晴風と琴乃
鮫川さんの言葉を聞いて、美優は返す言葉が見つからなかった。
でも、掴んでいた手は、離すことが出来ずにいた。
そうしていると、美優の後ろにいた晴風が、歩き出し、鮫川さんの前に立つと、首に両腕を回し、ギュッと抱きしめた。
「この奥に逃げるなんて、許さない。
あんたに虐められた、私の気持ちはどうなるの?」
晴風に抱きしめられ、鮫川さんはビックリして、言葉を失っていた。
「ここまで来るまでに、色んな悪口を聞いた。あれは、あなたが受けてきた言葉なんでしょ?」
それを聞くと、鮫川さんはビクッとなった。
「なんで…。」
そして、消え入りそうな声で、答えた。
「最初は、私への言葉なのかと思ってた。
でも、話してる人の数が違ったし、内容が全然違った。
恐らく…私よりもっと、もっと、酷い言葉、たくさんかけられたんだよね。」
そう言われた鮫川さんは、目を瞑った。
目頭が震え、今にも溢れ出しそうな涙を、必死で堪えていた。
「ねぇ、狐さん。
ここは、誰かの心の中を、見せてくれる場所なの?」
晴風が、狐に話しかけた。
「ご名答。
むろん、最初に入った者の心を、写し出している。」
「ってことは、私たちより前にいた、鮫川さんの心の中って、ことだね。」
その言葉を聞いて、鮫川さんは、ダムが決壊したように、泣き出した。
膝から崩れるように座り込み、声を上げて泣いた。
美優も、静かにしゃがむと、鮫川さんの背中を、優しくさすった。
数々の罵詈雑言を聞いて、それを肌で受けてきたから、どれほど辛かったか、痛い程分かった。
『辛かったね』と声をかけるのも、軽く聞こえてしまいそうで、言葉に出来なかった。
だから、ただただ、背中をさすっていた。
「逃げていいと思う。」
そう話し出したのは、晴風だった。
鮫川さんは、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、晴風のことを見た。
「逃げてもいい、でもさっきみたいに、人でも神でも何でも無くなるのは、ダメだよ。
私は、あなたにされた事、きっと、一生忘れられない。
でも、あなたを許そうと思う。
許せるか分からないけど…。
だから、あなたは、私を虐めたことを忘れないで、背負って、人として生きていって欲しい。」
鼻をすすり、涙を拭いながら、鮫川さんは、コクコクと頷いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
そして、
「ありがとう。」
鮫川さんは、今までの悲しみを、全て洗い流すように、泣いていた。




