アンノウン9
「入り口は『此岸から彼岸に接触する方法』。出口は『彼岸から此岸に接触する方法』だ。……おい、聞いてんのか?」
「ん?……あ、あぁ、聞いてるとも」
件の棚の前。
不満そうに唇を尖らせるロスに、私は慌てて頷いて見せる。
「『入り口』と『出口』、その両方を伝えれば、君が彼方者のいる世界を封印してくれる、ということだな?」
「厳密に言えば封印じゃねぇが……ま、いいか」
やれやれと息をついて説明を切り上げたロスが、今度は二十六木に向き合った。
「『入り口』は分かってんだろ?」
「うん。この棚の、自分の目線と同じ高さにある本を一冊取るんだよね?」
受け答えをする二十六木の声が、やけに遠くから聞こえてくる。
「……二ノ宮さん?」
ぼんやりと思案する内に名を呼ばれ、はたと我に返った。振り払うように首を振り、私は思考を切り替える。
二十六木の問いかけは何だったか。そう、手順についてだ。しっかりと聞き届けた訳ではないが、彼が言うのは『棚の奥の目』と出会う方法に他ならない。
「手順は至極単純だな。……でも、前に私が試した時には、何も起こらなかったぞ。今回上手くいくとは限らんのではないか?」
「此岸の人間が、そう易々と彼岸を覗けると思うなよ」
ロスは鼻を鳴らす。
「条件と状況をカッチリ揃えなきゃ、普通は迷い込まねーようにできてんだよ。そうじゃなきゃ、オマエみたいな好奇心旺盛な馬鹿は、とっくに彼方者のおやつだぜ」
運悪く揃っちまうと、巻き込まれる場合もあるけどな。そう付け加えて、ロスは小さく手を払った。
「なら、今回は条件と状況が揃っているということか?」
「そうと言えるし、違うとも言える。そもそもオレ様を何だと思ってんだ?」
「自称神」
「自称は余計だっつーの」
私の受け答えに、彼は腕を組み、至極不満そうに目を細める。
「正真正銘、オマエらの言う所の神なんだわ。場所と手順さえ合ってりゃ、彼岸と此岸の橋渡しくらい、どーってことねぇ」
「神……ねぇ……」
腕を組む少年を見下ろした。
いまいち実感が湧かないのだ。人外らしさといえば歯並びの異様さくらいで、神と呼ぶにはあまりにも人間じみている。少なくとも今は、その片鱗すら感じられない。
「オレはここで待っててやるよ。方法は二つ。出口を見つける。あるいは、レンが彼方者に殺される。どちらかが達成できたらゲームクリアだ」
「ゲームクリアって……何か出口のヒントとかは無いのか?」
「んなモンあったらとっくにやってんだよ」
ロスはそれだけを言うと、くいと顎で棚を指し示した。いいからやれ、と。そう言うことらしい。
聞きたい事も文句も山ほどあるのだが、私は一先ず二十六木と目を合わせた。彼も彼で困ったような笑みを浮かべ、頷いている。
まぁ、行動あるのみ。習うより慣れろは私の十八番だ。
「臨むところだ」
呟いて、私は正面に棚を据え、真っ直ぐに立った。
心臓が少しずつ耳に届く音を立て始める。
『棚の奥の目』と出会うには、どんな本でも良いわけではない。自分の目線にある本の中から、書籍の最初の一文字が自分の名の最初の文字と同じものを選ぶのだ。
指先が、棚を辿る。そうして見つけたのは『姿を変える日本』と背表紙に銘打たれた本だ。
私は深く息を吸い込み、その背表紙に指を引っ掛けた。そのまま手前に倒して引き抜く。
奥には、ただ暗闇だけが覗いていた。
「あ、そうそう」
隣から、呑気な声が飛んだ。
「ゲームオーバー条件は、スズ――お前が死ぬことだからな。その辺よろしく」
声を上げようとした。文句を言うべきだと思った。
だが、言葉が出ない。
何故か?
それは当然、暗闇から覗く瞳と、目が合っていたからだ。
*
名前。
名前。
名前が、分からない。
ページをめくる。文字を追う。
違う。また次のページ。
違う。次。また次。
心臓が早鐘を打っている。呼吸が浅い。でも手を止められない。
この本にもない。次の本を手に取る。また次。
名前さえ。
名前さえ分かれば良い。簡単な事だ。何回間違っても、たった一回名前が呼べればそれで良い。そのはずなのに。
「流都!」
肩を掴まれて、僕は弾かれたように顔を上げた。
目の前に鈴子がいた。
心配そうに僕を見つめている。その隣には、何故だか二十六木蓮もいる。
まずい。
咄嗟にそう思った。
「あ……す、鈴子?どうしたの?」
笑顔を作る。いつも通りの、何でもない僕を演じる。大丈夫、僕はいつもこうして取り繕って笑っている。
「どうしたはこちらの台詞だ。……何をしていた?」
「何って、調べものだよ」
声が震えていないか。表情は自然か。本を棚に戻しながら、僕は必死で平静を装った。
「今朝の花か?」
「そうそう」
鈴子の問いに頷く。嘘じゃない。でも、本当のことも言えない。
「なかなか無いんだよね。鈴子も分かったら教えてよ」
「あ、あぁ、分かった……」
鈴子の表情が、少し曇る。疑っているのか。それとも心配しているのか。
どちらにしても、僕はここにいてはいけない。
「てか、やっぱ二人でいるんだね〜。いつの間に仲良くなったの?」
わざと明るく、二人に笑いかける。そして、
「じゃ、僕はこの辺で」
軽く手を上げて、僕はするりと彼らの横をすり抜けた。
図書室を出て、僕は廊下を当てもなく歩いた。放課後の校舎は薄暗く、人影もまばらだ。窓の外から差し込む夕日が、床に長い影を落としている。
音楽室からは吹奏楽部の演奏が響いていた。僕は誰もいない東階段の踊り場で足を止めた。トランペットの音色が、乱れた呼吸を少しずつ落ち着かせてくれる。
鈴子に肩を掴まれた時、僕は何を答えただろう。
ちゃんと取り繕えていただろうか。
いや――鈴子は察しはいいけれど、嘘を見抜くのはそれほど得意じゃない。
だから、きっと大丈夫。
「……大丈夫」
でも、もしバレたら?
きっと鈴子は僕を助けようとする。彼女は、そういう人間だ。
分かっていた。だから嫌だった。
鈴子に幻滅されたくない。
鈴子にこんな思いをさせたくない。
鈴子を危険に巻き込みたくない。
だから、鈴子にバレたくない。
保身と心配が絡み合い、重い蟠りとなって胸に沈む。
早く。早く、しなければ。
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