第四章 セカンドプル 1
壁や障害は自分たちを鍛えてくれるなどという考えもあるが、理不尽な壁や障害が、それも突然現れるのはさすがにどうかと夕陽は思う。鍛えてくれるどころか単なる落とし穴、ブービートラップみたいなものではないか。
「シャルマンテなコスプレイヤーに限って、ポロリしちゃったりするのです」
マリーの微妙な例えはさておき、順調に見えた小野高女子ウエイト部を襲ったのは、まさに好事魔多しとも言うべき災難だった。
採点制競技会、そして合わせての公式戦見学を経てさらにモチベーションの上がった夕陽たち三人は、夏休みに入ってからも元気に練習を続けていた。しかも最近では、熱心かつ楽しそうな様子に目を引かれてか、他の運動部、特に女子部が「私たちにも教えてもらっていいですか?」と教えを請いに来たりもする。
よくよく聞けば、「サッカー部でトレーナーしてるイケメンの人が、ジャンプ力とか下半身のパワーをつけるのにいい、って教えてくれたから」というのが本当の理由だったりするようだが。
「……きっかけが不純なのよね」
ぼそりとつぶやく夕陽に苦笑しつつも、
「あたしたちの練習後、ちょっとだけならいいですよ」
「ウイウイ。皆さんも、トレーニングにオヤクダテください」
と、鈴とマリーが快く了承したのが始まりで、今やトレ室では女子ウエイト部による、通称「バーベル教室」が開かれるのが定番と化してきた。
最初のうちは唇をとがらせながら二人を手伝っていた夕陽ではあるが、そこはアスリート同士だし、しかもウエイトリフティングに興味を持ってくれたことはやはり嬉しい。かくしてすぐに機嫌を直し、「あたしも五月に体操部から移籍したばっかりなんです。だから心配しなくていいですよ」などと言いながら、今ではむしろ率先してキャッチのフォームを実演したりしている。
「夕陽は意外と、ヤキモチヤキですねえ」
「ほんと。あのまま『トモシンに手ぇ出すような人たちに、教えるウエイトはありません!』なんてゴネたら、どうしようかと思ったわよ」
「でも本当に、トレ室の侍は人気なのですね。今度、トモシンさんにマエダケイジロウのコスプレをしてもらえないか、聞いてみてもいいですか?」
「な、なんであたしの許可がいるのよ、マリー!?」
わかりやすく動揺してしまうと、鈴がさらにいたずらっぽく追撃してきた。
「安心して。誰もトモシンをデートに誘ったりとか、ましてや告白なんてしてないみたいだよ? むしろ、ちょっとぶっきら棒でおっかない、ってみんな言ってるし」
「え」
「やっぱり、夕陽にだけはジャンティなのですね」
「良かったね」
「ななな、何言ってんのよ二人とも! それよりほら、練習しないと! 新人戦まであと一ヶ月もないんだから!」
顔が熱いのをごまかすように、スナッチの姿勢を取ってみせた夕陽だが、両手に握っているのはなぜか掃除用のほうきだった。
いずれにせよこうして女子ウエイト部の認知度は上がり、さらには「三人ともすっごく可愛くて、いい子たちなんだって!」などという尾ひれも加わって、ついにはなんと取材まで入る事態になってしまった。
とはいってもテレビやネットニュースではなく、『小野高ナウ』という生徒や保護者向けの学校新聞である。今どきの学校新聞らしく電子版もあって、学校の公式ウェブサイトでは一部の記事と連動した動画も見られるそうだ。
ちなみに稲城先生いわく、
「俺たちがやってるのはマイナー競技で、しかも人数の少ない女子種目なんだ。周囲にどんどんアピールして、どんどん理解してもらって、応援してくれる人を増やさなくちゃな」
だそうで、顧問としてあっさり取材許可を出したらしい。
結果、完成した動画は予想以上に見事なクオリティで、「知っていますか? 小野高の〝ウエイト三人娘〟」という放送部員のナレーションから始まる内容は、いつ撮影したのかと自分たちも驚いた真剣な練習風景とともに、たった三人の女子ウエイト部が明るく前向きに練習していること、さらには初の公式戦も控えていることなどを丁寧に紹介してくれる、ありがたいものだった。
マリーなどは動画のお陰で、
「ナツヤスミなのに、またレトル・ダムール……ええっと、コイブミ? が増えました」
などと、古風な言い回しとともに苦笑していたほどである。
しかし。
どんな物事にも、水を差したがる人間はいるのだ。
ある日の練習、珍しく稲城先生が不在だった。
トレ室に三人が揃って入ると、
《鈴、マリー、夕陽へ ちょっと用事が入って今日の練習は間に合わないかもしれない。すまないが、いつも通りの内容でやっておいてくれ。 稲城》
という手紙が二・五キロのプレートを文鎮代わりにして、プラットフォーム上に置いてあった。
幸い新人戦に向けての練習プログラムはしっかり伝えられていたし、そもそもウエイトリフティング自体が「とにかくパワーを上げる」方向に特化した競技なので、やることがまったくわからなくて困るというほどでもない。
「大丈夫ですよ、鈴。ムッシュもああ見えて、お忙しいのです」
「そうだよ。なんだかんだ言って、先生なんだし」
手紙を手に少し寂しそうな顔をする主将を、マリーと夕陽はすぐに気遣った。
だが、いざ練習を始めてみると、自分たちもなんだか気持ちが盛り上がらない。ウォーミングアップからハイプルやボックスリフトなどの部分練習、そしてもちろんスナッチとクリーン&ジャーク、さらにはスクワット、デッドリフトといった補強トレーニングと、すべてをいつものようにこなしていくが、今ひとつ乗り切れないというか、チーム全体が熱に欠けた感じになってしまう。すっとぼけた人ではあるが、やはり稲城先生あっての女子ウエイト部なのだと、今さらながらに三人とも実感させられることとなった。
そして翌日。事件は起きた。
昨日とは打って変わって、いつも通り先生が見てくれる中、夕陽たちはウォームアップから元気に取り組んでいた。新人戦はいよいよ来週末だ。三人とも減量の心配はいらないタイプだし、あとは一キロでも重い記録を本番で残せるようにと、あらためて気合いが入る。
「よーしっ! 今日こそスナッチ五十四、上げてやるんだから!」
鈴がシャフトを置きながら、高らかに宣言したとき。
ノックもなしに、トレ室のサッシ戸がいきなり開いた。
「稲城先生!」
「どういうことですか、これは!」
見ると狭い出入り口におばさんが二人、仁王立ちしている。一人は鉛筆のように痩せ細っており、かけている眼鏡の幅までもがやたらと狭い。対照的にもう片方は丸々と太った体型なので、なんだか昔の漫才コンビみたいだ。
あれ? でも、この鉛筆みたいな人――。
言葉にしないよう注意しつつ、どこかで……と夕陽は胸の内で続けた。なんとなく記憶にある顔だ。
すると稲城先生が、のんびりと振り返った。
「あ、副校長に保護者会長さん。どうも。お疲れ様です」
持ち前の飄々としたリアクションだが、挨拶を聞いた鉛筆おばさんと力士おばさん(と、夕陽はとりあえず呼ぶことにした)の方は、ますます険しい顔になっている。
「どうも、じゃありません!」
「お疲れ様です、でもありません!」
夕陽の口が、今度は勝手に動いてしまった。
「うわ。目くじらって、ほんとに立つんだ」
しまった、と思ったがもう遅い。しかも、
「私も初めて見ました。フランス語にはない表現ですけど、ヴレマンなのですねえ」
などと、マリーまでのんびり感想を述べている。
「あなたたちもです!」
鉛筆おばさんが、失礼にもびしりと指をさしてくる。
「え?」
「クワ?」
「夕陽、マリー。あんたたち、なんかやらかしたの?」
鈴に訊かれるが、もちろん二人ともそんな覚えはない。稲城先生の言葉から、鉛筆おばさんと力士おばさんが学校の副校長と保護者会長、つまりは「偉い人」だというのはわかった。だが学校の偉い人たちに怒られるような真似を、何かしただろうか。
というか、「あなたたちと言いながら鉛筆おばさんの指は、鈴にも向いていたように見えた。ひょっとして、女子ウエイト部全体に対しての話なのだろうか。
首を傾げるしかない夕陽たちから視線を戻して、鉛筆おばさんがふたたび矛先を稲城先生に向ける。
「稲城先生! これは一体どういうことか、説明していただきます!」
「どういうこと、とは?」
尋ね返す稲城先生の口調は、わざとやっているのかと思うくらい余裕たっぷりのものだった。
「どうしてウエイトリフティングをしているか、という話に決まってるでしょう!」
「そりゃ、ウエイト部ですから」
「は?」
「この子たちがカーリングしてたら変でしょう?」
鉛筆おばさんのこめかみあたりが、ピキッと鳴った気がした。見ると本当に青筋が浮いている。
「あ、そうだ。なんなら一緒にやってみますか? 副校長はトンボみたいなお身体ですし、会長さんは逆に力士っぽいですよね。ちょっとは筋トレした方がいいですよ」
ピキピキッ。青筋が二本になった。増えた一本は力士おばさん、すなわち保護者会長のものである。
「仮にも我が校のナンバー2と、全校生徒五百名の親御さんを束ねるお二方ですから、せめて体型だけでも美しく保たれて――」
「大きなお世話ですっ!!」
ヒステリックな二つの声が見事にハモったが、稲城先生はけろりとしている。
「……先生、絶対わざとやってるよね」
「ウイウイ。ハルセルマン・セクシュエルはトクイワザですし」
「でもなんで、うちの部が副校長と保護者会長に怒られなきゃなんないの?」
プラットフォーム上でひそひそと様子を見守るしかない三人だが、鉛筆おばさんの次のひとことが、皆の疑問に対する答えだった。
「どうして活動休止を申し渡したのに、堂々と部活をしているのかと聞いてるんです!」




