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アンノウン8

「絶対危ないってぇ」

 廊下を歩きながら、二十六木は心底嫌そうに宙空を見上げた。

「そもそも、あそこは無理だってロスが言ったんじゃん」

「オマエ一人じゃ無理だって言ったんだ。それに、コイツの対応力を見るには丁度いい」

 前を歩くロスは、頭の後ろで手を組んで悠々としたものだ。

 自称神に引き連れられ、私と二十六木は本校舎内を進んでいた。「新人研修だ」と宣った彼曰く、向かう先は「図書室」であるとのこと。

 だが、その道中で二十六木が異を唱えたのである。

「最初に言ったよね。二ノ宮さんには情報提供をお願いするだけで、彼岸に連れて行くつもりはないんだって」

「折角事情を飲み込んだ手駒が手に入ったってのに、使わない手はねェだろうが?」

「だからさぁ……」

 二十六木は複雑そうに言葉を濁す。

 ロスと二十六木は、人間のいる世界を“此岸(しがん)”、彼方者のいる世界を“彼岸(ひがん)”と呼んでいた。

 ロスのいう『新人研修』とは、彼岸――あちら側の世界に行って、彼方者対処にあたれ、という話らしい。

 二十六木が反対しているのは、私の安否を懸念してのことだろう。

「まぁ、気にしないでくれ、二十六木君」

 そんな彼に、私は肩を竦めてみせた。

「朝も言ったが、私は君が居なくとも巻き込まれに行くんだ」

「本人がこうなんだもんなぁ」

 二十六木はガクリと項垂れると、それ以上何も言わずに図書室の道を歩き始めた。納得したというよりも、諦めた雰囲気がある。

「図書室と言えば、『棚の奥の目』だな?」

 ロスの背中に言葉を投げれば、彼はちらりと私を見て、口元を釣り上げた。

「いいねぇ。話が早い。レンの奴ときたら、そういう情報を全く持ってねぇからな。集めるにしても、初手から躓きやがるし」

「いやー……、情報収集なんてネットでやればいいじゃんって思ってたけど、地元の噂話となるとそうもいかないんだもんね」

 彼の言葉に私は頷く。

「うむ。ネットに縁のないご老人が面白い話を持っていることなんてザラだし、ネットにない書籍なんてごまんとあるからな」

 刑事ドラマで「情報は足で稼ぐ」と聞いたこともある。ネットは便利だが万能ではない。

「それで……対処すべき彼方者が『棚の奥の目』なのは分かった。だが、具体的にどうすれば良いんだ?」

 『棚の奥の目』は、その名の通りの存在だ。図書室の一番端の棚で、特定の場所から本を抜き取り、その向こうを見ようとする。すると、その先は壁であるにも関わらず、奥から顔が覗いており目があってしまう。

 しかし、それだけだ。恐怖を感じることはあろうが、目があったからどうなる、という話はない。私の知る限りでは、だが。

「一番手っ取り早いのは、オレが彼岸に乗り込んで彼方者を食っちまうことだ。ただ、これは制限があるから案外難しい」

「制限……?」

 ロスは鷹揚に頷いた。

「オレは神様だからな。ある程度の秩序は保ってやんなきゃならねぇ訳。だから、オレが直接彼方者をどうにかできるのは、彼方者が人間の命を奪う現場を、この目で確認できた時だけだ」

「あ、だからあの時……」

 二十六木の首がねじ切れた途端、嬉しそうに乗り込んできた化け物――もといロスを思い返す。一方的な暴力に思えたが、それなりのルールはあるらしい。

「人間風に言うと、『正当防衛』で『現行犯逮捕』でなければならないと言うことか」

「まぁ、防衛してやることはできないし、『現行犯死刑』だけどな」

 ゲラゲラと洒落にならない台詞を口にするロスに、二十六木は肩を竦めている。 

「えっと……まぁ、つまり……俺が彼方者に殺されたら、条件達成……なんだよね」

「……マッチポンプでは?」

「おっしゃる通りで」

 囮捜査と何ら変わりない。私の指摘に二十六木は少し気まずげにしたが、すぐに取り直して続きを口にした。

「まぁ、正直それは最終手段。命を奪う以外で、もっとタチの悪いことをしてくる彼方者が沢山いるからね。そういう時は、世界を丸ごとロスに食べてもらう」

「世界を、丸ごと……?」

 首を捻る。確かに、彼方者のいる世界は監獄のようなものだと話していた。だが、ロスが『食べる』とは何なのか。 

「そう。その為に必要なのが、『入り口』と『出口』なんだけど――」

 説明途中の二十六木の声が、乱雑な引き戸の開閉音に阻まれた。いつの間にやら辿り着いていた図書室に、ロスはあっさり乗り込んでしまう。

「お、おい……」

 部外者がそんな堂々と入っていいものなのか。見つかったら摘み出されそうなものだが。

 そんな懸念とは裏腹に、図書室は平穏そのものだった。

 3年生と思わしき幾人かの生徒が机に向かって勉強をし、カウンターには司書教諭がパソコンに向き合って座っている。誰一人としてロスに視線を向ける者はいない。

「……皆にはロスが見えないのか?」

「分かんない。でも、自分に何かの呪文をかけてる、とは言ってたよ」

 こそこそと話しながらロスの後を追って歩いた。少年は淀みなく図書室の一番奥の棚を目指している。

 利荘高校の図書室は、一般的に想定されるものよりもかなり広いといえよう。高い天井に大きな書棚が特徴的で、衝立付きの勉強机もそれなりの数がある。

 そんな図書室の棚の間を歩くうち、ふと私の足が止まった。

「どうしたの、二ノ宮さん」

 気づいた二十六木が、不思議そうに私の元まで戻ってくる。そして私の視線の先を見て

「あれ?流都じゃん」

 小さな声で名を呼ぶ。

 そこにいたのは笹浦流都。紛れもなく彼女だ。しかし、その様子に私は一瞬声をかけることを躊躇ってしまった。

 流都は、俯いたまま動かなかった。

 いや――動いていた。その手だけが。

 ページを繰る音が、妙に大きく聞こえる。一定のリズムで、まるで機械のように、ばさり、ばさりと鳴っている。彼女の目は文字を追っていない。ただ、何かを探すように紙面を滑っているだけだ。

 爪が、ページの端を掴む。

 めくる。

 また掴む。

 めくる。

 その繰り返し。呼吸をしているのかも分からないほど、彼女は動作だけに没頭していた。

「……流都?」

 笹浦流都がこんな顔をするのを、私は見たことがない。

 眉間に皺を寄せ、唇を固く結び、瞳孔が開ききったまま――まるで、溺れる人間が水面を探すような、そんな目をしていた。 

「流都!」

 思わず駆け寄り、肩を掴む。

 すると、そこでようやく我々の存在を認識したのか、流都は目を丸くした。

「あ……す、鈴子?どうしたの?」

「どうしたはこちらの台詞だ。……何をしていた?」

 私の問いかけに、彼女は小さく首を振って笑みを浮かべた。先ほどまでの緊迫感など微塵も感じさせない、いつもの笹浦流都だ。

「何って、調べものだよ」

「今朝の花か?」

「そうそう」

 何気ない仕草で本を棚に戻す流都。口調も表情も、もはや先程の決死さを思わせる要素は全てこそぎ落とされている。

「なかなか無いんだよね。鈴子も分かったら教えてよ」

「あ、あぁ、分かった……」

「てか、やっぱ二人でいるんだね〜。いつの間に仲良くなったの?」

 朗らかな笑顔を私と、背後に立つ二十六木に向けた。しかし、「いや」と言い訳をする前に、彼女はぽんぽんと私の肩を軽く叩き

「気ィつけるんだよ〜」

 と言って、猫のようにするりと私たちの横をすり抜けて行ってしまう。

 足早に図書室の出入り口に向かうあたり、逃げたと見て間違いないだろう。一体何故なのか、私には分からない。

「花を探してたの?」

「ん?」

 いつの間にか先程まで流都のいた位置に立っていた二十六木が、本棚の本を手に取ってこちらを見ていた。

「あ、いや、……正確には、花の名前だな。見た事のない花の写真を持っていて、その名前を知りたがっていた」

「ふぅん……」

 二十六木はどこか興味深げにぼやき、ぱらぱらと本を開く。彼が持っているのは、たった今流都が棚にしまったものだ。やけに分厚いその本の表紙を見せながら、二十六木は首を傾ぐ。

「じゃぁ、何でこんなの読んでたんだろ?」

 書籍には、大きく『海洋学』とあった。確かに、花を探していたにしては不可解だ。

「深海生物のようにも見えないことはなかったから……だろうか……?」

 今朝見せてもらった写真を思えば、まだ気持ちは分かる。

 だが問題は、彼女のあの表情と、いつにもない真剣さだ。

「おい、テメェら、寄り道してんじゃねぇよ」

 ひょこりとロスが棚と棚の間から顔を出した。口調の割に苛ついた様子が全くないので、もしかしたら一連の流れを彼も見ていたのかもしれない。

 しかし、ロスはすぐに顔を引っ込め、てとてと足音を立てて奥の棚へと向かっていく。

 私と二十六木は顔を見合わせ、無言でロスの後を追った。

 

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