アンノウン5
利荘高校前には500メートルほどの緩やかな長い坂があり、歩道沿いに植えられた桜並木から『桜坂』と呼ばれている。
その坂の麓にさしかかる頃、次は何を問いただそうかと思案していた私に、
「あれぇ?」
素っ頓狂な声が浴びせられた。道の反対側、横断歩道の向こうにいたのは甘夏心だ。
しまった、と、体を固めた時にはもう遅い。
「あ、おはよう、甘夏さん」
二十六木の呑気な挨拶に続け、私も何食わぬ顔で手を振る。
「おはよ〜! なになに、二人って仲良かったの? 二十六木君っていつも自転車通学だよね? なんで一緒に登校してるの?」
「ん? ああ、俺がちょっと二ノ宮さんにお願い事があってねぇ」
のんびりと答える二十六木の横で、私は冷や汗が止まらなかった。
甘夏心は典型的なゴシップ好き女子である。特に恋愛情報通を自称しており、火のないところに煙を立てる天才だ。稀に煙だけだったところから本当に火が出ることもあるが、このままでは我々が餌食になるのは間違いない。
「お願い事って?」
「まあ、それは色々……」
「二十六木君、オカルトの事について知りたがっててさ。私の検証動画を見てくれたみたいなんだよね」
ここで『色々』なんてぼかしたら、いくらでも邪推される。横から彼の言葉を奪い取り、堂々と嘘をついた。二十六木は一瞬驚いた表情を見せたが、何かを察したように頷いて口を閉ざす。
「……オカルトの話?」
「そう。男子の間で話題になって、聞いてこいって言われたんだって」
甘夏の表情があからさまに白けた。いや、これでいい。多少の嘘をついても、彼女に面白くないと思われても、これが最適なのだ。決して二十六木との誤解を受けたくないとか、恥ずかしいとか、そういう次元の話ではない。
甘夏心に『女子』と認識されてはならない。
それは私が悟った、平穏な高校生活を送るための条件の一つである。
「そっかぁ、てっきり二人が良い感じなのかと思ったのになぁ」
「いやいや、話したのも初めてってレベルだよ。ね?」
「そうだね」
二十六木は素直に頷いた。
すまん、許せ。決して君が嫌いで全力否定をしにいったわけではないのだ。まあ、全く気にしていなさそうなので、私としても気は楽だが。
「二十六木君もオカルト興味あるんだ?」
「そうだね、それなりに」
「怖いの得意?」
「あー、まぁ、割と得意な方かも?」
「えー! お化け屋敷とか頼りになりそう〜」
私と二十六木の間に入り、彼女は軽く彼の腕を叩く。二十六木はいつも通りの穏やかな顔をしていたが、鞄を持ち直した仕草を見る限り、ボディタッチは歓迎していないのかもしれない。
その後の会話はほとんど甘夏と二十六木によるもので、私は愛想よく相槌を打ったり、軽くツッコミを入れるに留めた。
教室に入る頃には私の存在はすっかり忘れ去られたようで、甘夏は二十六木に手を振り、上機嫌のまま席につくと、他の女子たちと会話を始める。
置いてけぼりを食らった我々は、教室の入り口で一瞬立ち止まっていた。二十六木がこちらを見下ろしている気配はあったが、私は視線を上げないまま小声で告げる。
「話の続きはまた後で。悪いんだけど、放課後に新聞部の部室前まで来て」
相手の反応を待たず、そのまま自分の席へ足を向けた。後ろから「はーい」と気の抜けた返事だけが聞こえ、彼もまた窓際の席へと去っていく。
と思いきや
「流都〜、昨日はありがとう〜」
そんな軽い二十六木の声が朝の教室の中で飛。私の席の一つ前に座っていた笹浦流都が振り向き、
「あーい」
と返事をした。
「あ、鈴子じゃん。おはよ〜」
「……おはよう」
挨拶を返しつつ、ちらりと甘夏心の席を窺う。瞬間、背筋に悪寒が走った。
甘夏心は。そして彼女と談笑していたはずの同級生たちは、こぞってこちらを見ていたのだ。正確には私ではなく、笹浦流都を。
その視線に含まれる感情が何なのかは、一瞬すぎて読み取れなかった。彼女たちは既にこそこそと会話を再開し、くすくす笑っている。
だが、それが先ほどのやり取りを――笹浦流都を詰っての笑いであることだけは理解できた。
――気味が悪い。
その仕草と状況を理解している者でなければ、決して分からない。薄らと、けれど確かに存在する悪意。
きっと彼女たちは気に食わなかったのだ。二十六木廉と笹浦流都が言葉を交わしたこと、そのものが。理由など私の知る由もない。ただ、『笹浦流都が何となく気に食わないから』以上の理由があるとも思えない。
「ねー鈴子、昨日なんかあったの?」
「ん?」
振り返った体勢のまま、流都は私の机に腕を組んで乗せる。その声に淀みはなく、甘夏たちの視線や会話は一切彼女に届いていないのだろう。私は胸を撫で下ろす。
「何かって?」
「いや、昨日の夜に廉から連絡あってさ。鈴子ん家教えてって」
「え、二人って仲良かったの?」
真っ先にこの質問が飛び出したのは、完全に先ほどの甘夏心に毒されている。が、流都はあっさりと「通ってる塾のクラスが一緒なんよ」と肩を竦めた。
「たまに話すくらいだけどね。でも、なんだかんだお互いあの塾長いから、顔馴染みではあるかな」
「そうだったんだ……」
「んで? なんかあったん? 結構夜遅くに連絡来たけど」
恐らく昨日、私を家まで送ってくれたのは二十六木だったのだろう。だが彼女がこう聞いてくるということは、詳しいことまでは話していないはずだ。
「あー、なんか忘れ物届けに来てくれたんだよね」
「わざわざ夜中に?」
「スマホだったからさ。困ってるだろうって届けに来てくれたんだ」
「へーぇ。まあ、やりそうではあるなぁ」
嘘をつくのが忍びなく、声が小さくなってしまう。だが流都は全く疑う素振りもなく「なるほどね」と納得した様子だった。
「あ、それより鈴子さ」
話は終わりとばかりに別の話題を切り出すのは、流都の得意技だ。彼女は我々の関係には全く頓着がないようで、自らの端末をいじりながら声を上げた。
「この花の名前、知ってたりしない?」
「え、花?」
急な単語を思わず繰り返す。流都は「そうそう」と軽い調子で画面を向け、一枚の画像を見せてきた。
「……花?」
画面に映っていたのは、暗がりに咲く一輪の白い物体。
花と聞かされて見れば確かに花だが、その姿はどことなく異様だった。
茎はなく地面に寝そべっており、雄蕊も雌蕊も見当たらない。花弁は薄く大きく広がり、中央にぽっかりと空洞が開いていた。ラフレシアの花弁を巨大なコスモスにすげ替え、真っ白に塗りつぶしたら、こんな見た目になるだろうか。
「知らない?」
ふと視線を上げる。そこで初めて気がついた。軽い口調とは裏腹に、流都の瞳がいつになく真剣なのだ。
「ラフレシア……とは違うよね。ごめん、分からないな」
「そっか」
残念そうではあるが、深刻そうではない声音。しかし先ほどの真剣な眼差しが気にかかり、私は食い下がる。
「スマホで画像検索してみた?」
「やったよー。でも分かんなかった」
「新種なんじゃない? 専門家に聞くとか、ネットで呼びかけてみたら?」
「あー……いや、これ拾い画だからさ。ネットで見つけて、何だろこれって思って聞いただけだよ」
「なんだ、そうなのか。ならAIの画像生成でそれっぽく作った写真とかも全然あり得るじゃん」
急に肩の力が抜けて、私は背もたれに背を預けながら言う。なんならその説が一番濃厚では、と口にしかけ、私は咄嗟に言葉を飲んだ。
「……そだね」
それは、あまりにも心許ない声のように思えた。それまで軽やかな調子を保っていた流都が、その一言だけ泣き出しそうな色を見せたのだ。はっとして再び彼女の顔を見る。けれど今度は、その表情こそがいつもの流都だった。
「あーあ、何なんだろうなー」
そう言いながら画面を閉じ、私の机に突っ伏す。
「……なんで名前が知りたいの?」
つむじをこちらに向ける流都に、私は静かに問いかけた。
「別に?」
ちらりと目だけが見えるように顔を上げて、彼女は笑う。私の知るいつもの顔。声。調子で。
「名前当てゲームしてるだけ」




