コントラルト=女声の最低音域
手ノ塚司
あぁは言ったけど、片付けるものなんてない。
せいぜいソファのクッションを整えて、テーブルの上をから拭きする位だ。
仲間内でよく宅飲みとかするから、綺麗にするのを心掛けている。
浴室の方からボイラーが稼働する音が聞こえてきた。横河さんはちゃんとお湯出せたみたいで良かった。
BGM代わりのテレビをつけて、俺はキッチンに行って、グラスに氷と麦茶を入れてマドラーでかき混ぜた。
横河さんの風呂上がりのドリンクだ。
横河さん。良い子だったな。最初に挨拶した時はつま先から頭まで値踏みされたけど、まぁ、ああいう場だったら普通。俺と話をしてる時も俺や周りに目を配って皿やコップの空き具合チェックしてて、話にも積極的に入って盛り上げてくれたのが好印象だ。
エプロン、俺の趣味だけでなく話題作りも兼ねていつも着けてるけど…ちゃんといじってくれた。
これは後でエプロンコレクションを披露しないと…
自然に笑みがこぼれる。
時間は短かったけど、良い時間を過ごすことが出来た。
良い時間…あそこであの親子を助ける為に走らなかったらまだ皆で河原で呑んでただろうか。
結局空気を壊したことになる。
真澄と雄太朗は大丈夫だと思うけど、女性陣は不快に思っていないか心配ではある。
でもな…声が聞こえたら、俺しか助けられるのがいなかったら走るだろう、泳いで助けるだろう。
服を着て泳ぐのは地力で大丈夫だったけど(きつかった)、沈んだ父親は正直手遅れだった。
沈んで力無く川に流される父親。でも、さっき助けた子供がずっと「僕よりパパを助けて」とか涙出そうな事を言うもんだから…ねぇ?
だから…あまり使いたくなかったけど魔法を使わなきゃいけなかった。
水中で呼吸ができる魔法と蘇生の魔法を使った。
極力魔力が目立たないように使ったけど…視界の悪い川の中の出来事だけど、判る人には判る。
見られたら面倒な連中いるからな…
でも、あの子と母親の泣き笑い…良かったよな…
さておき、あの時の横河さん、勘が冴え渡ってたな。最初の雑談では正直営業トークで彼女の勘について褒めたけど…マジだったもん。
何か、会ったばかりなのにバディみたいに感じてあの時はマジでぶるった。
見た感じ霊感強そうだから、そういう素質はあったのかもしれない。
そうそうあんな機会は無いだろうけど、仲良くしたい。
ボイラーの音が止まった。
やがて、洗濯機の乾燥機が動く音が聞こえる。
そろそろ終わる頃だろうか。良い加減俺も暖まらないと風邪ひきそうだ。
あいつらが来る前にシャワー浴びれたら良いんだけど…
うちで飲み直すんだろうから準備したいな。
ややあって、浴室のドアが開く音が聞こえたので麦茶を持って待ってたら…髪まで濡れたすっぴんの横河さんがドライヤー片手に居間に入ってきた。
「お疲れ様」
「ごめんなさい先にお湯をもらっちゃって…ありがとうね」
湯上がりで俺のスウェットを着た横河さん…可愛かった。冷えた麦茶を差しだしたら、一気に呷る。
「髪、乾かして出てくれば良かったのに」
「あはは、そこまで待たせられないよ」
気を使ってくれたみたいでありがたい。
「もし、髪乾かして暇だったら、あの部屋…銀色のリースみたいなのかけてるドアの部屋に漫画とかあるから好きに読んでて良いよ」
客人は退屈させたらいけない。
はーい、という横河さんの返事を背中に聞いて俺はお風呂場へ。
脱衣場、浴室…綺麗に使ってくれている。男連中とは大違いだ。
40度の熱めの温度でシャワーを浴びる。
『司』
アルトより低い、コントラルトの綺麗な低音が脳内に響く。
『お~お疲れ様!代打ありがとうね』
2つ目の世界からの付き合いになる、部下の舞希流からの念話だ。
185cmの俺と同じ背丈の長身クール系の美女。
異世界に行くときは必ず彼女が着いてきてくれる(一緒に呼ばれる)から…異世界換算だともう何百年の付き合いになる。
愛想も尽かさないでよく俺なんかに着いてきてくれるよ。
『司が救助したご家族の搬送の見送り、警察の聴取等終わりました。後程司に警察から連絡が行くかもしれません』
『え?なんで?』
『感謝状、です』
『あー…辞退しよ』
ニュースとかで時々やってるアレだろ?
あぁいう場は苦手だ。
『私がでましょうか?』
口調が平坦でクールなノリに反してこの子は案外目立ちたがりな所がある。
『それなら電話きたら受けておくわ』
『ありがとうございます、では』
『うん、ありがとうね~』
念話終了。俺はシャンプーを洗い流した。
川で子供と父親を助けた後、俺は俺の姿をした舞希流と入れ替わった。
彼女の魔法だ。霞のように現れて自然にそこに居たように振る舞う事が出来る魔法。
普通の人には判らない。霊感が強い人なら一瞬ぶるっと来るくらいの僅かな魔力しか漏らさない。さすが舞希流といった所だ。
彼女は汚泥の精霊。
綺麗な水にもなれず、かといって岩のように硬くもなれない中途半端な位置の精霊。
卑屈な性格が多い彼等だけど、彼女は違った。
己に自信を持ち、汚泥の精霊という状況を受け入れて自己を研磨することに命をかけ…1国をその身で包み込んで押し潰すようになるまで自身を鍛え上げた。
で、そのドーム状の彼女の体を俺が押し潰したのが出会ったきっかけ。
潰した国の宝物に用があったのだけど…俺の攻撃で息も絶え絶えになっても尚、鋭く睨み付ける彼女のガッツに心惹かれて仲間に引き入れた。
俺は魔王的な存在なので自分の魔力を誰かに渡して配下にすることができる。
渡された相手は魔王の魔力でパワーアップするらしい。
俺が魔力を彼女にあげたことで、結果として彼女は汚泥の精霊という枠を超えて、その世界の魔法を全て使いこなし、俺の右腕になるまで上り詰めた。
勿論、それは俺と一緒に自己研鑽を続けた結果だ。男と女(の精霊)なので爛れた関係もあった。俺を受けとめ続けたことも彼女の底力を向上させた要因かもしれない。やればやるほど彼女は強くなっていったのだ。まぁ、俺も当時は血気盛んな高校生だったし。
俺が魔力を何度も与えたからか、2個目の世界を滅ぼした後に彼女は俺の世界に一緒に来ることができて、3個目の世界以降は彼女も同行できるようになっていた。
長い間一緒に居て、何度も肌を重ねた。
だから俺は舞希流を恋人やパートナーみたいに考えていたのだけど、彼女は部下であり腹心という立ち位置を頑として変えようとしなかった。
ようやく最近俺の名前を呼び捨てに出来るようになったかな。
とりあえず早く結婚しろ(自分以外の女と)、異世界換算何百年もずーっと、俺に抱かれてる時も言ってくる。
俺も彼女の強固な意思を尊重できるようになったのは、5回目の世界を滅ぼした辺りかな。
こっちで彼女以外の人を好きになって、愛してると言ったらきちんと応えてくれて、別れて、また別の人に出会って…舞希流に出来ない分、他の女の人には優しくして、優しくしすぎて向こうが付けあがってしまって、俺が疲れて別れる事もよくあった。
けど、俺が挫けて壊れなかったのは舞希流だけは付かず離れずどんな時も一緒に居てくれて…俺に好きだと愛してると言ってくれたからだ。
でも、依存する事は許さないとも…俺が幾ら踏み込んでも踏み込んでも頑なに拒む舞希流。
数百年も押し問答をしていたらある時期、ようやく大事なパートナーだと思えるようになった。
異世界でもこちらでも彼女と体を重ねたりするけど、好きの質が違うようになった。
歪だとは思う。
歪だけど、信頼と信用、愛がある不思議な関係。
誰にも言えないよな…これは。
舞希流はこっちの世界では俺の家の近所にアパートを借りて、夜にはバーテンとして働いている。火のついたボトルを振り回してカクテル作ったり派手なパフォーマンスばかりしてる。
今度横河さんや皆を連れて行ってやりたいな。
あっ、そうだ…横河さんが独りだったことを思い出して、ちゃっちゃと体を洗って風呂場を出た。
居間に横河さんはいなくて、先程案内した書斎に彼女はいた。