしていたら僕の腕は確実に切り落とされていた。
でも、僕の腕が無事だということは彼にも躊躇いがあったということで。
アレンは前を向いたまま、ほんの一瞬だけ歩みを緩める。
「魔物はみんな悪いやつだって思い込んでる。真白が止めてくれなかったら、俺、あの魔物を刺してた。村の人たちが怯えてる以上、退治しなきゃって、それしか考えられなかったんだ。……止めてくれて、ありがとう。真白」
その声音は、怒りではなく、自分を責めるようだった。
魔王の城まではあと数日の道のり。
討伐の準備を整えるため、僕たちは途中の小さな集落に立ち寄った。
木の柵に囲まれたその集落は、森の香りと焼きたてのパンの匂いが混じっていて、
静かなのに、どこか懐かしい温もりがあった。
「市場に行って物資を調達しておこう。ポーションと保存食は少しでも多いほうがいい」
オルフェンが地図を畳みながら言う。
僕とレミーユが頷き、アレンは小さく息をついた。
市場の通りは、旅人や地元の人々でにぎわっていた。
干し肉の香り、果物の甘い匂い、焼き立てパンの湯気。
レミーユは野菜を吟味し、オルフェンは露店の武具を見ている。
僕はその間、アレンの隣でゆっくり歩いた。
あれからアレンと僕はちょっと気まずくなっている。
いつもなら軽口を叩くのに、今日は静かだ。
僕は歩きながら少し考えて、それからそっと声をかけた。
「ほら、これ。甘い果実水だって」
露店の少女が差し出した瓶を受け取って、アレンに渡す。
「飲んでみる?」
「……ああ」
口をつけた彼は、ほんの少し眉を上げた。
「……悪くねぇな」
「でしょ」
たったそれだけの会話なのに、ホッとした。
「そういえば、お前、前に言ってたよな。旅が終わったら、向こうの世界に帰るって」
「うん。アレンは、旅が終わったら何かしたいことあるの?」
「……俺か?」
彼は少し考えて、視線を遠くにやった。
「故郷に帰れればそれでいいかな」
「……そっか」
僕はその言葉を聞きながら、黙って歩いた。
戦いの終わりが見えてきた今、誰もが少しだけ不安を抱えている。
だからこそ、この穏やかな時間を大切にしたいと思った。
「じゃあさ、無事に帰ったらまたオムライス作るよ」
「は?」
「約束。あのときアレンすっごく美味しそうに食べてくれて嬉しかったし」
「そんなもんで嬉しいなら、いくらでも食ってやるよ」
笑いながらそう言う彼の横顔に、久しぶりに陽の光が当たった。
これが本来のアレンだ。
僕はその光を、忘れないように目に焼きつけた。
その夜。
宿屋で三つしか部屋が取れなかったため、アレンと同じ部屋で過ごすことにした。
寝ていたはずのアレンがすくっと起き上がった。
「アレン、どうした?」
焚き火の火が小さく揺れていた。
アレンは黙ったまま、炎の向こうを見つめている。
何かを考えている感じで。
何も答えない。
「親友の僕にも言えないこと?」
僕はそういうと、彼は顔をこちらに向けた。
その目は涙が溢れ、潤んでいた。
僕がもう一度名前を呼ぼうとしたとき、彼がぽつりと口を開いた。
「……違う、違うんだ」
右腕で目を覆い、震える声で続ける。
「辛いんだ。もう嫌だ。殺したくない。あの人に……ただ、会いたいだけで」
アレンの言葉は、焚き火の音にかき消されそうなほど小さかった。
それでも、確かに聞こえた。
“あの人”。
この前、アレンが言っていた大切な人のことだろうか。
僕は何も言えず、ただ黙って隣に座るアレンの背中を摩っていた。
アレンの涙がようやく落ち着き、二人で夜空を見上げていたときだった。
――ひゅ、
空気を裂く音がかすかに聞こえた。
本能が叫んだ。
「危ない!」
反射的にアレンを引き寄せ、左手を突き出す。
次の瞬間、闇の彼方から放たれた光の刃が、一直線に僕たちへ飛び込んできた。
視界が一瞬だけ白く染まる。
ギリッ……!
手の中の指輪が熱を帯び、魔力が勝手に脈打つ。
僕の張ったシールドが、衝突の衝撃でヒビが入る。
熱風が頬を焼き、焦げた匂いが鼻を刺す。
「誰だ……!?」
僕は叫んだ。しかし返事はない。
代わりに、闇の向こうからゆらりと人影だけが浮かび上がった。
人の形。
けれどその瞳は闇の中でも真っ赤に光っている。
(あれ……魔物じゃない)
――人型の魔族。




