魔法
階段を降りるたび、古い木の床がぎし、と鳴く。
その音がやけに心地よくて、朝の空気に溶けていくようだった。
昨日までの現実が夢だったみたいに思えるほど、この世界の朝は静かで澄んでいた。
「おはよう真白!昨日はよく眠れた?」
階段を降りる途中でフルゥが現れ、僕の肩にちょこんと乗っかった。
本当は今朝起きた時、元の世界に戻っていることを期待していたけど。
目を開けたら自分の部屋ではなくて、それは叶わないのだと悟った。
「うん、ぐっすり眠れたよ」
「でしょでしょ!この世界の空気は“魔素”が多いからね。寝てる間に少しは馴染んできたかも」
「……魔素?」
「説明はあとで!まずは撫でて!」
ふわふわの頭に手を置いて撫でると、フルゥは目を細めてうっとりした。
その様子につい笑ってしまう。
この世界では知らないことだらけだ。
だからこそ一つ一つこの世界について知っていかなくちゃならない。
階段を降りきると、すでに女将さんが朝の店支度をしていた。
僕は笑顔で女将さんに挨拶をする。
僕の肩に乗っているフルゥを見て女将さんが一瞬、息を呑んだかのように見えたが、すぐにいつもの笑顔に戻っていたので、見間違いだろう。
「昨日は泊めていただいてありがとうございます」
「ああ、どうってことないよ。それより、その肩に乗ってる可愛い子はなんだい?」
女将さんに指摘されて、思わずフルゥと見つめ合う。
「えっと、精霊のフルゥです。昨日の夜、突然現れて」
「フルゥだよ!人間さんよろしくねー!昨日の夜、偶然真白の部屋に入っちゃって、そのまま仲良くなって契約を結んだの!」
僕の言葉に被せてフルゥが元気よく挨拶する。
可愛いと言われても少し照れているようだ。
フルゥのほっぺが赤くなっている。
『てか、契約なんてしたっけ?』
とフルゥにしか聞こえないように話しかければフルゥも同じく小さな声で、
『真白が異世界人でフルゥがそのサポート役なんて正直に説明したって、普通信用できないでしょ!不信感を与えるだけだからね!』
と返してきた。
なるほど、そういうことだったのか。
馬鹿正直に説明しても異世界人だと言い切れるような証拠もなければ信憑性のかけらもないし、余計村の人たちに警戒されそうだ。
そうなるくらいなら、フルゥの言ったように適当な理由を作ってしまった方がいい。
「そうかい。そういうことだったんだね」
女将さんはフルゥを見つめながら、ぶつぶつ何かを呟き、少し考え込むような表情をした。
精霊がいるとまずいのかな。
ペット不可とか、そういうやつ?
「真白、なんか失礼なこと考えてるでしょ」
フルゥが僕を睨んでくる。
僕は気まずくなって視線をそらした。
が、この反応では本当に失礼なことを考えていたみたいになってしまう。
いや、正直、精霊をペットっていうのは失礼だと思うような思わないような気がするけど。
頭をフル回転させて、疑わしい目を向けてくるフルゥの尻尾に目がいった。
「違うよ。フルゥのその尻尾って燃えてるから危なそうだなって思っただけ」
「これは魔法で燃えてるの!本当に燃えてるわけじゃないから火事にはなりませーん!安心してね!」
フルゥと僕が揃って女将さんの方を向くと、女将さんは「ふふっ」と笑いをこぼした。
「二人は本当に仲がいいんだね。なんだか安心したよ」
もう何度目か。
女将さんの優しさがじんわりと胸に広がった。
元の世界ではこんなに人の優しさに胸を打たれるようなことがあっただろうか。
「真白、あんたしばらくここに泊まりな。代金はいらないからさ」
女将さんが店支度をやめて、近づいてきた。
「まだ記憶が曖昧なんだろう?もう少し落ち着くまで居た方がいい」
「‥‥そうですね」
「そういうことなら、甘えさせていただきます。でも、その代わりに店の手伝いくらいはさせてください」
無償でずっと泊まらせてもらうなんてできない。
少しでも優しい女将さんの恩を返せるようにしたいと思った。
思いついたのは店の手伝いくらいだったけど。
「そうかい、それは助かるよ。店は17時からだから、それまでは好きに過ごすといい」
「ありがとうございます」
僕は女将さんの言った通りにここにいさせてもらうことに決めた。
また、行くあてもなく歩き回ったとして、次の村に辿り着けるかわからないし、この村に留まって、世界に順応できるようになる方が良い。
「私はミランダだ。これから、よろしく頼むよ」
女将さんーーミランダさんはそういうと晴れやかな笑顔で手を差し伸べてきた。
僕もその手をしっかりと握り返した。
「真白!向こうの方へ行こう。さっそく魔法について説明するよ!」
フルゥが思いっきり僕の頭を叩いて急かす。
見た目はキュートなのに力加減についてはキュートさの微塵もなかった。
人通りのない広場に着くと、フルゥは小枝の上にちょこんと腰を下ろした。
ぬいぐるみが座っているみたいで可愛くて頬が緩む。
「フルゥ、魔法ってどうやって出すんだ?呪文とか覚えるのか?」
「上級魔法になってくると呪文を覚える必要があるけど、まずは、自分の中の魔力を手に集める。それだけやってみよう!」
「それだけって言うけど」
説明が簡易的すぎていまいち、よくわからない。
もうちょっとコツとか教えてくれないのか。
「ほらほら、手に集中して」
僕は眉を寄せて言われた通り両手を膝の上に置く。
目を閉じて深呼吸を繰り返すが、何も起こらない。
手のひらがじんわり温かくなるような気もするけれど、それが魔力なのか緊張なのかもわからない。
「これ、ほんとに動いてる?」
「うん、ちょっとだけね。ほら、指先が少し赤くなってる。血行じゃない方のやつ」
身体に張り巡らされている血管と同じように、魔力も管を通して身体に張り巡らされているらしい。
僕はもともとこっちの世界の住人じゃないから、魔力の管なんてなかった。
だけど、この世界に来てから1日がすぎて、魔素を浴び続けた結果、身体に魔力の管が形成されたようだ。
そんなフルゥの説明を聞いても、僕は半分も理解できたとは言い難い。
僕が首を傾げると、フルゥはくすくす笑ってふわりと肩のあたりまで浮かんだ。
「魔力って、息と同じ。ちゃんと通す意識をしないと詰まっちゃうの。ほら、力を入れすぎだよ。力むとね、魔力がびっくりして逃げちゃうんだよ」
「びっくりするのか、魔力って」
「するの!」
半信半疑のまま、もう一度目を閉じる。
今度は肩の力を抜いて、呼吸に合わせて身体の奥にある何かが、ゆっくりと指先へ流れていく感覚を探る。
ほんのわずかに、手のひらがチリ、と震えた。
静電気のようで、それよりもずっと柔らかい感触。
「今の、もしかして」
「うん、それそれ!」
フルゥの目がぱっと輝く。
「ちゃんと魔力を動かせたんだよ!」
僕は手のひらを見つめた。
まだ何の光もないけれど、確かに何かが流れていた。
自分の中にこんなものがあるなんて、少しだけ信じられない気持ちだった。
「地味だけど、これが始まりってわけか」
「そう。大事なのは、ここから上達していくこと。真白の手が、世界とつながるための入り口になるんだよ」
フルゥの声は、風の音に溶けるように穏やかだった。
僕はこの世界の住人じゃないから、身体を巡る魔力の流れを意識するのが難しい。
それでも、光を手のひらに集めるくらいのことはできた。
「また、明日一緒に練習しよ」
「うん」
僕は素直に頷いた。
宿に戻ると、扉のベルがチリンと軽やかに鳴った。
「おかえり」
女将さんの穏やかな声が出迎えてくれる。
「ただいま帰りました」
僕はくすぐったい気持ちになった。
向こうの世界では母は仕事で忙しい人で、僕が学校から帰ってきても家にいなかったから、「おかえり」なんて言葉をかけられること事態が初めてだった。
「待ってたよ。今日は忙しくなると思うけど、手伝いよろしくね」
「はい!」
威勢よく返事をして、店の制服に着替えようと、ブレザーのボタンに手をかけるが、足に違和感を覚えて手を止める。
「うわあ!なになに」
何かが膝ら辺に抱きついてきた。
見下ろすと、暗めの茶髪に青い眼をした5歳くらいの小さな男の子だった。
ーーー可愛いけど、どうして僕に捕まってるんだ?
周りを見渡してみるが、親らしき人は見当たらない。
男の子は僕の足から手を離し、代わりに手を引いて階段を登っていく。
其方はミランダさんや僕が生活しているスペースだ。
そう言えば、昨日ミランダさんには子供がいると言っていた。
もしかしたらこの子がそうなのか。
確かにミランダさんに似ているような気がする。
「お兄さん暇なら遊んでよ!」
そう言って男の子は奥の部屋に入り、持ってきた小さな木刀を懸命に振り回して見せてくる。
「ふふん!どうだ!」
かっこいいだろと言いたげな表情に僕は自然と頬が緩んだ。
ーーーうわあ、可愛い。
「かっこいいね!」
拍手をして返すと、余計嬉しそうに頬を赤く染めた。
でも、そろそろミランダさんのお店の手伝いをする時間が迫ってきている。
「ごめんね、一緒に遊びたいけど今は無理なんだ」
両手を合わせて申し訳なさそうにいうと、男の子はわかりやすくムッとした。
「ええーー、なんでぇ!良いじゃん、ちょっとだけだから遊んでよ!」
そういって僕の足をギュッと掴んで離さなくなってしまった。
とんでもなく可愛い。
けど、これは困った。
僕は一人っ子だし、小さい子どもの扱いなんて全く分からない。
一緒に遊んであげたいけど、店の手伝いをしないと。
この子が納得してくれるように言うにはどうすればいいんだ。
うーんと唸るながら悩んでいるところにタイミングよくミランダさんがやってきた。
「こら、レオ!真白の邪魔をするんじゃないよ」
「げっ!」
ミランダさんの怒った声に男の子は急いで部屋に戻ってバタンと扉を閉めた。
その様子にミランダさんは長いため息をつく。
「まったく、うちの子がごめんね」
「いえいえ、あの子がミランダさんの子なんですね。とっても可愛かったです」
「この時間はいつも寝ているのに、今日は起きていたみたいだね」
僕は着替えを終えると、さっそくお客さんがやってきた。
それと同時に、フルゥが現れ、僕の右肩にちょこんと乗っかる。
「フルゥ、邪魔するなよ」
「わかってるって、見てるだけなら良いでしょ!人間の食べ物はすっごく美味しいんだよ~」
フルゥは本当にわかっているのか、厨房から香り立つ香ばしい匂いに目をキラキラさせていた。
僕は注文を取ったりビールジョッキを運んだり、忙しなく働いた。
お客さんは何故か僕を見て一度固まるけれど、それからは普通に注文をしたり食事やお酒を楽しんでいる。
なにより、昨日よりも村の人たちの警戒が解けて、ちょっと優しくしてくれたのが嬉しかった。
フルゥはというと、さっきからちょいちょいお客さんの料理をつまみ食いしている。
バレてないと思っているのかもしれないけど、口の周りには食べかすがべっとり。バレバレだ。
「フルゥ、お客さんのご飯勝手に食べたらダメだろ」
止めようとした僕の腕を、お客さんがひょいと制した。
「いいよいいよ、気にすんなって。むしろ精霊様に俺の飯を食ってもらえるなんて光栄だ。ご利益があるんだよ」
「……そうなんですか?」
「そうなのそうなの!」
「フルゥには聞いてない!」
思わずツッコミをいれてしまえば、フルゥはほっぺをまんまるくして拗ねてしまう。
お客さんに「精霊様可愛いな」って言って頭を撫でてもらっていた。
店の終わりの時間が近づく頃、カウンターの隅に、ひときわ大柄な男が座っていた。
分厚い腕には無数の古傷。
無言でジョッキを傾け、視線は窓の外に向いている。
「ゴルガさん、今日も来てくれたのかい」
ミランダさんが静かに声をかける。
男は軽く頷き、短く言葉を返す。
「見回りの帰りだ」
その声は低く、地の底から響くようだった。
店内のざわめきが、一瞬だけ小さくなる。
僕がそっと男の人を見ると、彼もちょうどゆっくりこちらに視線を向けた。
深い森みたいな瞳。
恐ろしいほど静かで、でもそこに強さが宿っていた。
「新入りか」
「は、はい。真白って言います」
話しかけられるとは思わず、声が上擦ってしまった。
「分からないことがあれば俺を訪ねるといい」
そういうとゴルガさんは僕の返事を聞くまでもなくさっさと店を出ていった。
「ゴルガさんはね、昔――」
ミランダさんが言いかけて、言葉を止めた。
「いや、なんでもない。あの人はあの人のやり方で、ずっと村を守ってるのさ」
僕はそれ以上聞かなかった。
ただ、ふと見えたゴルガさんの手の震えが、
昔の傷か、それとも何か別の理由なのか、気になって仕方なかった。




