第三章 スクープ 1
週末の土曜日は、快晴に恵まれた。
採点制競技会の会場『浦浜スポーツアリーナ』はサッカースタジアムに併設された施設で、ウェブサイトで調べたところ、大小の体育アリーナに加えてプールやトレーニングジムなどもあるらしい。交通の便も悪くないので、普段から地元の利用者で賑わっているようだ。
「ここだね」
スマートフォンで地図を見ながら、小野高の三人も迷うことなく辿り着けた。
そのまま夕陽は『キズナ』のアプリもさり気なく立ち上げた。スクリーンに、朝一番でトモシンとやり取りしたメッセージが表示される。
《おはよう。テスト、今日だよね? 頑張って。夕陽さんたちならきっと大丈夫だよ》
《ありがとう。そっちは練習試合だっけ? トモシンも頑張ってね》
《うん、ありがとう。まあ、頑張るのは俺じゃなくて選手だけど 笑》
《笑 でも、トレーナーさんだって忙しいでしょう? 外は暑いだろうし気をつけて》
《サンキュ。朝っぱらからごめんね。じゃあ、また》
《うん。またね!》
夕陽さんたち、というのが少しだけひっかかったが、すぐに首をふって邪念(?)を打ち消す。それはそうだ。トモシンはいつだって、自分たち全員を応援してくれているのだから。
「どうしたの?」
「どこか、マラッドですか?」
鈴とマリーに心配そうな顔をされてしまい、「ううん、ちょっと緊張してきちゃったから」と咄嗟に夕陽はごまかした。
「大丈夫、大丈夫」
「まだキンチョーするのは早いですよ、夕陽」
両側から優しく肩を叩かれて、なんだか申し訳ない気持ちと、同時にあらためての反省が胸の内に湧き上がる。浮かれている場合じゃない。今は採点制競技会に集中しよう。稲城先生いわく難しくはないそうだが、まずはここをクリアしなければ、試合にすら出られないのだ。
会場となるのは小さい方の体育アリーナで、バスケットコートが二面取れるくらいの広さがあった。プラットフォームの正面にはパイプ椅子と階段状の台による応援席も設けられており、同じ側の壁に『ウエイトリフティング競技 全国高校総体予選会』と記した立派な横断幕がかかっている。
「わあ!」
「試合会場っぽい!」
「セ・ボン! いいアレーヌですね」
出入り口でそれぞれ感想を口にしていると、すぐそばの長机から「ウエイトリフティングの方ですか?」と声をかけられた。施設のロゴ入りポロシャツを着た、職員と思しき若い女性だ。
「あ、はい。採点制競技会に出場する小野原高校です」
主将として登録されている鈴が答えると、「では各自のお名前を確認して、問題なければマーカーを引いてください。ゼッケンはこちらになります。着替えは女子ロッカーでどうぞ」と一枚の用紙とラインマーカー、シール型の小さなゼッケンを渡された。言葉通り用紙には出場校と選手名、ゼッケン番号が並んでいる。
「じゃあ、あたしやっておくよ。先に着替えてて」
新入部員らしい仕事をしなければ、と夕陽がマーカーを手に取ると、鈴とマリーも「ありがとう」「メルシー」と素直に頷き、一足先にロッカールームへと向かってくれた。
「小野高さんは初めてですね。頑張ってください」
「ありがとうございます。頑張ります!」
受付嬢の優しい声に励まされ、上機嫌でマークを済ませた夕陽も二人のあとを追う。だが十メートルほど進んだところで、「あ」と足を止めた。《自動販売機コーナー》というプレートが目に入ったからである。
そういえば、水を買うのを忘れていた。ウエイトリフティングはさほど発汗する競技ではないが、ウォームアップや試技の合間に多少の水分補給は必要だし、六月のアリーナという環境もある。試合ではないけれど、万全のコンディションで臨まなければ。
角を曲がって自販機コーナーへ向かうと、付設のベンチに先客がいた。ちょうど陰になって見えなかったらしい。
ベンチに座っているのは女の子で、同い年くらいだろうか。Tシャツにハーフパンツという格好をして、ボブっぽい長さの髪を太めのリボンで束ねている。リボンがくっきりした黄色なので、黒髪とのコントラストが目にまぶしい。
「ウエイト選手かな」
自販機にコインを入れながら、例によって夕陽の口は勝手に動いてしまっていた。
「そうだよー」
「!?」
自業自得とはいえ、驚いたせいで手にしたペットボトルを落としそうになった。
「だいじょーぶ?」
ひとりごとに答えてくれた女の子が、きょとんとこちらを見つめてくる。色白でキュートな、どこかのアイドルグループにでもいそうな顔立ちだ。左目のすぐ下に小さな泣きぼくろがあるのも可愛らしい。
「す、すみません。あたしもウエイトやってるから、つい」
「そうなんだー? 頑張ろうねー」
よく見ると、女の子はなぜかバナナを房ごと抱えていて、手にした一本の皮をむいているところだった。
「ままま、ふひー?」
「はい?」
「あ、ごめんねー。食べながら喋っちゃった」
のほほんとマイペースな感じで彼女が笑う。呆気にとられたまま、夕陽の方は小さな顔を見返すしかない。
「…………」
「ん? なーに?」
「いえ! なんでもありません!」
自分と同じくウエイト選手とのことだが、どこの学校だろう、検量もすぐ始まるのに、こんなところで一人バナナを頬張っているなんて。チームメイトはいないのだろうか。
愛らしい顔立ちと先の読めない言動に戸惑っていると、女の子が今度は、はっきり聞き取れる声で聞いてきた。
「バナナ、好き?」
どうやらさっきもこう言っていたらしい。無邪気な笑顔が、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
かなり天然ぽいが、とりあえず悪い子ではなさそうだと判断した夕陽は、「ええ、まあ」と返しておいた。
と、次の瞬間。
「よかったー! はい!」
房からちぎったバナナが一本、飛んできた。
「えっ!?」
「それ、一番おっきいやつなの。おいしいよー!」
反射的に受け止めたのは、確かに立派なバナナだった。太いし色も鮮やかで、彼女のリボンとお揃いのような、まさにバナナイエローの皮に包まれている。実際、味も美味しそうだ。
……って、そんなことより!
我に返った夕陽だったが、無事に受け取ってもらえたのが嬉しいのか、謎のバナナ美少女は一層にこにこ顔になっている。
「炭水化物、大事だもんねー」
そうして笑顔のまま立ち上がった彼女は、左手に食べかけのバナナ、右手に残りの房を持ったまま「んじゃ、またねー」と、やはりマイペースな足取りで廊下の向こうへと去っていく。
小さな後ろ姿は、百五十センチの自分よりもさらに背が低いくらいだった。
「あれ? 夕陽、バナナ持ってきたんだ?」
ロッカールームに入ると、既にTシャツとハーフパンツ姿になっている鈴が聞いてきた。リストラップという手首のサポーターと、同様に腰を保護する皮のベルトも手にして締まり具合をチェックしている。ウエイトリフティングのルール上、これらの使用は許可されており、他に膝のサポーターを着用する選手なども多い。
「え? あ、ううん。そこでもらったの」
「バナーヌを配っているのですか、この大会?」
マリーも着替えを済ませて、リフティングシューズを取り出しているところだった。
一般には知られていないが、ウエイトリフティングにも専用のシューズがあり、いくつかのスポーツメーカーが販売している。一見、皮や合成皮革でできた普通のスニーカーに見えるが、足の裏、特に拇指球と呼ばれる親指のつけ根にしっかりと力をかけられるよう、踵が二センチほど高くなっていて、シューズによっては紐の上からマジックテープで足をホールドしてくれるタイプもある。値段もけっして安くなく、ものによっては三万円以上もするほどだ。
とはいっても、ウエイトを始めたばかりの夕陽たちは細かい良し悪しなどわからないので、さすがにそこは稲城先生頼みである。しかもありがたいことに、ある日の練習で先生が、「俺が現役時代からお世話になってる方だ」と、有名な国産スポーツブランドの担当者を連れてきて夕陽にも紹介してくれた。
担当者さんいわく、「村中さんも、さすが稲城さんの教え子さんですね。赤木さんとシャルパンティエさん同様に変なくせもないですから、お二人と同じスタンダードなモデルでいいでしょう。カラーは一色しか残っていませんし、もちろん勉強させてもらいますよ」とのことで、鈴とマリーと色違いのものを格安で購入できたのだった。
「シューズも揃ってると、本当にチームって感じよね。うんうん、テンション上がるなあ」
言いながら、鈴もいそいそとシューズをチェックし始めた。マリーが鮮やかなブルーのシューズなのに対して、彼女のそれは真っ赤な色をしている。
「夕陽も早く着替えようよ。検量、始まっちゃうよ」
「あ、うん」
頷く夕陽のリフティングシューズは、白地に金色のラインが入った「なんか、いかにも凄い選手が履きそう……」と恐縮してしまうデザインのものである。ともあれシューズに恥じないパフォーマンスで、まずは無事に採点制競技会をクリアしたい。
結局、謎の美少女にもらったということを言いそびれたまま、夕陽はバナナを一旦バッグに納めて検量に向かった。




