第三章 スクープ 3
採点制競技会は順調に進み、夕陽たち三人を含む参加者全員が無事合格となった。
「ほらな、俺の言った通りだろう?」
まるで自分が合格したように胸を張る稲城先生だが、実際に小野校トリオは揃って満点合格で、先生の知り合いらしい審判員長からも「三人とも綺麗なフォームですね。さすが稲城君の生徒さんたちだ」と、お褒めの言葉をもらえたほどである。
待機エリアに戻った四人が笑顔を向け合っていると、アナウンスが流れた。
「十一時より、全国高校総体女子の部・予選会を行います。出場選手の皆さんは、十分前までにお集まりください」
採点制競技会はここまでで、あとはいよいよメインイベントのインターハイ予選だ。とはいっても競技人口が少ない女子ウエイトリフティングの、しかも県大会なので出場選手数はわずか八人。さっそくスクリーンに映し出された競技進行表で、簡単に数えられてしまうほどだった。今回は出場できない夕陽たち新人選手が七人なので、県内の女子選手は、全部合わせても十五人しかいないことになる。
「やっぱりちょっとしかいないんだね、選手の数」
「そうですね。ユアロップとかではもっと人気があって、プロフェッショナルもいるって聞きますけど」
「三人一気に、しかも全員二年からデビューなんて、あたしたち相当珍しいなんじゃない?」
スクリーンを見上げて感想を述べ合う夕陽たちのそばを、他校の出場選手が続々と通り過ぎていく。人数が少ないからこそ、選手たちは学校の垣根を越えて仲が良いようで、「久しぶり!」「一年生、入った?」などと近況を報告し合っているのがなんだか羨ましい。一方で向こうもこちらが気になるようで、遠くから会釈してくれたり、すれ違いざまに「こんにちは!」と明るく声をかけてくれたりもする。
「でもそのぶん、殺伐としてないっていうか、お友達も沢山できそうだね」
「合同練習とかないかなあ。ウエイトについて、他の学校の人とも語り合いたいな」
「セ・ボン・ニデ。皆さん、いい人そうですし。……あ、メルシーボークー!」
マリーが最後に発したひとことは、「あの金髪の子、可愛い!」というコメントに笑顔で手を振り返したものである。自身の存在も小野高が注目される一因になっているわけだが、それに気づかないまま、アイドルよろしく愛嬌を振りまく姿が彼女らしい。
「俺たち顧問同士も仲良くなるから、たがいの学校の顔ぶれはほとんど把握してるんだ。新人が合わせて七人もなんて、うちの県としてはむしろ多いくらいだよ」
稲城先生が解説してくれたところで、もはや三人とも聞き慣れた声が横から飛び込んできた。
「やっほー、エイちゃーん!」
「おう、亜由。アップはいいのか? こんなとこにいたら、ネイに怒られるぞ」
現われたのは、いまだにバナナを一本握っている杉本亜由だった。
「へーきへーき。ネイ先生は今、五十五キロ級のアリサちゃんにつきっきりだから」
「関山先生は?」
「関やん先生も、先輩たちのところだもん」
「で、相変わらず勝手にふらふらして、勝手にアップしてるってわけか」
「えへへー。ネイ先生には内緒だよー」
「内緒も何も、すぐにばれると思うが……」
さすがの稲城先生も苦笑してしまっている。マイペースな亜由は、誰に対してもこんな感じらしい。
「あーっ! さっきの夕陽ちゃんだ! それにポニ子ちゃんとマリーちゃんも揃ってる!いいないいなー! 三人とも可愛いなー!」
「あ、ありがとうございます」
「どうも……って、ポニ子ちゃんて、あたし!?」
「メルシーボークー」
三人の採点制競技会をすべて見てくれたうえ、ファンのように喜ぶ亜由の姿は、どう見てもジュニア日本代表には見えない無邪気なものだ。
「おい、亜由。また勝手に、自分の中で友達認定してるだろ?」
「えー? だって夕陽ちゃんとは、もうバナ友だよー? それにポニ子ちゃんとマリーちゃんも、超綺麗なリフトするから絶対仲良しになれるもん」
後半はまるでよくわからない理由だが、テレビで取り上げられるほどの有名アスリートが自分たちを認識してくれているのはやはり嬉しい。こういうときに如才ない対応ができるマリーが、すぐに朗らかな笑顔で挨拶した。
「アンシャンテです、杉本さん。小野校のマリーアンヌ=子門=シャルパンティエと申します。先ほどはご声援ありがとうございました。以後、オミシリオキを」
鈴と夕陽も急いで続く。
「小野校キャプテンの赤木鈴です。あの、応援ありがとうございました!」
「村中夕陽です。バナナと応援、ありがとうございました。杉本さんの声が聞こえて、凄く楽になりました」
「そっか、あたしも自己紹介しなくちゃね。えーっと、栄学園の杉本亜由です。亜由でいいよー。今は四十五キロ級で、ベストはスナッチが六十四キロ。クリーン&ジャークが――」
「こらっ! 亜由!」
堂々と開陳された数字の大きさに夕陽たちが目を丸くしたところで、また別の声が割って入った。
「まったく、すぐどっか行くんだから。ちゃんとアップしたの? 四十五キロ級は、次の大会から後輩も出るんだからね。あんたが面倒見なきゃだめなのよ?」
「はーい。でも、さきちゃんはしっかりしてるから大丈夫だよー」
「そういう問題じゃないでしょう! 日本で一番いい記録持ってるあんたが教えてあげないで、どうするの!」
「エイちゃーん、またネイ先生が怒ってるよお」
「自分で怒らせてるんでしょうが!」
まるで保護者のように亜由を説教しているのは、ジャージを着た長身の女性だった。稲城先生よりも背が高いので、百七十センチはあるだろう。すらりとした身体は立ち姿も美しく、武道の達人を連想させるたたずまいだった。
「相変わらずおっかないなあ、ネイは」
「エイちゃんも、引き留めてないでちゃんと追い返してよね!」
「いや、別に引き留めてるわけじゃ――」
「言い訳しない!」
「はい……」
一連のやり取りを、夕陽たちはぽかんと見つめるしかなかった。
一拍遅れてようやく、ネイ先生と呼ばれた女性は三人の存在にも気づいてくれたようだ。
「小野校の生徒さんね? 栄学園の副顧問、芦田寧です。エイちゃん……じゃなかった、おたくの稲城先生とは学生時代からの知り合いなの。うちの杉本亜由がご迷惑をかけてばっかりで、ごめんなさい。採点制競技でこの子の応援、邪魔じゃなかった?」
「あ、いえ……」
「ほらね? バナ友の夕陽ちゃんが、こう言ってくれてるもん」
「あんたには聞いてません!」
「でも亜由の言う通り、少なくともうちの三人娘にとっては、いい声援だったみたいだぞ?」
「エイちゃんにも聞いてません!」
ネイ先生こと芦田先生は目鼻立ちがくっきりしているので、怒った様子はなかなかに迫力がある。
「そんなことより亜由、そろそろ集合よ。今日の作戦を立てなきゃ」
「うん。あたしねー、今日はスナッチ三回目で六十――」
「だから、言わなくていいの!」
子どもを連行する教育ママよろしく、ネイ先生はお説教した勢いのままに、亜由をずるずると引っ張っていってしまった。最後に遠くから、「夕陽ちゃんもポニ子ちゃんもマリーちゃんも、あたしたちの試合、応援してねー!」と変わらない調子の言葉だけが届く。
「相変わらず騒がしいやつだな」
珍しくペースを握られっぱなしだった稲城先生が、笑いながら頭をかいている。
「あ、あの、先生!」
様子を見ていた鈴が、意を決してという感じで問いかけた。
「先生はどうして、杉本亜由さんとあんなに仲良しなんですか?」
上目遣いで緊張気味の視線を送る表情はとてもチャーミングだが、本人は真剣そのものである。それはそうだろう。一人の女の子としてはもちろんだが、何より小野校女子ウエイト部の主将として、自分たちの顧問と他校のエースが、「エイちゃん」「亜由」などと親しく呼び合う姿を見せられては黙っていられないはずだ。
「仲良しも何も――」
稲城先生は、むしろ不思議そうな顔で答える。
「姪っ子だからな」
「えっ!?」
「姪っ子!?」
「めいっこ……つまり、ニエスですか?」
鈴だけでなく、夕陽とマリーも目を丸くする羽目になった。鈴に至っては口をぱくぱくさせながら、わけのわからないことを口走っている。
「め、姪っ子っていうのは、先生のお兄さんかお姉さんか弟さんか妹さんのお子さんでお嬢さんで、血縁者で第なん番目かの親等だかで、一緒に法事に出たり結婚式に出たり、お盆やお正月も一緒に過ごしたりして、お年玉まであげちゃうあれですよね?」
「言わなかったっけ? 姉貴の娘なんだよ。ちなみにもう一人、二番目の姉貴もいるけどそっちはまだ独身でさ。酔っぱらって終電逃がすと、俺のマンションに泊まりに来るから迷惑で――」
「ききき、聞いてません! 全っ然聞いてません! しかも独身の綺麗なお姉さんがいて、酔って泊まりにきて無防備にシャワー浴びて寝るなんて、どこのエロ漫画ですか!」
興奮のあまり勝手なストーリーまで作り上げている主将はとりあえず放置して、夕陽は冷静に問いかけた。
「ひょっとして、先生は亜由さんにウエイトを教えたことがあるんですか?」
「ああ。始めたきっかけ自体は、高校でネイにスカウトされたからみたいだけどな。けどすぐに、親戚の〝エイちゃんおじさん〟が、昔ウエイト選手だったってのを思い出したらしくて、それからしょっちゅう、うちの実家に遊びにくるようになったんだ。ガレージに俺が昔使ってたバーベルと、自作のプラットフォームがあるし。あ、でも去年の話だぞ。鈴とマリーをスカウトして俺も小野校にウエイト部を作ってからは、さすがにライバルの指導はしてないよ」
「そうだったんですか」
「じゃ、じゃあ……芦田先生とも仲がいいのは、なんでですか?」
落ち着きを取り戻した鈴が別の、むしろそちらの方が気になっていたのではないかという質問を口にしたが、先生はにやりと笑うだけだった。
「あいつも言ってたろ? 学生時代からの腐れ縁だよ。同じ大学のウエイト部だったんだ」
確か稲城先生は、名門といわれる体育大の出身だったはずだ。ならば芦田先生とは十年来の友人、もしくはそれ以上の関係ということになる。だが鈴もさすがに「それ以上の関係」かどうかは訊く勇気がなかったらしい。「そうですか」とだけ答えると、何かを吹っ切るように自分の頬をパンパンと叩いてみせた。
「よしっ! 姪っ子でも元カノでもなんでもいいけど、相手は日本一だし、とにかく試合をしっかり見ておこう! 頑張ろうね、夕陽、マリー!」
いろいろと勇み足をしているが、何はともあれ気持ちの切り替えはできたようだ。
「うん!」
「ウイ!」
夕陽とマリーは、笑いがこぼれるままに顔を見合わせた。




