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スナッチ!  作者: 迎ラミン
第五章 キャッチ
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第五章 キャッチ 3

 四十五キロ級の出場選手は全部で六人。一階級上の四十九キロ級の四人、さらに七十六キロ級、プラス七十六キロ級の一人ずつと合わせての十二人全員で、スナッチ、クリーン&ジャークとも申告重量が軽い順に試技を行なっていく。まずはスナッチからだ。


 スクリーンに映し出された進行表によれば、スナッチ一回目で四十六キロを申告している夕陽は三番目、五十キロの鈴は上位と言っていい八番目、五十二キロのマリーに至っては九番目の順になっている。言うまでもなく、最終十二番目は亜由である。

 ただ、夕陽の前に試技する二人は一年生だし、三十キロ台という一回目の数字を見る限り、彼女たちが二回目以降に四十六キロを越えた数字を申告する可能性は低い。なので実際には、自分の第一試技は七番手以降にずれると思われた。必然的に鈴とマリーも後ろ倒しされて、間違いなく十二~十三番手よりあとの登場だろう。


 稲城先生によれば、これが全国大会などだと各都道府県からの精鋭が集まるので、階級によっては二十人以上、仮に棄権などがあったとしても、スナッチだけで六十回近い試技数になったりするそうだ。順番が前後するこうした状況下で、自分の出番に合わせて集中力を高められるかどうかもまた、ウエイト選手として大切な能力なのである。

 いずれにしても「おまえらは県内の女子高生で、十本の指に入る力持ちってわけだ」と先生は楽しそうに笑っていた。女子として喜んでいいのかどうかは、微妙なところではあるが。


「ウエイトリフティング高校女子新人大会、スナッチ試技を開始します。重量三十五キロ、ゼッケン三番、飯島さき選手。四十五キロ級、栄学園、一回目。次はゼッケン四番、保高選手です」


 会場中の緊張感が高まる中、ついに最初の選手がコールされた。

 後方のスクリーンには引き続き全選手名と試技重量、及び結果の一覧が、ステージ上のアテンプトボードには、実際に試技をする選手名とバーベルの重量が表示され、三十秒の制限時間がカウントダウンされていく。二ヶ月前に見た県予選とまったく同じ光景だった。


「この前と一緒だね」

「ウイウイ。セ・ラ・メムです」


 鈴とマリーも同様の感想を口にしている。些細なことだが、こんな部分もますます三人を心強くさせてくれる。


「お願いします!」


 ぴょこんと頭をさげて、最初の選手がプラットフォームに駆け上がった。一緒に採点制競技会に合格した栄学園の一年生、確か「さきちゃん」と亜由が呼んでいた選手だ。


「いけるよ、さき!」

「自信持っていこう!」


 例によって応援席やウエイティングエリアから、チームメイト以外からのものも含む声援が上がる。夕陽たちもすかさず、「頑張って!」「しっかり!」と大きく続いた直後。

 もはやお約束のように、若干間延びしたよく知っている声が続いた。


「さきちゃーん! 今日も笑顔だよー! 怖い顔だともてないよー!」


 見るまでもなかったが、亜由がみずから笑顔になって、ぶんぶんと両手のバナナを振っている。どっと湧く笑い声に包まれて、プラットフォームに乗ったさきちゃんも、リラックスできたようだった。

 彼女がバーベルに手をかけたところで、あらためて会場が静まり返る。


「えいっ!」


 バナナのご利益かどうかはさておき、さきちゃんのスナッチ一回目は見事に成功した。

 学年こそ違うが採点制競技会をともに合格した、言わば同期選手の幸先良いスタートに、夕陽たちも笑顔が浮かぶ。


「ナイスファイッ!」

「次もいこう!」

「シュペール! さきさん!」




 さきちゃんともう一人、やはり同期選手の保高という一年生は、やはりスナッチの三回とも、四十六キロ以下での重量申告だった。彼女たちの試技が順調に進行し、次が終わればいよいよ夕陽となったとき。


 ドスンというバーベルが落ちる音とともに、「ああ~っ」という声が応援席から漏れた。

 プラットフォーム上では保高選手の背後で、キャッチし切れなかったバーベルが小さく弾んでいる。この日最初の、そして夕陽たちにとっては同じ出場者として初めて目にする、公式戦での失敗試技だった。


「ありがとうございました!」


 失敗した保高選手は一瞬だけ唇を噛み締めたが、学校を問わず周囲からかけられる、「大丈夫、切り替えよう!」「次、取り返そう!」という声援のお陰もあって、すぐに立ち直ったようだった。しっかりと挨拶してからプラットフォームを降りてくる。こういうフォローは本当に心強いだろうし、選手仲間としても誇らしい。


 とはいえ、眼前で失敗試技を見てしまうと、やはり胸の鼓動が大きくなるのを感じるのもまた事実だ。

 そして。


「重量四十六キロ。ゼッケン七番、村中夕陽選手。四十五キロ級、小野原高校、一回目。次はゼッケン九番、()(はら)選手です」


「よし! 行ってこい、夕陽!」

「は、はいっ!」


 稲城先生にバシッと背中を叩かれて、夕陽はドキドキしたままステージへと向かった。


「お願いします!」


 大きな声で一礼。手は震えていない。まわりも見えている。けれども心臓の音が消えない。どこか他人事のように鼓動が耳に響く。


 ドクン、ドクン……。落ち着け、あたし。落ち着いて、あたしの心臓。ドクン、ドクン……。

 ぎゅっと目をつぶった刹那。


「夕陽!」「アレ、夕陽!」


 聞き慣れた声が、重なって耳に飛び込んできた。振り向くと二人の親友が、ウエイティングエリアで両手を握って微笑んでくれている。自分たちの第一試技だって控えているのに、そんなことよりも今は夕陽が大切だと言わんばかりだ。

 すぐそばには、バナナを振る亜由の姿も見える。


「夕陽ちゃーん!」


 気を取り直し、三人に頷いてみせた夕陽は正面へと視線を移した。


「まず一本! 夕陽さん!」


 応援席の端、力強い視線を感じた先からの声。トモシンだ。握り合った手の感触が甦り、ドクドクと感じられるばかりだった胸の鼓動が、すっと落ち着いていく。

 滑り止めのタンマグを手のひらにまぶしながら、夕陽の顔はいつしかほころんでいた。


 もう大丈夫。あたしにはこんなに素敵な仲間がいる。みんながそばにいてくれる。


「ありがとう!」


 つぶやいてプラットフォームに上がった姿は、ほんの百日ほど前に競技を始めたばかりの選手、と言っても誰も信じないだろうと思えるくらい堂々としていた。

 すると、なんと仲間たちに続けとばかりに次々と声援が飛んできた。


「頑張ろう、ユウヒちゃん!」

「ユウヒさん! デビュー戦、決めましょう!」

「ユウヒちゃん、しっかり!」


 ユウヒという語呂がいいのか、他校の選手たちまで名前で呼んでくれている。小野校女子ウエイト部がデビュー戦ということも、わかっているようだ。ますます心強い。


「ありがとう、みんな!」


 もう一度、審判員に聞こえるほどクリアに感謝を口にした夕陽は、ついに生まれて初めてのウエイトリフティング公式戦試技に入った。


 バーベルに手を添え、しゃがみ込む。

 ひんやりとしたシャフトが、身体の一部のように手のひらに馴染む。

 目を閉じて深呼吸。もう一度集中。

 仲間たちの声も、温かい歓声も、周囲の音がすっと消えていく。暗闇の中で残るのは、自分の手足とバーベルが一体になった感覚だけだ。


 いける――!


 目を開けると同時に、夕陽はバーベルを持ち上げた。

 シャフトが上昇し、デッドリフトの姿勢を取った脛のあたりをすれすれで通過する。


 ここっ!


 一瞬だけ膝を緩めてスクープの動き。その反動を利用し、全身全霊を込めて強く強く床を圧す(・・)


「せえいっ!」


 四十六キロのバーベルが、銀色のきらめきとなって身体の前を駆け上がっていく。すかさず稲城先生直伝の素早いキャッチ。頭上に納まる、ずしりとした量感。

 完璧なタイミングだった。


「夕陽!」

「トレ・ビアン、夕陽!」

「いいぞ、夕陽!」

「オッケー、夕陽さん!」


 仲間たちの声がはっきり聞こえて、思わず笑みがこぼれてくる。


「よし、立とう!」

「はいっ!」


 稲城先生に力強く答えた夕陽は、「せいっ!」とふたたびの気合とともに、仁王立ちになってみせた。足下もまったくふらつかない。


「ナイス!」

「すごーい!」

「めっちゃ綺麗なフォーム!」


 応援席全体から大きな歓声が湧いている。第一試技、四十六キロ、成功。

 ブザーを聞いたところでバーベルを下ろすと、称賛の声を割ってアナウンスが届いた。


「成功です。次はゼッケン九番、江原選手です」

「やったあ! 超気持ちいい!」


 トレ室で初めてスナッチしたときと同じ台詞のあと、夕陽は慌てて「ありがとうございました!」と一礼してステージを降りた。そのまま脇に控えている競技委員に、「次、四十八キロでお願いします」と申告しておく。


「ナイス、夕陽!」

「フェリシタシオン!」


 ウエイティングエリアへ戻った途端に、鈴とマリーが抱きついてきた。今日ばかりは美少女テロを、それも二人揃ってされてもまったく気にならない。


「ありがとう! 鈴とマリーの声が聞こえて、すっごく心強かった!」


 稲城先生も、にっこりと親指を立ててくれている。


「いいスナッチだったぞ。本番に強いタイプだな、夕陽は」

「ありがとうございます!」


 彼の向こう側ではバナナも揺れている。


「凄いねー夕陽ちゃん! セカンドプルもキャッチも、とっても綺麗だねー!」

「亜由ちゃんもありがとう!」

「あたしも一回目から頑張るねー!」

「うん。頑張って!」

「こら、亜由! 他校の邪魔しないの!」


 またしても芦田先生に引っ張られていく亜由の姿は、いつ見ても子どものようだ。

 信頼できるチームメイトや先生、友人。温かい歓声。そして成功したときの、この快感。


「面白いな、試合って」


 言葉になった感想は、稲城先生に聞こえていたらしい。


「デビュー戦でそう言えるってだけでも大したもんだ。夕陽は本当に本番向きだな」


 笑いながら先生は、手を挙げて遠くの誰かに応えている。見ると二十メートルほど離れた応援席で、大きく両手を振っているトモシンの姿が見えた。夕陽もすぐに、満面の笑みで同じ仕草を返す。


「ほら、二回目もすぐだぞ。集中!」

「あ、はい!」


 次の江原選手次第だが、スクリーンの進行表によれば彼女が連続試技をするにしても自分の二回目、四十八キロはその直後になる。稲城先生が言う通りすぐだし、見た感じ自分たちは実力自体が拮抗しているので、おそらくは二人でほぼ順番に二回目、三回目と試技していくと思われた。

 すると、いつもの飄々とした口調で先生が囁いてきた。


「夕陽。なんなら二回目、五十キロに挑戦してみるか?」

「え!?」

「名前がコールされるまでなら、重量変更は可能だぞ」

「でも……」


 当初の予定では一回目は確実に記録を残すために四十六キロ、二回目で調子を確認しつつ目標の四十八キロにトライ、万が一失敗しても保険代わりの三回目でもう一度、というスタンダードな戦略だったはずだ。

 思わず隣にいる鈴とマリーを見たが、彼女たちもさすがに戦略面についてはよくわからないので困った顔をしている。


「確かに今日の夕陽なら、いけるかもしれませんけど……」

「シッパイしたらどうするんです? 重量を下げてのシンコクはできないんですよね?」

「問題ないさ。とりあえず、これでスナッチの記録は残せたんだ。もしミスっても、クリーン&ジャークで取り返せばいい。せっかく同じぐらいの相手と試合してるんだし、駆け引きとかも楽しむつもりでやってみて構わないぞ。遠慮すんな」

「だ、大丈夫です! 予定通りで!」


 いくら第一試技が上手くいったとはいえ、そんな余裕が出せるわけもない。しかも相手の江原選手は進行表によれば三年生で、試合慣れもしている感じだ。何より、目標のトータル百五キロを確実に達成しなければ。


 ぶんぶんと首を振る夕陽に対し、「そうか? んじゃ、そのまま四十八でいくか」とけろりと答える稲城先生だったが、最後にひとことつけ加えてきた。


「けど、おまえたちは自分で思ってるよりもずっと強いよ。前も言ったけど、自分を信じろ。俺が信じるおまえたちを、プラットフォームで戦う自分自身を今日は存分に信じていい」


 口調こそ変わらないが、黒々とした瞳には、あの安心感をくれる指導者の光が輝いていた。

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