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2章5話 家庭教師のお時間

【新帝国歴1129年4月29日 アリーシャあるいは若葉】


 書見室の高い窓から、光が差し込んでくる。本棚に直接日が当たらないように、採光窓が設置されているのは天井だ。今は昼日中で、明かりの類はない。私が元いた世界での基準より暗い部屋で本を読むのは、この世界では普通のことだった。


「やだー!」

 ついに我慢できなくなったヴィルヘルミーナ様が、ノートを放り投げる。すかさず拾いに行くのはエックハルト様だ。

「どうぞ」

 そして、それを私に差し出す。


 ヴィルヘルミーナ様の詰問から、すぐ後のことだった。彼女の不審感を解くため、そして私の立場を理解していただくために、エックハルト様の提案で、算術を教えることにしたのだった。

 ヴィルヘルミーナ様のノートには、虫食い算の問題が写されていて、一部だけが解かれていた。現代日本で言ったら、小学3年生ぐらいの内容かもしれない、が、私は正直、小学校の学年と算数の問題レベルの相関を忘れている。

 1時間のレッスン中でヴィルヘルミーナ様は5問だけ解いていた。最初の問題は勢いよく、強い筆致で答えが書かれている。それが3問目になると、ミミズののたくったような文字に代わり、5問目で間違えて、ぐちゃぐちゃと黒いペンで間違いを消した後があり、そこで止まっていた。

(わかる……)

 ちょっと私は彼女に同情する。

(家庭教師のバイト、ちょっとやったよなあ。懐かしい)

 算術の教材はリンスブルック侯宮の方で用意してもらった。意外なことにすんなりと協力を取り付けることができたのだけど、それには理由があった。

 ヴィルヘルミーナ様は勉強が嫌いらしい。裁縫やダンスは熱心に取り組むものの、気に入らない勉強になると断固として拒否する。リンスブルック侯宮の家庭教師たちにはどうしても身につけさせることができない教科もあり、そのことはリンスブルック侯の怒りを買うことになる。誰かが引き受けてくれるなら渡りに船、ということのようだった。

 ヴィルヘルミーナ様は算術が苦手なようで、かろうじてまだ机に向かうことができている理由は、ひとえに私への対抗心ゆえのようだ。

 ヴィルヘルミーナ様のノートにはインク溜まりがいっぱいできていた。

(算数の問題もペンで解くの?)

 と私は思う。大学生ならともかく、小学生にはこれは苦しい。

「どなたか、使用人の方をお呼びいただけますか。持ってきて欲しいものがあるのです」


「なんですの、これ」

持ってきてもらったのは石版と白墨。この世界でも極々ありふれた道具だが、王侯貴族の子女であるヴィルヘルミーナ様には見覚えのない代物のようだった。

「これなら、書いてもすぐに消すことができます。算術のお勉強は、こっちの方がやりやすいんですよ」

 と私。綺麗なドレスを汚しかねないのは少し怖かったけど、ヴィルヘルミーナ様は見たことのない道具に興味を覚えたようだ。

「これと同じ勉強を、昔リヒャルト様もされていたのですよ。君主となれば、もっともっと学ばなければならないことが増えるかと存じます。それを目指して、頑張りましょう!」

「えー、やだー! わたくしは算術以外を頑張りますわー!」


 ここで、私の立ち位置を整理しておきたい。

 私はこの訪問に技術相談役として同席している。リヒャルト様とヴィルヘルミーナ様の微妙な関係を考慮すると、下手に目をつけられる動きは避けたい。また、不埒な動機を持つ者ではないことを証明したかった。

 しかし、リヒャルト様の軽率な(と言ってしまっていいだろう)振る舞いで、まんまとヴィルヘルミーナ様に目をつけられてしまった。リヒャルト様とヴィルヘルミーナ様、この二人にどう関わるか、あるいは関わらないかは、私の今後の宮仕えにも影を落とす問題だった。

 その諍いにおいて、私の気持ちは、どっちかというとヴィルヘルミーナ様に偏っていたかもしれない。なぜかリヒャルト様は、ヴィルヘルミーナ様に当たりがきつい。そしてたぶん、ヴィルヘルミーナ様を疎んじる分、他の者へ関心を向けている。


(これって、悪役令嬢転生ものだと原作ヒロイン、ぶっちゃけて言えば泥棒猫ポジだよね?)

 なんて、らしくもないことを、心の中で叫んでみる。


 要するに私は、運命の仕返しが怖いのだ。自分がいたいけな少女の人生の罠、その心を傷つけるだけのために置かれたアレ以外のものではない現状は心が痛むし、そういう自分の意図しない悪意の代償を払わされる運命は正直、御免被りたい。


(リヒャルト様ごと『ざまあ』 はされたくない! 助けて!)

 そんな馬鹿げたことを、私は考えていた。


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