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5章9話 裸の王様 *

【新帝国歴1131年5月30日 アリーシャ】


 私は、彼らの申し出を受けることにした。つまりは、「公妾になる」、その決断をしたということだ。そして、私は大臣たちの聴聞を受けることになったのだ。


 ここは、ランデフェルト公宮の大広間。普段はリヒャルト様と大臣たち、その他の重要な臣下たちが、国政のための会合を持つ場だ。

 今は、真ん中に置かれた小さな椅子に座る私を、彼らが見守る形だ。秘書官や侍従を合わせても30名ぐらいか、私は一人一人を、目で追って数えてみる。


 私の視線は、否応なくその中央へ向かう。

 リヒャルト様。その表情は、今は固い。こんな状況でも、私は彼が可哀想になってしまう。だって、まだ16歳なのだ。私は20歳。もう大人。私は、自分が本当に大人になったなんて、思ったことはなかった。だけど、なるのだ。ならなければならない。

 アリーシャの子供時代は、ここでお終い。


 私は息を整え、姿勢を正す。少しでも堂々と見えるように、顎を引いて、柔らかな笑顔を作ろうとする。

 衣装はいつもとは違う。淡いグリーンの絹地の、肩口までが開いたドレス。スカートは、紗の上地に、下地のレースがわずかに透けて見えている。さらにその端からは、黒に近い緑の靴の、尖った爪先だけが辛うじて見える。まるで、本物の貴婦人みたいな衣装だった。

 貴婦人みたいな?

 違う、なるのだ、正真正銘の貴婦人に。なるのだ、じゃない。私は貴婦人だ。誰からの侮りをも寄せ付けない、誰よりも高貴な女性だ。生まれも血筋も関係ない。ただ私の心が、私をしてその高みへと上げるのだ。

 侮られたところで、それが私にとって何だろう?


「……それでは、公妾の立場を受け入れる、と」

 そう口を開いたのは、リヒャルト様の傍に座る、厳しい中年男性。

 宰相、カール・フォン・エーレンベルク殿。古くからランデフェルト家に仕えてきた旧臣の家系の人だとのことだった。


「はい」

 私の答えに、小さなざわめきの漣が起きるが、ある程度想定内なのかもしれない。それはまるで、穏やかな波のようだった。

「ただし、条件があります」

 私は自分の言葉が、はっきりした発音になるように気をつける。彼らの耳に、意識に、私の言葉が深く深く突き刺さるように。

「条件、とは」

 格別低い声で、宰相殿が私に尋ねる。

 私は笑顔を作る、私が視線を向けたものが私の目の奥にのみ感じ取るわずかな笑み、それでいて見たものにはっきりと理解できる、そんな笑みとなるように。

「お許しください、包み隠さない表現を。……閨での、お勤めはいたしません。夫婦であればするようなことをする、そういうことはしないということです」

 ざわめきの度合いが深くなる。

 私は注意しなければならない、私の意図することが、彼への侮辱と取られないように。

「どういうつもりですか? あなたは……」

「簡単なことですわ、宰相殿。今までと何も変わりません。ただ、身分としてのその立場を受け入れる、そう申し上げております」


 ここに来て私は、リヒャルト様に視線を向けられなくなっている。

 彼は、どう感じるんだろうか。私の意志を、私の言葉を。

 きっと私は強情で、身の程知らずで、愚かなんだと思う。そしてきっと酷い女。こんなに可愛い私の少年に、こんな言葉を聞かせるのだから。こんな酷い言葉を投げつけるのだから。

 だけど私は勝たなければならない、この勝負に。折れ曲がるわけにはいかない。許してください。認めてください。誰か、どうか。誰か、理解してください。

 それともあなたは。他でもないあなた、その人が。

 こんな私でも認めて、愛してくれますか?


「宰相殿。問題点の整理をよろしいでしょうか?」

「どういうことでしょうか?」

「本件は、国策への進言を行うには、私の身分が低すぎることが問題。だから、廷臣としての身分が必要。そういうお話でしたね」

「ええ。加えて……」

「私は本当は不満なのです。私の知識と知恵を、殿下ほどには、皆様は信頼してくださらない」

 私のこの言葉は、議場に動揺を引き起こす。

「それは、無理からぬことでもありますわ。裏付けがありませんもの、どこそこの教育を受けたというような。私が女の手管で殿下を惑わしているのではないかとお思いになっても、それはもっともな懸念かと存じます」

「ですから、それは」

「そう。公妾の身分は、私から皆様へのお約束です。いざとなったら……もし、リヒャルト様にしかるべき伴侶が見出され、それに応じた身の処し方を決めるべき、私にその要請があれば。国家の命令に従い私から公宮を去ることを、私はお約束します」


 そして、ざわめき。

 だけど今回は、今までのざわめきとは少し、何かが違っていた。

「……それで、身分のみの公妾、ということですか」

 これは宰相殿。まだ、完全には納得しかねている様子だ。

「まだ一つ、大事なことがありますわ。宰相殿」

 私は微笑む。今日で一番、最高の微笑みを作るのだ。

「どうか、私が殿下を愛していないと、そんな風には思わないでくださいね」


 本当は隠しておきたかった。これは私の中だけで思っていて、他の誰もが理解しなくていいことで。だけど言わないわけにはいかない。


「もし、身も心も、全てを捧げてしまえば。私は彼の全てを手に入れたいと、絶対に離したくないと、別の誰かによって引き離すことなんてできないと、そう思うことでしょう。思うだけではない、そのために行動することでしょう。だから、私の全ては捧げない。そう申し上げております」


 王様は、群衆の前に丸裸で立たなければならないこともある、そんなことを誰かが言ってたっけ? こともある、じゃない。王として生まれる、王として在るというのは、つまりそういうこと。王様は、何一つ、心の襞の一番奥の、小さな小さな痛みですら、その民に隠しておくことはできない。

 王様は、いつだって裸だ。


 そして、沈黙。

 まだ裁定は下らない。だけど、きっと大丈夫。

 そうだよね? 若葉。




【新帝国歴1131年5月30日 若葉】


 一方の私、新井若葉の方の私は、自分の言葉を挟まず、入れ知恵もせず、アリーシャを傍観者の一人として見守っていた。エックハルトと他の皆はアリーシャの外部から、私はアリーシャの内部から。私が何も口を挟まず、表に出ても来なかったのは、エックハルトのお願いもあってのことだ。と言ったって、アリーシャがもし本当に酷い言葉を投げかけられて、とてもじゃないけど耐え切れないと感じたら、私はエックハルトとの約束を破るつもりだったけどね。そうなった時にはまあ、色々と仕方がないのかもしれない。

 とになくエックハルトは彼なりに案じている、アリーシャが公国の女主人として、その役目を果たせるかどうか、その重圧に耐えられるのか。それはエックハルト自身が、アリーシャの資質を信じきれてはいないということでもあるかもしれないが。

 とにかく、アリーシャはやり切った。彼女の言葉が、国家の重鎮たちにどの程度響いたか。彼女の結論が、局面にとってどれほどの意味を持っているのか。この選択が、吉と出るか凶と出るか。

 それらは皆、まだ分からない。だけど彼女はやり切った。


 私の方はというと、ここにきて、アリーシャと私、若葉の関係を考え直さなければならないと感じていた。アリーシャは子供で、若葉は大人。でも本当はそんなことないと、理解しているのは私だけだ。

 アリーシャは自分の力に気付きつつある、自分の中に眠っている、凄まじい力の片鱗に。でもそうしたら、若葉は? アリーシャが本当に強くて賢い大人になっても、アリーシャは私を必要としてくれるだろうか?


 とまあ、こんな感じだった、アリーシャとリヒャルト様の、根本的な関係の変化に関する出来事は。

 ちょっとまあ、いろいろと難しい問題はあるのだけど。とにかく、アリーシャも、リヒャルト様も、エックハルトも、それから私も。私たちそれぞれが行った選択に従って、未来を模索していかなければならない。

 そして、『新井若葉』が生きてきた人生で得た知識が、この局面において役に立つのかどうか。それは正直よく分からないけど、盤面をひっくり返すほどの強力な鍵になりうるのはそれだけだ。だから、せいぜいその活かし方とタイミングを必死で考えるだけだと、私はそんな風に考えていた。


 だけどこの件に関する成り行きは、私がこの時考えていたのとは、全く違ったものになったのだ。それを私が全て語るのは難しく、また長い話になる。

 特に、この翌年の出来事、その始まりの事件については、アリーシャの弟にしてランデフェルト公国技師、ヨハン・ヴェーバーの手記に任せたい。それは、ヨハンが詳細な記録を残していたからでもあるし、この事件について語るのは、彼が一番適任だと思うからだ。

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