アンノウン2
「――ッ流都!!」
がばり、と身を起こした。視界がぼんやりとオレンジに染まっている。いつの間にか閉じていた目を開ければ、見慣れた掛け布団を握り込む自身の手が視界に映った。
じとりと首筋から汗が流れ落ちる。耳には朝にしか聞かない鳥――確かイソヒヨドリとか言うヤツ――の囀り。目には朝日としか思えない白い光が届いており、私は大きく息を吐き出した。
「縁起でもない……」
夢だ。けれど、あまりにも現実な夢。恐怖のあまり、起床直後から思考がフル回転している。
私はごそごそと布団から這い出て、充電コードに繋いであったスマホを取り上げた。
5月12日木曜日6時29分。画面を確認した直後に鳴り始めたアラームを秒速で切る。
「鈴子ー、ごはーん」
「はぁーい」
母屋から聞こえてくる母の声に大声を返しながら、私は着ていた制服を脱ぎ、パジャマに着替えた。
「……ん?」
まて、逆だ。やはり寝ぼけているらしい。平日の朝なのだから制服に着替えねばならない。だが、私はもともと制服を着ていた。数秒思考を巡らせて、はたと思いつく。
「お母さん!!」
「うわ!びっくりした!」
ドタドタと廊下を走り、居間の引き戸を一気に開けた。そこでは母と祖母、それから兄が食卓についており、全員目を丸くしてこちらを見ている。
「私!昨日どうやって帰ってきたの!?」
「はあ?そんなん私が聞きたいわ。陸、どうなの?」
母に視線を向けられたのは、兄の陸太郎だ。兄は「あー……」と至極眠たそうに目を擦って
「知らんよ、そんなん……」
などとむにゃむにゃ言っている。「お兄ちゃん!」と強く呼びかけるが効果は薄い。
「いや……、わかんないって、俺も。お前、昨日の夜玄関で寝てたんだもん」
「……玄関で?」
うん、と気の抜けた返事が返ってくる。
「いつだったか覚えてねーけど、母さん達がうだうだ言ってなかったから、21時半とかかなぁ。ピンポーンって聞こえて出てったら、お前が涎垂らして寝てたんだわ」
「涎?!」
思わず口元を擦る。垂らしてないとの反論はちょっと難しそうだ。
「疲れてんのかなと思って、そのまま部屋に放り込んだ」
「そ、……そっか。ありがとう」
「うぃ」
白米を箸で口に運びながら、さして興味なさげに応答する兄。母は「アンタ、また終電で帰ってきたの」と呆れ調子だ。
良くも悪くも放任主義気味な我が家では、22時の終電――電車ではなくディーゼル車だが――を超えない限り、お咎めが入ることはない。何せ夜遊びできる場所もなく、不審者よりも熊の方が目撃率の高い田舎だ。私が素行不良を起こす事を、家族全員が一切想定していないのである。
「あんた、風呂入ったの?」
「う、ううん……」
「じゃ、ご飯食べる前にシャワーだけでも浴びてきんさい。髪がもうぐっちゃぐちゃ」
「う」と頭を抑えた。慌てて自室から下着を引っ張り出し、制服を引っ掴むと、風呂場へ飛び込んでいく。鏡に映った私の頭は確かにとんでもない寝癖がたっていて、大急ぎでシャワーを頭から被った。
「鈴子ー」
「んー?」
しばらくして、脱衣所の方から声が聞こえる。気怠げなあの声は兄のものだ。
「どしたー?」
「お前、大丈夫なん?」
「え?」
浴室の扉越しに、私は兄の影を凝視する。
「何が?」
「何がって……お前、一昨日も倒れただろ。昨日はぐうぐういびきかいて気持ちよさそうに寝てたから部屋運んだけどさ。具合悪いなら病院行くか?」
成程。確かに兄目線、私は2日連続でぶっ倒れた妹だ。だが、その原因は完全に恐怖からくる心労で、身体自体はぴんぴんしている。
「具合悪いわけじゃないよ。新聞部の事でちょっと根が詰まって疲れただけ」
はぁ、と大仰なため息が聞こえた。
「なら良いけどさ。……幽霊探しもほどほどにしろよ」
「はぁい」
ガラガラ、と音がして、脱衣所の引き戸が閉まる。
うむ、我ながら良い兄を持ったものだ。
6つ上の兄である陸太郎は、私に理解のある優しい兄だ。多少ノリの良過ぎるところはあるが、私はそんな兄を昔から慕っているし、兄もよく私の面倒を見てくれる。
人生の夏休みと呼ばれる時期を謳歌しつつ、兄は私のオカルト検証に度々付き合ってくれていた。車を出す事も厭わない彼には、感謝こそすれ文句などあろうはずもない。
日頃の感謝を胸に居間に戻り、私はぼんやりとテレビを眺める兄の隣で食事につく。
「あ、ごめん鈴子。オレ昨日ドラクエ11やってたら、お前のデータの上からセーブしちまった」
「は!?今すぐ歯を食いしばれ!?」
「ぐぇーッ!!おい歯食いしばれって言いながら腹パンすんな!飯食った直後だこっちは!」
「ちょっと、暴れないでアンタたち」
まあ、たまにこういう事もあるが、我々は概ね仲が良い兄妹だ。




