6.そして、従者を手懐ける(後編)
身支度が終わるとクロエはレオナルドの部屋を訪ねた。
「これからクリスタ嬢のお見舞いに行きたいのですが、案内して頂けませんか?」
突然の訪問にレオナルドは驚いた。
風呂上がりなのか、クロエの肌からエキゾチックな甘い花の香りが漂う。胸元を隠した落ち着いたドレスを着ているせいなのか、彼女の完璧なボディラインが強調されて、無意識にその曲線美を目で追って送ってしまう。
慌てて目をそらし、レオナルドはクロエを見ないように
「ついて来て下さいっ!」と言い、クリスタの部屋に案内した。
「レオナルド、部屋の前で待っていて貰えませんか?女の子同士で話したい事もあるので…」
クロエの少し恥ずかしそうな表情が可愛く思った自分に驚いた。
「なっ、何故です?私に聞かれてはまずい話しでもあるのですか?」
「レオナルドは女性の気持ちがわからないのですか?紳士はこう言う時は大人しく女性の言うことを聞くものですよ。」
レオナルドは、女性の扱いに長けてはいないと自分でも自覚している。
渋々、クロエの言われた通りにする。
クロエはクリスタの部屋をノックし、出てきた侍女に招かれ部屋に入って行く。
レオナルドは何故か胸騒ぎ感じながらも見送り、クリスタの部屋の前で待った。
「初めまして、クリスタ嬢。来月、レオナルドと結婚しますクロエです。」
「あら、やっとクロエに会えたわ。ごめんなさいね、体調を崩してしまって。どうぞ近くにいらして」
クリスタはベット横の椅子に座るよう勧めた。クロエは椅子に座り、改めてクリスタの顔を近くで見た。遠くからでも彼女の美しいオーラが溢れていたが、間近で見ると彼女が絶世の美女と言われるのが納得できた。黄金に輝く美しい髪に、小さな顔、長いまつ毛、そして誰もが魅入られてしまう美しいブルーの瞳…。
「え?」
クロエは思わず声に出して驚いた。
クリスタの瞳はクロエと同じく紅い宝石のような色だった。
(私が読んでいた「悪役令嬢は死ぬ事を恐れない」で出てくるクリスタは金髪で青い目のはずなのに。またこの違和感はなんだろう…)
「私の顔に何かついていますか?」
天使のような笑顔でクリスタは訪ねた。
「え、えと、、瞳が私と同じ色だなって…」
思わず、思っていた事を口にしてしまった。
「ああ、北部の人たちは狼と同じ目の色ですものね。ここでは金眼のジョンと私の様な紅眼はとても希少なんです。」
クリスタの微笑みながら答える姿はやはり天使のようで、彼女からは「悪」何て言葉は想像も出来ない。
しかし、クロエは全身を襲うような鳥肌と、得体の知れない禍々しい圧を感じていた。
ここに来た理由は確かめたい事があったからだ。美奈子は決意を決めて切り出した。
「ほほ、、そーなんですねぇ。えと、その…侍女さん達〜クリスタ嬢と2人だけでお話があるので10分、いや5分くらい外で待って下さらない?」
クリスタは少し驚いた表情をしたが、侍女たちを外に行くように指示した。
「…あの、2人だけのお話とはなんでしょうか?」
クリスタが心配そうな顔でクロエを見つめた。
「私をこれ以上殺さないで。あなたが望むものは全てあなたのモノなのよ?」
唐突な発言にクリスタは理解出来ないでいる。
大声で言うと外で待っているレオナルドや侍女が来てしまう。怒りを腹の底に溜め続けながらクロエは続けた。
「あなたは私を何度も殺すのがお好きなの?この物語の本来の目的は何だったか思い出しなさい!男どもの愛?あなたの望む最高のハッピーエンドは何なの?」
「ちょっと、クロエ落ち着いて!言っている事がわからないわっ……!」
慌て怯えるクリスタの口を素早く手で押さえ、耳元でクロエはどす黒く言い放つ。
「私は死を恐れない。」
クリスタは眼を見開いた。
不適な笑みを浮かべるクロエを目に焼き付かせた後、
「誰か来て!!クリスタ嬢が!!医者を呼んでください!」
突然、悲鳴のような叫び声で外で待機する侍女たちに助けを求めた。
「ねえ、本当よ。怖いわクロエ、私は何もわからない…」
クリスタはクロエの言動に理解が出来ずに泣き出した。
「“あなた”はまだクリスタの真実を知らないのね。」
「え?」
怯えるクリスタの表情を見てクロエは悪女の様にニヤリと笑い、更に彼女を恐怖で怯えさせた。
部屋に入ってきた侍女達に、クロエは慌てた演技で説明した。
「突然、クリスタ嬢が取り乱してしまって、、よくわからない事を言い出してしまい…まだお熱があるかもしれませんね」
(よくわからない事言ってるのは私なんだけどね〜w)
我ながら迫真の演技だったなと、心の中で自画自賛したかったが、そんな暇も無く何か言いたげなレオナルドが近づいて来たのでクロエは先手を打つ。
「クリスタ嬢のお加減が心配なのでお側に居てあげて下さいね」
「私が医者を呼びました。また後でクリスタの様子を見に行きます。それより貴方に話があるのでこっちへ来て下さい!」
(よ、予想外だわ 最愛のクリスタを置いて私に話って何だろう…)
レオナルドはクロエの手を強く引き、人気の無い場所で立ち止まった。
「今朝と言い、先ほどだって!一体何なんですかっ!貴女の言動は問題です。意味がわからない!我が家を乱す様な事は止めて下さいっ!!」
レオナルドは怒りのあまり、クロエを脅すかのような態度で言ってしまう。
クロエの少し怯えた様子に、レオナルドは瞬時に冷静を戻し、次は彼女に対しての罪悪感に身が染まる。
「こんな女とあなたは結婚などしなくて良いのです。正直に言いますと私はあなたと結婚する気はありません」
怯えていた彼女から想像もつかない言葉に、先ほどの罪悪感は消え去り、レオナルドは固まる。
「私はこの政略結婚を理解しております。どんなに嫌がろうともフランドル家の長男以外のご子息と私は結婚はしなければなりません。だけど、結婚したい相手はあなたではありません。」
「…クロエ、あなたは誰と結婚すると言うのですか?」
「北の領地に居るヨナス様です。」
「っ!!」
ヨナスの名前を聞いた瞬間に、彼女に殺意の様な感情が湧いたが、その衝動を噛み殺す。
笑顔で答えるクロエに憎悪する。
思い出したくも無い弟の名前、この女はどうしてこんなにも苛立たせて、頭の中を掻きむしるかのように不快にさせるのだろうか。
「はぁ、残念ですがそれは出来ませんよ。」
溜め息混じりにレオナルドは言い捨てたが、クロエはすぐにその言葉に噛みついた。
「なぜですか?私は北の最果ての領地に行きたいのです。お義父様を説得して見せます。」
何にも知らない馬鹿な女だと、哀れみを込めてレオナルドは続けた
「私たちはもう書類上で結婚しています。あなたは結婚を来月と先延ばしをしましたが無意味ですね。神の前で誓わなくても我々はもう夫婦ですよ。」
クロエは沈黙した。
そして、ぶつぶつと何か独り言をしている。彼女の様子がおかしい。
レオナルドは不気味に感じて大丈夫かと声を掛けようか迷っていると、突然クロエは叫び出した。
「あンの、クッッソ狸どもめ〜〜!!!!」
目を見開き叫び激高するクロエ。
否、クロエ役を忘れた中身の村井田美奈子の叫びだった。
「私の計画が台無しじゃんっっ!…ふざけんじゃないわっ」
「ちょっ、そっちは父の…待って!何処に行くのですか!?」
レオナルドを無視して、クロエはジャック・フランドル公爵の書斎へ迷いなく走り向かった。
慌ててその後を追うレオナルド。
(本当にこの女は意味がわからない…!)
※※
「ジョン、部屋の前で誰かが揉めている。見て来てくれ」
ジャック・フランドル公爵は無表情で書類仕事をしながら、長男のジョンに頼む。
「ん?僕は何も聞こえませんけど。父さんは何か聞こえましたか?」
ジョンは従者と一緒に部屋の外に出ようとすると、クロエがつかつかと入って来た。
何の迷いも無くクロエは公爵が仕事する机をバシン!と音を立て両手で叩きつける。
公爵が走らす羽根ペンのインクがぼとりと落ちて書類が汚れた。
やっと手を止めて、彼は無表情でクロエをゆっくりと見上げた。
同時にジョンはクロエの愚行に怒鳴りつけた。
「お前!何をやっている!!」
あまりにも突然の出来事だった。北の総督でもある父に対して無礼な振る舞にジョンは躊躇いも無く持っていた剣を抜いた。
「レオナルドと既に結婚の手続きが済んでいるのは本当の事ですか?!」
クロエは後ろでジョンが剣を抜いてる事も知らず、怒りながら公爵に問いただす。
「ああ、そうだ。君は既にクロエ・フランドルだ。」
「何を勝手に!親同士が企んでる政略結婚は理解しておりますが、私たちの意思や気持ちを尊重する事は無いのですか?」
クロエは公爵の目を見つめて怒りを訴える。暫し2人に沈黙が続く。
ジョンは自分がクロエの眼中に無いことに無性に腹が立ち最後の警告をする。
「おい!聞いているのか?!その汚い手を今すぐ退かさなければ切るぞ!!」
クロエは会話の邪魔をされ、苛立ちながらジョンの方を振り向き睨む。
「やれるもんならやってみなさい。どうぞ、剣も持たない無抵抗な女の手を切り落としたら?私の父マリオ・ガーランドが喜んで貴方の腕を切り落としにこの領土へ攻めて来るわね。」
今にもクロエを斬りつけそうなジョンを、父ジャックが手で抑えるような仕草で彼を止めた。
「君の意思を尊重して希望通り来月に結婚式を行う。政略結婚に理解があるならこの事実も受け入れてくれ。」
「お義父様!私はっ、」
クロエの言葉を遮るように公爵は続ける。
「あと、今朝希望していた君の専属の騎士を用意した。そこの彼に乗馬を習いなさい。剣術の稽古については後日私から連絡する。君との話は以上だ。」
一方的に話を終える公爵に反論したいが、与えられた騎士の姿を見てクロエは固まる。
ジョンの後ろにいる従者はクロエ専属の騎士だった。黒髪に琥珀色の目、薄っすらと日焼けした肌。自分の背丈に近い青年はクロエの記憶の中で確かに見覚えがあった。
公爵との話は続けたかったが、興味はその騎士へと移る。
「あなた、お名前は?」
「ダンテ・シュダールと申します。」
ダンテはジョンの後ろから前に出て騎士らしく挨拶をする。値踏みされているようなクロエの視線が彼を緊張させた。
「あなたの姓だと、北部ノアール山脈の麓の近くの出身ですよね。ご家族はご健在かしら?」
「はい、仰る通りです。そこに家族が暮らしております。」
「完璧ね。お義父さま、素敵な騎士をありがとうございます。では、また後日。ダンテは私について来て。」
「はいっ。お嬢様」
クロエは何事も無かったようにダンテを引き連れ颯爽と部屋を出た。
父も何事も無かったように仕事を続けている。
ジョンは剣をまだ握りしめたままで、自分に見向きもせず部屋を出たクロエに怒りで震えていた。
一部始終を部屋の片隅で見守っていたレオナルドは、この不気味な静寂にどうして良いのかわからないでいた。
※※※
その夜、クロエは自室のベットで横たわり、目を閉じて過去の記憶を辿りながら頭を整理する。
森にいた少女マリとの記憶は断片的だ。ある1人のクロエの記憶しか残っていない。
ダンテ・シュダールは過去何度もクロエを殺している。
だが、彼は殺そうとしてきた人間たちとは明らかに違う特徴があった。
ダンテは、苦しまずに急所を確実に狙い命を奪う。決してクロエの命を弄ぶような事はしなかった。
あえて彼を専属の騎士にしたいと言ったのには理由がある。美奈子はクロエの記憶を頼りに、彼にかけてみたい事があった。
「隠れてないで出て来なさいよ。」
誰もいない静かな部屋にクロエの声は響き渡る。
「ダンテ、居るんでしょ?私に何か用でもあるのかしら?」
「…何故、俺が居るってわかったのですか…。」
ダンテは部屋の物陰から現れて正直に答えた。
「私、これでも何度も暗殺者に狙われているのよ。アンタが居るのは最初からわかっているわよ。」
クロエは起き上がり、隠し握っていたフェンシングの剣をダンテに向けた。
美奈子は9歳まで父がやっていたフェンシングを習っていた。もちろん競技でしか人に剣を向けた事がない、襲いかかっても抵抗できるだろうか?
ビビってる事を悟られないようにと強気に出る。
「大人しく殺されたりはしないわ。それにアンタと取引がしたくて待っていたのよ。」
ダンテは小刀を持っている。フェンシングの長い剣先でこれ以上の間合いは詰められない。
予想外の出来事でダンテは暗殺の任務が失敗するのでは無いかと内心焦る。
しかし、向けられている刃先が震えているのを見て案外楽に殺せそうだと余裕が出た。
「お嬢さん、取引ってなんだよ?条件言ってみろ」
本来の彼の口調で応えた。
「私に忠誠を誓う騎士になってくれたら、あなたのお母様の病を治す。既に設備の整った病院に行くように手配してる。幼い兄妹はお母様が治るまで私が預かるの。今、侍女が連れて来てるわ」
「お前!なんで俺の家族の事を知ってんだよ?!」
「ふん、どーせ私を殺したところで本来の報酬も得られずに全ての罪をなすりつけてあなたは死刑よ。仕送りを待っている家族は?処刑されても罪人の家族はその後どうなるか想像はできないの?」
「やめろっ!お前は俺の家族を人質にしてるのか?」
美奈子の予想通り、ダンテの弱点は家族だった。
彼は一度だけクロエを殺さずに、自分の家族の元へ連れて行き命を助けた。
しかし、クロエは不慮の事故で死ぬ。
それからのダンテは“優しさ”を失い淡々とクロエ達を葬って行く…。
美奈子は本来の彼は優しい人だと信じている。
「私はあなたと、あなたの家族を助けたい。誓うはダンテ!私はあなたを守る、その代わりあなたは私の騎士として私を守って!」
「ふざけんな。お前はいろんな人間から狙われてるんだ。そんな奴が俺を守るだと?」
「ダンテ!これを見なさい。」
クロエは部屋に積まれた荷解きされていないスーツケースの様なバックを一つ蹴り上げた。ガシャんと音を出して中から金貨が飛び出す。
「私が死んだらコレ全部あげる。持てるだけ持ってこの国を家族と出なさい。一生だって生きて行ける。それにまだあるのよ、私が知っているガーランド家の隠し財産の在処を」
クロエの後ろに積まれた荷物を見てダンテは驚く。
「あんた、もしかしてコレ全部…」
「ダンテの雇い主は、私を殺したらいくら報酬を出すの?」
「昇格と……金貨3枚だ。」
美奈子は目が点になる。
クロエの命はたったの金貨3枚…。
雇い主は騎士団長でもあるジョンだろう。あいつの顔を思い出して怒りが湧いてくるが、冷静に交渉を進めた。
「あんたも馬鹿じゃないでしょ?取引成立なら騎士として私に忠誠を誓いなさい。それでも私を殺すなら刺し違えてでもお前を殺す。」
ダンテは小刀をしまい、膝をつく。
口は悪いが忠誠を誓うダンテは完璧な騎士の振る舞いだった。
「こちらこそ宜しくね。私の騎士様」