彼方者―あっちもの―7
「やってみないと分からんだろう!?」
「分かるよぉ。誰がどう見たって、何をどう考えたって無理だよぉ」
廊下の中央で繰り広げられる小声の舌戦に終わりはない。出口を探そうと廊下を進みたい二十六木と、その手首にかかった手錠を引いて廊下を戻ろうとする私だ。第三者がこの場にいれば、10人中10人が二十六木の味方をするだろう。私側に立つものは頭がおかしくなったと断定されるに違いない。その自覚がある。
「見たでしょ、あの見た目?話が通じると思う?」
「見た目で人を判別すべきではなかろう?」
「すごっ。そこまでくるといっそ尊敬できるかも」
「そうだろう。人間なんて結局はタンパク質の集合体だ。大枠、アレもそうと言える」
「言えないよ」
頭を抱える二十六木。このままでは埒が空かないと、私はあえてトーンを落とし、まずは二十六木の説得に専念することにした。
「じゃぁ、そもそもアレは何なんだ?その説明が欲しい」
「……アレは、……『彼方者』だね」
彼方者
彼方からのもの。つまりは死者やそれに類するものを総称する言葉だ。おうむ返しをする私に、二十六木はちょいちょいと近場の教室を指し示してみせた。大人しくついていけば、彼は教室の中に何もない事を確認して、ゆるゆると息を吐く。
「幽霊とか、悪霊とかもそうなんだけど、世界には結構訳わかんないのが紛れ込んでる事が多くて。そういうのを全部まとめてそう呼んでるんだ」
説明をしながら扉を閉め、私たちは恐る恐る教室の中へと立ち入った。
「勿論、元が人間ってパターンは多いよ。でも、場合によっては人の強い想いや言葉が力を持ちすぎて集合体として形を成したり、そもそも別の……八百万の神様が土台にいたりするから、一概には言えない」
「なら、アレは……」
「幽霊の類じゃないね。どっちかというと、人の意識の集合体か何かだとは思う」
あの悍ましい、人間を内側から裏返したようなものが。思い出してえづきかけるが、かろうじておさえた。
「ああいうのは、大抵こっちの話を聞かないの。聞く意味がないから。何が元になってるかはよく分からないけど、その元になった感情とか言葉を理解してもらう為だけに動いてるんだ。……あんな姿をとるってことは、かなり碌でもない集合体なんだろうけど」
「……そうか」
落胆。
折角初めて超常現象に鉢合わせたというのに、私の目的に叶うものではないのだと肩を落とす。その様子を見てか、二十六木は教室の適当な机に腰をかけて、「今ので納得してくれたなら嬉しいんだけどな〜」と溢した。
「だが、この世界に幽霊はいるんだな?」
「え?」
顔を上げて二十六木を見る。暗くて顔こそ見えないが、惚けた声が返ってきた。しかし、彼の返答そのものは、私には必要ない。
「……重畳だ」
「何?」
「いや、なんでもない。それより、入り口とか出口とかってのは何なのだ?昨日も今日も、アレを見た瞬間、まるで異界に投げ込まれたみたいに学校の様子がおかしいが」
「まぁ……異界といえば異界、だね」
二十六木の言葉が明瞭さを失う。
「上手く説明ができないんだけど、『彼方者』がいる世界と俺たちがいる世界って、本来は相容れないし交わらないの」
「まぁ、そうだろうな」
交わりまくってたら私の苦労はない。
「でも、たまに『彼方者』の影響が強すぎて交わったり、もしくは迷い込んだりする事もあるんだ。『彼方者』って基本は絶対に俺たちの世界に来られないから、そういうのを見たり会ったりしたって場合は、大体この世界の方を見てたり紛れ込んだり、或いは連れ込んだり……自分から迷い込んだりしちゃってる訳」
「なら、我々は今その『彼方者』の世界に迷い込んだと。……だが、入り口だの出口だのが違うっていうのはどういう理屈だ?同じ世界じゃないのか?」
「そこがちょっとめんどくさいんだよね」
――ぽちゃん
「……っ、ち、近くないか?」
「しーっ」
会話の合間を割いて鳴った水音。小声で二十六木に声をかけると、彼は昨日と同じように口元に一本指を立て、静止を合図した。
『彼方者』。人ではない存在。
――ぽちゃん
水音を立てながらこちらへ近づいてくる。心臓の鼓動が徐々に早鐘を打ち始めた。いや、実は元からかなり限界気味だ。これまで意識しないようにしてはきたし、強がってもきたが――怖いものは怖い。
そっと二十六木の元に身体を寄せると、彼は私の手をとって、私の肩を抱いて引き寄せた。そのまま壁に寄り、机と壁の間にしゃがみ込む。
二十六木の心臓の鼓動が耳に届いた。可愛げのない事に、彼は非常に平静を保っているらしい。乱れる呼吸を彼の鼓動を数えながら整えるうちに、水音は教室の扉の前に留まった様子を見せた。
――ぽちゃん
音が鳴る。
不意に二十六木が私の顔を自身の胸元に強く押し付けた。あまりに唐突で、私はびくりと肩を振るわせるが、彼はお構いなしだ。
「私の」
声が聞こえる。昨日、私に語りかけてきた声だとすぐに分かった。『私を見て』と言っていた、知らない声。だが、人の集合体という話を聞いた今、高校生くらいの少女の声にも聞こえてくる。
「いいえ」
二十六木が答えた。
「俺のです。あなたのじゃない」
彼は今何が見えているのだろう。アレと対話しているのだろうか。
なんだ、やっぱり対話できるんじゃないか。とは思うものの、顔を強く押し付けられたせいでうまく息もできない。声を出すなんてもってのほかだ。
「私の」
少女は同じ抑揚で告げた。
「私の」
今度は二十六木の言葉を待とうともしない。
「私の」
声は、背後まで近づいていた。気配さえ感じる。怖気が、鳥肌が止まらない。二十六木はそんなモノと今真っ向から対峙しているのかと思うと、唐突に自分に腹が立った。この状況を招いたのは私なのだ。ならば私が解決せねばならない。――でも、でもどうやって。
「私の。私の。私の。私の。私の。私の」
耳元まで迫る。
「私の」
ばつん、と頭上で音がした。同時に、上から何かの液体がどろりと顔に降りてくる。嫌な予感がして、咄嗟に力を込めて二十六木の腕から逃れ、彼の顔を見た。
「……と、どろき、……?」
そこに顔はなかった。
いや、正確に把握するとすれば、頭がなかった。
首から上が、消えている。
剥き出しになった首の骨が、暗闇の中で白く浮かんでいた。その周囲を、千切れた肉が取り巻いている。血管がぶら下がっている。まだ脈打っている。
頭のない身体が、私を抱いたまま、微動だにしない。
私の喉から、何かが込み上げた。悲鳴のはずだが、声にはならない。息が喉の奥から漏れ出ていた。かすれた何の意味も持たない音が、私の耳にだけ届く。
縋るように凝視する私の首元に
「私の」
薄く、温かい、肉の塊が触った。




