彼方者―あっちもの―3
「ねー、何で教えてくんないの、鈴子〜」
私の腕を振り回し駄々をこねる親友は、今日もしっかと周りの目を引いている。落としかけた理科の教科書を持ち直し、私はジロリと彼女を横目で睨んだ。
「だから、記事と動画がまとまったら見てもらうってば」
「待てない待てない!それに僕、どうせ新聞部の新聞読まないもん。今教えてよ」
「馬鹿正直も大概にせぇよアンタ」
ため息を吐く私に、親友――笹浦流都はむうと口を無理やりへの字に歪ませた。整った容姿から繰り出される表情は可愛らしく、それが殊更腹の立つポイントだ。
この薄情女と仲良くなったきっかけは一体何だったか。小学生の頃からの腐れ縁で、高校まで同じクラスになりがちだったのが主な理由だっただろうか。
自由に生きる彼女に手を焼く事も多かったが、何だかんだで親友と呼べる間柄――の、はずだ。
「流都に話したら情報漏洩待ったなしでしょうが。大人しく待ってなって」
「ちぇー、鈴子のケチんぼ!おたんこなす!ぱらっぱらっぱー!」
「今日日あんま聞かない言葉で罵るじゃん……」
日常の応酬。いつも通りの学校生活が目の前にあった。
昨夜。気を失った私は、朝までぐっすり快眠を決め込んだらしい。兄からの追及もそこそこにかわして登校し、4限目を終えた今まで、校内に特段変わった点はない。
だが、耳にはやはり昨日の音がこびりついて、時折空耳が聞こえてくるのだ。今日ほど喧しく噛みついてくる流都の存在を有難く感じたことはないだろう。
「ところでさぁ、この後学食付き合ってくんない?」
パタリと駄々を捏ねることを止め、彼女は頭の上に教科書を乗せてバランスを取りながら問いかけてくる。気分屋ここに極まれりだ。
「今日はシュークリームがデザートにあるらしいんよ!朝から楽しみにしてたんだよね」
へぇ、と流都の話に相槌を打つ。そこで初めて、私自身の昼食に意識が向いた。そういえば今日は弁当を持って来ていない。兄からの質問責めから逃げるのに手一杯で、母から受け取るのを忘れたのだ。
「だからこの後……」
「二ノ宮さーん!」
流都の声を遮る形で、私の名を呼ぶ声がした。2年A組の教室入り口から手を振るのは、人の良さそうな笑みを浮かべた女子生徒だ。
彼女は甘夏心。同級生の1人である。
「二ノ宮さん、一緒に学食行かなーい?皆でご飯食べよって話しててね」
「あ、……え?」
ちらりと隣を見る。目をぱちくりとした流都が「あ」とそこそこ大きい声を出した。
「ごめん、鈴子。僕そういやこの後用事あるんだったわ!」
「え、でも」
「ごめんごめーん、ほなね〜」
軽く手を振って、頭に教科書を乗せたまま小器用に走り去っていく。あまりの早さに止める間もなく、私は呆然と彼女の後ろ姿を見送った。思わず甘夏心に視線を移せば
「あ、なぁんだ。流都ちゃんもこれば良かったのに」
と、彼女は少し申し訳なさそうな表情を作って、同じように流都の背中を視線で追っている。
――あぁ、でたな
今、甘夏心が流都の名を呼ばなかったのは間違いなく意図的だ。
「来ればよかった」と口では言っているが、名を呼ばなかったということは言外の「来るな」と同義である。
女子の間にある暗黙の了解。いじめと呼称されない程度に小賢しく立ち回る集合体。私はそれが酷く苦手で気持ちが悪いと思っている。――思っているが、その集合体にいる彼女達が悪だと断じる事も、毛嫌いする事もできていない。
「今日はねー、学食のデザートにシュークリームがあるんだって。一緒行こ?」
「いやー、……ホントごめん、さっき流都にも言ったんだけど、私この後新聞部の記事書かなきゃいけなくてさ」
「えー、そうなん?めちゃ大変じゃん!てか、もしかして前言ってたやつ?この前の『噂』?」
「それそれ。あの話、試してみたんだ。動画とかも撮ってるし、編集作業しなきゃなんだよ」
「えー!動画も?めっちゃ楽しみなんだけど!」
「そう。本当ごめんけど、また一緒にご飯食べよ」
「そういう事なら分かった!それ、皆にも話して良い?」
「いいよ、楽しみにしててって言っといて」
「はーい!」
笑顔を作り嘘を並べた。いや、動画を撮ったのも、記事を書かねばならないのも本当だ。が、昼食を抜いてまでやる必要はない。単に、この流れで彼女達と食事を摂りたくなかった。けれどそれをあからさまに態度に出しても角が立つ。集団生活に与している以上、波は立てぬに越したことはない。
教室の中に入り、同級生の女子に手を振って応えた。
それなりに空気を読むという事が得意で、かつ流行に過敏である私は、クラスの女子の中においてかなり平均的な存在だ。いくつかあるグループの、それこそ中堅に位置するグループに所属し、無難な学生生活を遂げている。「芸人枠」「ツッコミ役」とは誰の談だったか。私がその枠にいる限り、彼女達が私をあからさまに害することはない。
しかし、笹浦流都はその逆。彼女自身さして気にしていないようだが、女子グループの何処にも属しておらず、言ってしまえば浮いているのだ。
理科の教科書を机上に放り投げつつ、私は自身の不甲斐なさにため息を禁じ得ない。
「おーい、廉!お前は行かねーの?」
そんな最中、後方から男子の大声が飛んだ。
「えー?」
「えー?じゃねぇよ。学食行くって話だろー?」
「あ、はーい」
はたとノートを机にしまっていた私の手が止まる。
のんびりとした返事。その声に聞き覚えがあったのだ。咄嗟に振り返ると、パタパタと教室入り口にかけていく背の高い男子が目に入る。ひょろりと伸びた手足と、寝癖だらけの黒髪。猫のように少し丸まった背中をこちらに向けて、彼は彼を呼んだ男子の元へ寄って行った。
「そもそもお前が朝にシュークリーム食いたいっつったんじゃんか?」
「食べたーい。行こう行こーう」
「ったく……お前は本当に……」
数人の男子に囲まれて、彼は楽しげに学食へと足を向けている。あっという間に廊下へ消えた彼らを呆然と見つめていた私の元に、甘夏心が可愛らしい財布を手にやってきた。
「どうしたの?トドロキ君となんかあった?」
「あ、いや、何もないよ。ちょっと知り合いとそっくりの声が聞こえたからびっくりしただけ」
なぁんだー、と少しつまらなさそうな声を上げて、彼女は他の女子達と教室を出ていく。ほうと私は小さくため息をついた。咄嗟に取り繕えたから良いものの、あそこで少しでも言い淀むと学食での会話のネタにされかねない。
「……でも……」
独り言は落ちる。何気なく、窓際に視線が吸い寄せられた。先程のんびりとした口調で返事をした男子の席から、目が離せない。
――二十六木廉
高校生に上がってからおよそ1ヶ月。ゴールデンウィークも終わり、クラスの人間達の顔と名前がようやく完全に一致し始めた時期。
だが、彼の顔と名前はクラスの全員が比較的初期に覚えたはずだ。まず、何と言っても名前が難読過ぎる。二十六木と書いてトドロキと読むのだ。珍しい上に響きがかっこいいとクラス全体の自己紹介時点で話題に上がり、苗字を覚えることは容易だった。また、身長が高く容姿も整っている。性格は目立つタイプの人間ではないものの、男子達の中でも特に穏やかだ。いや、どちらかというと天然なのんびり屋と称すべきだろうか。
私はポケットからこっそりと携帯端末とイヤホンを取り出すと、イヤホンを耳に装着して一本の動画を流した。
『しーっ。声を立てたらダメだ。もうすぐそこまで来てる』
動画の中で聞こえてくるのは、昨日の音声。携帯端末の録画機能を回しておいたものだ。あの時は恐怖が勝ってカメラを構える余裕などなかったが、音声だけは残っていた。そして、あの不気味な水音も。
「……間違いない」
昨日私の手を引いたのは、間違いなく彼、二十六木廉である。
普段のほほんとした雰囲気の彼が、あんな場所にいたことも、その上平静を保っていたことも驚きではある。だが、そうであるならば、彼はきっと昨日の水音と、廊下の奥にいたアレの正体を知っているはずだ。
私は改めて、彼の机に目をやった。
はてさて、どうやって捕まえてくれようか。大人しく事情を話してくれると良いのだが、何食わぬ顔で私とすれ違ったあたり、彼は知らぬ存ぜぬを決め込みたいのかもしれない。
しかし、そうはいかない。私は知らねばならないのだ。
――アレと、『対話』をするためには。




