第三章 スクープ 2
階級制競技であるウエイトリフティングは、当然ながら体重を遵守しなければならず、不正を防ぐ目的もあって、必ず試合当日に検量が行なわれる。
また、競技進行をスムーズにする目的で検量時にスナッチ、クリーン&ジャークともに第一回目の試技、つまり最初に自分が挑戦するバーベルの重量を申告し、さらには同重量となった際に若い番号から試技をするための抽選番号もあらかじめ引いておく。採点制競技会も同様で、夕陽たち以外にも他校の一年生とおぼしき数名が、この日の女子検量室である二階のフィットネススタジオに集まっていた。
検量自体はシンプルなものだった。下着姿で体重計に乗るといっても、選手は皆スポーツブラにスパッツという格好だし、もちろんスタッフも全員女性、まわりもパーテーションで仕切られているので、それほど恥ずかしいこともない。三人は生まれて初めての検量を問題なくクリアし、ふたたびアリーナへと向かった。
「お、来たな」
アリーナに戻ると、ちょうど稲城先生が出入り口のところにいて、先ほどの受付嬢と何やら話をしているところだった。
「先生! 準備できましたから、ミーティングをお願いしますっ!」
「お、おう。どうしたんだ、鈴? 気合が入ってるのはわかるが……」
先生が受付のお姉さんと話してたからですよ、とは口に出さず、夕陽とマリーは顔を見合わせて笑うしかない。
「なんでもありません! ミーティングしましょう、ミーティング!」
「あ、ああ、そうだな」
怪訝な顔をしつつも主将の声に急かされる形で、「じゃ、今後ともよろしくお願いします」と、稲城先生は受付嬢に頭を下げてから三人の方へとやってきた。
アリーナ内は前方に一段高くなったステージが置かれ、その上にプラットフォームとアテンプトボードが乗っている。アテンプトボードとはプラットフォーム上で行なわれる試技の重量や回数、成功/失敗の判定を示す電光掲示板で、審判員の判定によって赤、白三つずつあるランプのうち、白ランプが二つ以上点灯すればその試技は成功と見なされる。ステージ後方の壁にはスクリーンが降ろされて、今はシンプルに『採点制競技会』という大きな文字だけが表示されていた。
興味津々でそちらを見上げる夕陽たちを見て、先生はすぐに教えてくれた。
「このあとのインハイ予選では、各選手の名前と試技回数、トライする重量とかの進行状況があそこのスクリーンに映し出されるんだ。全国大会と同じ形だしわかりやすいぞ」
「ムッシュはなんのお仕事を? キョーギイーンなのでしょう?」
「ああ。ちょっと前まで、プレートのつけ替えをしてくれる地元の学生やここの職員に、器具の取り扱いとか安全上の注意をレクチャーしてたんだ」
「なるほど。エキップメント担当ですね」
「ああ。ま、本番になったら何もすることはないけどな。で、そろそろおまえらの出番だから、よろしく頼みますって受付の方にもあらためて挨拶して、いざ合流した次第さ。今からは純粋に小野高の監督だ」
説明を聞いた鈴が明らかにほっとしているのを見て、ふたたびマリーと夕陽は笑ってしまった。本当にわかりやすい。
「じゃ、ミーティングを始めるか」
言いながら稲城先生は、アリーナ奥のビニールシートが敷かれたエリアへと三人を誘導していく。ここが各校の待機場所のようだ。
「では、監督として一つ伝えておく」
「はいっ!」
「ウイ、ムッシュ!」
「は、はい!」
主将の鈴以下、三人の顔が引き締まる。試合じゃないとはいえ、果たしてどんなアドバイスをしてくれるのだろう。
だが。
「えー、今日は何もない。さっさとアップして、さっさと済ませよう。以上」
「は?」
鈴の眉間にしわが寄った。
「いや、だからさっさと済ませて、あとはインハイ予選を見ておこうと――」
「なんですか、それ!? 大事な教え子の、大事な採点制競技会なんですよ?」
「そうなんだけど、なあ」
「先生、あたし……じゃなかった、あたしたちのことなんて、どうでもいいんですか!?」
「何言ってんだ。どうでもいいわけが――」
「いいえ! 大事に思ってくれてないし、きっとどうでもいいんです! だからああやって、受付のお姉さんをナンパしたりするんです! そりゃあ、あたしは……もとい、あたしたちはあんな風に大人っぽくないですけど、だからって浮気は許しません!」
知らない人が聞いたら、完全に誤解されそうな台詞をまくしたてる主将の背中を、マリーが苦笑とともにぽんと叩いた。
「リラックス・エ・カルムですよ、鈴」
「だって、マリー」
「何もない、ということはつまりパ・プロブレム、私たちにとってこのサイテンセイキョーギカイは、特に問題がないという意味ですか、ムッシュ?」
今日はツイン・シニョンという二つのお団子に金髪をまとめているため、小首を傾げるマリーは、顔の小ささがますます際立って見える。あとからアリーナに入ってきた他校の選手が彼女の姿を二度見して、「留学生?」「モデルみたい」などと囁き合う声が夕陽の耳にも聞こえてきた。
「その通りだ。助かったよ、マリー」
余裕を感じさせる笑みを返してから、稲城先生は鈴に向き直った。黒々とした目にいつの間にか、たまに見せてくれる、厳しさと優しさが同居したような指導者らしい光が宿っている。
「前にも言っただろう? おまえらなら間違いなく、ほぼ満点で合格だって。それとも、そんなに俺の教えが信じられないか、鈴?」
「い、いえ……」
さっきの勢いはどこへやら、近くで顔を覗き込まれた鈴は、恥ずかしそうに目を逸らすばかりである。
「安心してくれ。みんなの技術は高い。そもそも俺がやっと見つけて、信じてスカウトした三人なんだ。百歩譲って、俺を信じてくれなくてもいい。でも、俺が教えた技術は信じてくれ。そして何よりも、自分を信じろ。俺が信じた、おまえたち自身を信じるんだ」
「……うわ、なんか格好いい」
「なんだよ、夕陽。俺はいつでも格好いいだろうが」
しれっと答えられてしまったが、確かに今の台詞は監督らしくびしっと決まっていた。隣ではマリーが、「自分で言うのですか?」という表情でまた苦笑している。
すると。
「うん、格好いいです!」
気を取り直した様子の鈴だった。頬のあたりはまだ赤いままだが、監督らしいコメントをもらえて逆にテンションが上がったのか、恥ずかしさではなく気合がみなぎった雰囲気へとすっかり切り替わっている。
「あたし、先生のこと信じてますから!」
「お、おう。ありがとう」
「頑張ります! そうですよね、先生が教えてくれたんですもんね! 全力を出して三百点ぐらい取ってきます!」
「鈴、サイテンは百点満点です」
マリーの冷静なつっこみに、夕陽はつい吹き出してしまった。
結局、いつも通りの自分たちだ。これなら緊張せずにやれるだろう。
その後、別室のトレーニングルームでウォームアップをしていると放送が入った。
「間もなく、全国女子選手権予選に先立ちまして採点制競技会を始めます。参加選手の方は、会場のBアリーナに集まってください」
いよいよ採点制競技会が始まる。まずはスナッチからだ。
採点制競技会も公式戦と同様に、スナッチ、クリーン&ジャークともに三試技ずつ行うルールとなっている。一試技ごとに『スタート姿勢』から終了後の『バーベルの降ろし方』まで至る技術点が十点満点で採点され、計六試技で六十点満点。さらに階級別で定められた重量を上げられるかどうかの四十点満点の挙上点を合わせて、トータル百点満点という形である。
合格は八十五点以上だが、公式戦での女子最軽量となる四十五キロ級の下にも、採点制競技会では四十キロ級が設定されているため、体重の軽い選手はそちらで臨めば得点を取りやすい。落とすための審査ではなく、あくまでも技術審査というのがこのあたりからも窺える。
「重量十八キロ。四十キロ級。港高校、保高有紀子さん。一回目」
最初の選手が呼ばれ、試技が始まった。
体重四十三キロで四十五キロ級エントリーの夕陽は、小野校の三人のうちでは一番最初だが、その前に他校の選手が二名いるため三番目からの試技となった。前の二名はいずれも一年生のようだ。まあ、高校二年になって突然ウエイトリフティングを始める方が珍しいのだろうが。
「同じく重量十八キロ。四十キロ級。栄学園、飯島さきさん。一回目」
続いて二番目の選手もコールされ、あどけなさの残る少女が「お願いします!」と、やはり緊張した面持ちでプラットフォームに上がる。彼女の次が夕陽である。
と、パイプ椅子が数列並んださらに後方、階段状になっている部分の応援席から、のんびりした声がアリーナ中に響き渡った。
「さきちゃーん、顔が怖いよー。笑顔だよ、え・が・おー!」
周囲からくすくすと笑いが漏れ、プラットフォーム上の「さきちゃん」自身にも思わずといった感じで微笑が浮かんでいる。きっと直後のインハイ予選に出場する先輩部員だろう。ステージ裏でシューズの紐を締め直していた夕陽も、釣られて笑いながら応援席に顔を向けた。
「あ!」
声の主はすぐにわかった。段の中央、「栄学園」とプリントされたジャージ姿の選手たちが何人かいるあたりで、当の本人が両腕を振っている。
「バナナの……!」
大きく挙げた両手の先にバナナを持って、「うんうん、笑顔が一番。頑張ってねー!」などと叫ぶのは、間違い数十分前にバナナをくれたあの美少女だった。
「ちょ、ちょっと、アユ!」
「アユ、バナナ下げなさい!」
バナナ美少女が周囲からたしなめられている間に、プラットフォーム上ではスナッチが綺麗に決まり、他校も含めた応援席全体から拍手が送られる。
そうして四十キロ級の二人が、一回ずつ試技した後。
「次、重量二十二・五キロ。四十五キロ級。小野原高校、村中夕陽さん。一回目」
「あ、はいっ!」
ふたたびバナナ美少女に見とれかけていた夕陽は、はっとなった。「お願いします!」と続けて、急いでステージに駆け上がる。
「いこう、夕陽!」
「夕陽、まずはイッポンです!」
鈴とマリーの声に頷いて気持ちを落ち着ける。大丈夫。たかだか二十二・五キロだし、余裕を持って上げられるはずだ。
もう一度会釈をしてからバーベルに近づくと、またもや声が響いた。
「あれ? さっき会ったバナ友の子だー! 頑張ってねー!」
「バナ友って……」
前の「さきちゃん」同様、思わず笑ってしまうしかない。けれども、お陰でますますリラックスできた気がする。もっと緊張するものかと思ったが審判員の顔もよく見える。
「栄学園のアユさん、か」
まぶたを閉じて、夕陽は小さくつぶやいた。
おそらくこのバナナ美少女こそが、栄学園のエースにして高校チャンピオン、さらにはジュニア日本代表にも名を連ねるというスーパー女子高生、杉本亜由だろう。まだ彼女の試技をネットでチェックしていなかったが、まさかこんなに可愛いらしい女の子だったとは。もっとストイックな感じの、いかにもトップアスリートっぽい選手を勝手に想像していた。
でも、いい人そう。
そんなことも考えられるくらいの余裕とともに、深呼吸してから目を開ける。正面にバナナを握った小さな顔。目元の泣きぼくろまで、はっきりと見える。
目が合った彼女が、にっこりと笑みを浮かべた瞬間――。
「せいっ!」
トレ室でやっているのとまったく同じように、夕陽は両脚で力強くプラットフォームを圧した。ふわりと浮き上がる身体が軽い。二十二・五キロのバーベルが、意志を持っているかのように自然と上に向かう。
よっ! ……と。
軽々とやってのけたスナッチは、まったくふらつかない見事なものだった。
審判員からの「ダウン」の声を待って丁寧にバーベルを降ろす。自分で言うのもなんだが、悪くなかったはずだ。
「オッケー、夕陽!」
「トレ・ビアン、夕陽!」
「いいぞ夕陽、その調子だ!」
「はい!」
仲間たちの声に思わずガッツポーズをしてしまい、夕陽は慌てて審判員と応援席に向けて頭を下げた。
直後に、またしてもいいタイミングの声が耳に飛び込んでくる。
「すごーい! 綺麗なスナッチだねー、ユウヒちゃん! さっすがあたしのバナ友だよー」
応援席がどっと湧く中、夕陽は亜由にも笑顔でお辞儀してみせた。




