第四章 セカンドプル 3
「トモシン!」
真っ先に反応したのは夕陽である。保護者会長がしぶしぶ空けたわずかな隙間を通って、ポロシャツ姿が堂々とトレ室に入ってくる。
普段はぶっきら棒だけど、本当は優しい人。ときどき、はにかんだような笑顔を見せてくれる同級生。勉強熱心で、アスリートのことを第一に考えてくれるトレーナーさん。トレ室の侍。
心強い気持ちが胸に湧き上がったのは、自分だけではないはずだ。
「なんだよトモシン、いたのか?」
「いえ、ちょうどトレ室に入ろうとしたら前が塞がれてたんです。しかも、なんだかもめてる感じだったんで」
「そっか、悪かったな。まあ見ての、いや、聞いての通りだ」
「はい。事情はわかりました」
稲城先生にしっかりと頷いたトモシンが、あらためて副校長と保護者会長に向かい合う。
その姿がまるで自分を、自分たちを、背中にかばってくれているように夕陽には見えた。
「突然すみません。帰宅部だけど先生方からお許しをいただいてトレーナー活動をしている、二年の友永信といいます」
颯爽と現れ、しかも物怖じすることなく自分たちに対峙するイケメン生徒に、おばさんコンビは目を白黒させている。
「何よ、いい年こいてトモシンに見とれてんじゃ……ふぁいふぁふぉ…」
「ゆ、夕陽!」
「シランス、夕陽!」
例によって勝手に動き始めた口を、すかさず鈴とマリーが両側から塞いでくれた。幸いおばさんコンビには聞こえなかったようだ。
「稲城先生が仰ったように、ウエイトリフティングはきちんとした指導者の下で練習を積めば、むしろ他の対人競技よりもよっぽど安全なことが、僕たちスポーツ医科学の世界でも証明されています。そして先生は今お伝えしたように、まさにきちんとした指導者です。それどころか、この国でトップレベルのウエイト指導者と言っていい。大体、重いバーベルを持ち上げるのが危ないんでしたら、ウエイト部だけでなく筋トレをするほぼすべての運動部が活動休止対象になります。俺……じゃなかった、僕もトレーナーとしてサッカー部をはじめ、沢山の運動部員にウエイトリフティングやスクワットを教えていますから。もちろん顧問の先生方から、学生トレーナーとしてご依頼を受けてのことです」
言葉を切ったトモシンが、こちらを振り返った。「夕陽さんも、鈴さんも、マリーさんも」と、三人を丁寧に手のひらで示しながら続ける。
「稲城先生の下で、正しいウエイトリフティング技術を身につけています。これ以上ないくらい安全に、そして何よりも真剣にこの競技に取り組んでいます。正直、他のどんな部よりも前向きで、楽しそうで、素敵だって俺は見てて思います。彼女たちのどこがいけないんですか? 野球部やサッカー部やバスケ部と何が違うんですか? ウエイトリフティングどころか、トレーニングすらまともにしたこともないような身体で、一方的に決めつけないでください。ぱっと見の印象だけで、俺が尊敬する大事な人……たちに失礼なレッテルを貼らないでください」
あくまでも冷静な口調だが、言葉の一つ一つに明確で揺るぎない意志が込もっていた。一人称も結局は「俺」のままだ。ニックネームではないが、「これ以上無法な真似をすると、斬るぞ」という感じの鋭い雰囲気すら言外に滲んでいる。
「トモシン……」
もう一度、夕陽はその名をつぶやいた。なんて心強いんだろう。なんて嬉しいんだろう。この人と知り合えて、仲良くなれて、本当に良かった。
「だ、だからって……重量挙げなんて、単なる力自慢でしょう? 女の子が部活でやるほどのものじゃありません!」
「そ、そうよ! こんなことして何のためになるんですか! 甲子園に出られるわけでもあるまいし!」
たった一人の、しかも厳密には部外者であるはずの男子生徒に論破されたばかりか、完全に気圧された態のおばさんコンビが、それでも苦しまぎれにヒステリックな声を立てる。もはや単なる言いがかりだ。相手にするのも馬鹿馬鹿しい。
だが。
夕陽の、鈴の、マリーの、ウエイトリフティングを愛する三人の少女の、六本の眉が同時につり上がった。ほんの数分前には、目くじらを立てる、という表現にのん気に感心していたが、目くじらどころか「柳眉を逆立てる」という言葉そのものの表情が一斉に浮かぶ。
部活でやるほどのものじゃない? こんなこと?
「あなたたち――」「あんたたち――」「ヴ・ゼット――」
重なる声とともに、怒りに燃える視線がおばさんコンビを貫いた瞬間。
「ええ加減にせえよ」
ドスの聞いた関西弁が、被せるようにあとを引き取った。
「え?」「あれ?」「クワ?」
お互いに顔を見合わせてしまった夕陽たちだが、当然ながら関西弁の使い手など自分たにはいない。隣でトモシンもぽかんとなっている。
関西弁は彼が見つめる先、小柄だけど筋肉質の、いつもは飄々とした背中から発せられたものだった。
「今のはさすがに、聞き捨てならんですわ。あんまりチョーシに乗らんといてください」
「!?」
「…………」
トモシンのときどころではない様子で、蛇に睨まれた蛙よろしく副校長と保護者会長が固まっている。そして関西弁の主=稲城先生は、彼女たちがもはや学校関係者でもなんでもないかのように、細い身体と太い身体を交互にねめつけながら言葉を重ねていった。
「確かに知らない人が見れば、単なる力自慢大会かも知らん。もちろん素人がやったら、危ない面もある。せやけど、それを言うたらどんなスポーツかて同じでしょう。初めは誰でも素人ですわ。ましてや高校生じゃ。でもだからこそ、楽しいんでしょうが。尊いんでしょうが。できなかったことができるようになる。顧問に怒られながら、仲間と笑いながら、泣きながら、一所懸命な時間を過ごす。本物の成功体験や達成感を獲得できる。この子らだけちゃいますわ。トモシンも、ここにバーベルを上げにくる他の運動部員の子ぉらもそうや。みんないい顔して、みんな笑顔でこのトレ室から帰ってく。そんな充実した時間を、あんたらは取り上げるんか? 奪うんか? 部活はどこまでも生徒たちのもんでしょうが。いや、学校活動すべてが生徒ファーストでしょうが。あんたらも大人の端くれやったら、それぐらいわからんかい!」
言葉尻とともに、稲城先生の手が傍らの長机を激しく叩いた。バシン! という大音に、おばさんコンビから「ヒイッ!」と、引き笑いのような悲鳴が上がる。
一方で夕陽たち四人は、なぜかまったく驚かなかった。逆に力強く背中を押してもらったような、ますます力が漲ってくるような感覚に包まれたほどだ。
「ま、そんなに言うなら――」
今やすっかり似非関西人、それも元ヤンばりのキャラクターに変貌した稲城先生は、おばさんコンビを睨み据えたまま不敵に笑っている。
「甲子園とはちゃいますけど、うちの三人娘が全国に行く姿、見せたりますわ」
「え?」
「全国って……」
「ムッシュ?」
ぽかんとする「うちの三人娘」に笑いかけたあと、裏・稲城先生(と、のちに夕陽たちは命名した)が堂々と宣言する。
「今度の新人戦で、鈴もマリーも夕陽も、秋にある全国大会『レディースカップ』の参加標準記録を突破してみせます。あんたらが部活でやるほどのもんじゃないだの、こんなことだの言ってくれる単なる力自慢で、それぐらいの結果は出せる子ぉらですから。厚化粧の奥の目ん玉かっぽじって、よお見といてください。その代わり、予定通り全国への切符を手に入れたら、しょーもない難癖は二度とつけんでもらいますよ」
…………。
全員が呆気にとられていた。不敵に笑う稲城先生の瞳が、トモシンどころではない圧倒的な目力をたたえている。人格が変わっただけでなく、活動休止を命じる副校長と保護者会長に対して、逆に説教をしたうえに全国大会の切符まで確約してしまうとは。
「そ、その言葉、覚えてらっしゃい!」
「言ったからには、じじじ、実現してもらいますからね!」
明らかに気を呑まれた様子の副校長と保護者会長は、目を逸らしながら逃げるようにトレ室を出て行った。




