第一章 スタートポジション 1
ウエイトリフティングに取り組む女子高生たちの、青春ストーリーです。
©Lamine Mukae
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――他のスポーツにおける成功の基礎となる唯一のスポーツ。そして、他のスポーツにおける卓越を保障する唯一のスポーツ―― (ジョン・マレー)
「――森永、佐野、飯塚。以上がインハイ予選、団体戦のメンバーだ」
最後まで呼ばれなかった自分の名前が、なんだか他人のもののような気がした。
「メンバーに入れなかった部員もモチベーションを落とさず、いつ何があってもいいように、引き続きアンダーとして頑張って欲しい」
アンダー、つまり誰かが怪我やアクシデントで出場できなくなった際のバックアップ。昔ながらの、そして日本独特の言い方をするならば「補欠」。
……そっか、あたしは補欠か。
その単語がスイッチだったかのように、体操部の公式戦メンバーになれなかったという事実が、村中夕陽の胸に実感となって突き刺さってきた。
悔しい。
唇を噛み締めながら思ったのは月並みでシンプルな、けれどもだからこそ嘘偽りのないひとことだ。
五歳のとき、初めて連れて行ってもらった体操クラブでトランポリンに乗って以来、夕陽は体操一筋だった。中学のときには地区大会ながら個人賞をもらえるほどになったし、自分の成績では難しいと言われるなか、必死の受験勉強をして憧れの「小野高」――小野原高校体操部の一員にもなれた。
だが、名門として知られる小野高体操部のレベルはやはり高かった。そもそも夕陽たち一般入試組とは別にスポーツ推薦で入学してきた部員が何人もいて、最初に見たときはそのレベルの違いに、とても同い年とは思えなかったほどだ。彼女たち推薦入部メンバーは尊敬と少々のやっかみを込めて、伝統的に「キャリア組」と呼ばれていた。対照的に一般入部者は「ノンキャリア組」。それでも例年、何名かは「ノンキャリア組」からもメンバーに入る部員はいたし、自分もわずかな可能性を目標に、この一年間ずっと練習に打ち込んできた。
でも、だめだった。
さらに一年後、三年生の初夏に向けてもう一度頑張るという選択肢もあるし、実際にそうする人たちもいるだろう。けど……。
やりきった、かな。
悔しいという気持ちと同時に、もう一つの想いもまた心の内に湧き上がってくる。
得意の床はもちろん、床の次に自信のある跳馬も、苦手の段違い平行棒も、何度も落下して怖い思いをした平均台も、夕陽は今までの体操人生で一番、そして今後はこんなに努力することなどないのではないかというくらい、頑張ったつもりである。受験のときだって、これに比べれば可愛いものだったと思えるほどだ。
それでも補欠、だもんね。
まわりを見ると涙を流している同じノンキャリア組や、目を潤ませながらも必死に毅然とした表情を保っているキャリア組の姿が目に入った。いずれも自分と一緒で、メンバーに入れなかった者たちだ。しかし夕陽自身は、不思議と涙が出なかった。なんだかさばさばした、むしろ清々しいくらいの気持ちすら感じる。心のどこかに、できるだけのことはやったという想いがあるのだろう。
そんな比較的落ちついた心境が、つぶやかせたのだろうか。
「これから、どうしようかな」
メンバー発表からの解散後。体育館に併設されたトレーニングルーム、運動部員たちが「トレ室」と呼ぶプレハブの前に、ちょうど差し掛かったところだった。
大会メンバーに入れなかったのをきっかけに、辞めてしまう者が何人か出るのもまた、小野高体操部の伝統である。こればかりは仕方がない。誰もが十人にも満たないメンバー入りを目指して、この五月まで一年ちょっと、三年生の場合は二年以上も必死に努力してきたのだ。いわゆる「燃え尽き症候群」というやつである。自覚こそないが、夕陽もそこに足を踏み入れかけていたのかもしれない。
「こんなに必死になれること、そうそうないだろうし……」
ふたたび口が動いていたらしい。トレ室の窓から聞こえた声が、自分にかけられたものだと気づくのに一瞬、間が空いた。
「じゃあ、――やってみないか」
「え?」
「どうだ、やってみないか? 二―Bの村中だろう? 体操部の。君ならきっと行けるぞ」
「あの……」
当たり前だが、たしかに自分は二年B組の村中夕陽だ。そして今のところは、まだ体操部でもある。ところでこの人は誰だっけ ていうか、「行ける」って何が?
「あの……?」
ぽかんとしてもう一度繰り返すと、窓からひょいと顔を出したジャージ姿の男性は、「ああ、そうか。村中は俺の授業、受けたことないんだっけ。いや、すまんすまん」などと一人で笑っている。
「けど、先生の名前ぐらいは覚えておけよ。俺は稲城栄一。こう見えても、れっきとした小野高体育科の教員だ」
こう見えても、と言われてもスポーツ刈りっぽい短髪に日焼けした精悍な顔、有名スポーツブランドのジャージで首からホイッスルという姿は、体育教師以外の何者でもない。年齢は三十歳くらいだろうか。言われてみればどこかで見たことあるかも、と思いながらも、夕陽は目を瞬かせるしかなかった。
「いなしろ、せんせい?」
「そう。体育科の稲城だ」
どこからどう見ても体育科の稲城先生は、念を押すように自己紹介してから、ふたたび問いかけてきた。
「どうだ、村中。やってみる気はないか」
続けられた台詞が今度は、はっきりと聞こえた。
「ウエイトリフティング」