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スナッチ!  作者: 迎ラミン
第五章 キャッチ
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第五章 キャッチ 5

「重量五十キロ、ゼッケン七番、村中夕陽選手。四十五キロ級、小野原高校、三回目。次はゼッケン十一番、平山選手です」


 コールが流れた途端、応援席がざわついた。「おお」という声や「マジで?」という言葉が聞こえる。そんな中、口火を切ったひときわ大きな声は、バナナを持った高校チャンピオンのものだった。


「すごーい! 夕陽ちゃん、勝負に出たねー! 頑張ってねー!」


 亜由の言葉をきっかけに、今日一番の声援がステージ上の夕陽に浴びせられる。


「かっこいい! ユウヒちゃん!」

「ユウヒさん、絶対いけますよ!」

「いこう、ユウヒちゃん!」


 重量を落としての試技が禁止されているウエイトリフティングにおいて、失敗試技のあとの戦略は大事な要素の一つだ。確実性を重視して、そのままもう一度同じ重さにチャレンジすることもあるし、さらに重量を上げて勝負に出る場合もある。夕陽が選択したのは後者、しかも自己ベスト更新にチャレンジするという思い切った選択だった。成功した第一試技から計算すれば四キロもの増量である。


 あたしは、行けるんだ!


 タンマグを手にまぶした夕陽は、もう一度「お願いします!」と大きな声を出した。

 すると答えるようにして、応援席の一角から新しい声援が湧いた。


「夕陽ちゃん、頑張って!」

「良かった、間に合った!」

「村中先輩!」

「!! みんな!」


 ずらりと並ぶのは沢山の、それもよく知る笑顔だった。見慣れた制服やチームウェアのポロシャツを着た彼女たち(・・・・)が、大きな横断幕を掲げている。


《いけるよ! 小野高ウエイト三人娘!》

「あたしたちの師匠なんだから、大丈夫!」

「いつもの凄いスナッチ、見せちゃえ!」


 トレーニングとしてウエイトリフティングを教える、女子運動部の面々だった。きっと休日だったり、午後からの試合や練習があったりするにもかかわらず、来てくれたのだろう。


「みんな……ありがとう!」


 彼女たちに頷いてみせた夕陽は、列の端に一人だけいる男子にも目を向けた。

「トレ室の侍」が、やはりほころんだ顔で頷き返してくれる。

 ウエイティングエリアにも、自分と繋がって、支えて、受け止めてくれる大好きな仲間たちの力強い笑顔が見える。


「トモシン。先生。鈴。マリー。亜由ちゃん」


 勇気をくれる呪文のように、夕陽は五つの名前を口にした。手のひらが、胸が、心が、すべてが温かい。熱い。もう最前列のおばさんコンビは気にならなかった。視界にすら入っていなかった。


 笑顔のままシャフトに手をかけ、目を閉じる。


 あたしは、ううん、あたしも。みんなが、ウエイトが――。


「夕陽さん!」


 トモシン。両手がもっと熱い。スタートポジション。


 ――好きだよ!


「夕陽!」「アレ、夕陽!」


 鈴。マリー。胸が、心が燃える。ファーストプル。


 ――これからも!


「夕陽ちゃーん!」


 亜由。視界の片隅に黄色が踊る。スクープ。


 ――大好きだよ!


「いけ! 夕陽!」


 稲城先生。身体の動きがわかる。感じる。この人が認めてくれたコーディネーション。自分の武器。セカンドプル。


「せえええいっ!!」


 支えてくれるすべてと一緒に床を圧したとき、銀色の閃光がきらめいた。皆から教わった、授かった、あの光と快感がふたたび夕陽を包み込む。


「やった!」

「ナイス、夕陽!」

「アレ! 夕陽!」

「夕陽ちゃん!」

「よしっ! 立て、夕陽!」


 仲間たちそのもののように、夕陽は大切に、笑顔で、上げたことのない重さのバーベルを受け止めていた。美しいキャッチ。

 そして。


「ありがとう、みんな!!」


 応援席一杯に響き渡る声とともに立ち上がった数瞬後、高らかなブザー音が鳴り響く。三つの白ランプとともに、審判員たちも笑っている。


 アリーナ中が、この日一番の大歓声に包まれた。


「すっごーい!」

「かっこいい!」

「ユウヒちゃん、最高!」


 デビュー戦でここ一番の大勝負を成功させた夕陽の姿に、すべての応援席はまるで優勝が決まったかのような盛り上がりである。

 自分自身もガッツポーズをつくりながら、「ありがとうございました!」と夕陽がプラットフォームを降りようとしたとき。


 最後に亜由の声が届いた。


「おめでとう、夕陽ちゃーん! スナッチしながら彼氏さんに告白なんて、やるー!」

「ち、違うよ!」


 アリーナがもう一度湧く中、想いが口に出てしまうヒロインは、真っ赤になってステージを駆け下りていった。




 表彰台は、よく見るとお馴染みのものだった。

 自分たちもトレーニングで使う、ジャンプや昇り降りの動作をするためのボックスを段違いに三つ並べ、1から3の数字を紙で貼りつけてあるだけだ。


「なんか普通なんだね」


 亜由を挟んで、反対側に立つ鈴が笑っている。


「でも、チョー気持ちいいです」


 もう一つの表彰台、それも一番高いところからマリーもご機嫌な表情を向けてくる。


「うん!」


 夕陽もにこやかに答えたタイミングで、カメラマンの声がかかった。


「じゃあ皆さん、目線こっちでお願いしまーす!」

「ウイウイ」


 マリーは慣れた様子でそちらを向き、首にかけられたメダルを掲げたりもしているが、鈴と夕陽は逆に引きつったような笑顔になってしまった。二人のぎこちない姿に、応援席の稲城先生とトモシンが苦笑を向け合っている。


「赤木さんと村中さん、もうちょっとリラックスしてもらって大丈夫ですよ」


 カメラマンにまで笑われてしまった。ますます恥ずかしい。


「わ、わかりました! 頑張ります!」

「ポニ子ちゃん? それ、余計に緊張しないー?」


 リラックスとは正反対の返事をする鈴に、一段上、1の数字がついた場所から無邪気に尋ねるのは言うまでもなく亜由である。もちろん彼女の顔も明るい。

 高校女子ウエイトリフティング・県新人大会の表彰式は、和やかな雰囲気に包まれて進行していった。




 あのあと、勢いづいた夕陽はクリーン&ジャークでも見事六十キロの自己新を記録し、トータル百十キロという記録を残すことができた。親友に続けとばかり、鈴もすべての試技を成功させる「パーフェクトゲーム」で、トータル百十四キロの自己新記録を樹立し亜由に続く二位、さらには夕陽と競っていた江原選手が結局トータル百五キロだったため、なんと四十五キロ級は夕陽自身も三位に食い込めたのである。


 加えて四十九キロ級でも、稲城先生の予想通りマリーがやはりパーフェクトゲームで見事優勝を飾り、小野高女子ウエイト部にとっては最高のデビュー戦となった。

 競技者数が少ないため団体戦はさすがになかったが、いずれにせよ三人揃ってメダルを手にしているという事実が、夕陽には夢のように感じられる。


「え? あたしも……ですか?」


 順位が確定した時点で、「三人ともおめでとう。よく頑張った!」と、稲城先生に背中を叩かれたが、まるで実感が湧かなかった。


「やったよ夕陽! あたしたち、表彰台だよ!」

「夕陽! ヌ・ソム・メダイエです!」


 鈴とマリーにふたたび美少女テロで抱きつかれたときも、ぽかんとなったほどだ。

 その後、順当に優勝を決めた亜由にバナナをもらい、トモシンにもう一度手を取られ、芦田先生にも「おめでとう。凄いわね!」と声をかけられ、さらには他校の選手たちからなぜか写真撮影をせがまれるなどする中で、夕陽はようやく自分たちが成し遂げたことの大きさを自覚した。湧き上がる人々の隙間から、二人のおばさんが逃げるように会場を立ち去る姿が見えたが、そんなものよりもっと大切な何かを手に入れたのだと実感する。


 トータル百十キロ。四十五キロ級県三位。秋の『レディースカップ』をはじめとする全国大会の参加標準記録も突破。鈴、マリーとともにその『レディースカップ』への出場も、ほぼ確実。


「あたしが全国……」

「違うでしょ、夕陽」

「私たちが、ですよ。レキップ、チームなんですから」

 いつかと同じような親友たちの笑い声が、夕陽にもう一つの声も思い起こさせた。


 ――二―Bの村中だろう? 体操部の。君なら、きっと行けるぞ――


 あの日、コーヒーと稲城先生の笑顔に釣られて入ったトレ室。そこにいた二人の美しい同級生。好きになるなんて思ってもみなかった「トレ室の侍」と呼ばれる男の子。有名人なのにちょっぴり天然で、いつもバナナを持っている新しい友人。

 世間ではマイナーな、バーベルを持ち上げるだけの競技。自分からやりたいなんて言う女の子はほとんどいない、ちょっと変わったスポーツ。


 けれども自分はウエイトリフティングに出会って、こんなに素敵な人たちと知り合って、こんなに素敵な時間を過ごせている。あのままずるずると体操を続けていたら、きっと手に入らなかったはずの大切な宝物だ。


「あたし、行けるんだ」


 これからも、楽しくて充実した日々に。大好きな人たちに囲まれる毎日に。

 いつものように想いが口からこぼれたタイミングで、マイクを手に近づいていた係員が「おや?」という顔になる。そういえば表彰者は何かひとこと、会場に向けてコメントをして欲しいと言っていた。


「四十五キロ級三位の小野原高校、村中夕陽さんです。今、行ける、と仰いましたが? 標準記録も突破しましたし、やはり全国へという意味ですか?」

「え? あ、えっと……」


 応援席からも一斉に視線が届き、夕陽はまた緊張してきた。何か気の利いたことを喋った方がいいのはわかる。でも、何を話せばいいんだろう? まさか、稲城先生のコーヒーに釣られてウエイト始めました、なんて言うわけにもいかないし。というか、それでは「行ける」の答えになっていない。


 ああ、どうしよう……。


 赤くなって俯いた視線の先に、彼がいた。


「あ」


 ポロシャツの似合う精悍な顔が。優しく自分を見守っている。一時間ほど前に握り合った両手が、また温かくなった。

 頬を染めたまま、「うん」と頷いた夕陽の唇が自然に動きだした。そう。行けるのは、とりあえず――、


「水族館!」

「え?」

「夕陽?」

「クワ?」

「夕陽ちゃん?」


 シーンとした静寂の後、仲間たちの怪訝な声で夕陽は我に返った。


「あ、その、ち、違うんです! こっちの話で、えっと、百五キロ以上成功したら彼氏……じゃなかった、もうすぐ彼氏になってくれるかもしれない人と水族館でデートして、深海魚で手ぇ繋いで、それで――」


 失敗試技のとき以上にパニックを起こす姿に、周囲が笑いに包まれる。ただ一人、恥ずかしそうに俯いているのは、言うまでもなくトモシンである。


「しまった。さすがにインタビュー対応のトレーニングは、してなかったなあ」


 笑いながら、稲城先生が大きな声で助け舟を出してくれた。


「夕陽! ウエイト始めて良かっただろう? 行けた(・・・)だろう?」


 同じ表情で鈴とマリー、亜由、そして気を取り直したトモシンも、にっこりとこちらを見つめてくる。


「あ、はい!」と返した夕陽は、堂々と胸を張って宣言した。

「行けました! ウエイトもみんなも、大好きです!」


 弾ける笑顔を映して、そばに置かれたバーベルシャフトがきらりと輝いた。





  Fin.

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