14.ジョン・フランドルの秘密
フランドル家に待望の長男が生まれた。その知らせはすぐに広がり北部の貴族や民からも祝福が捧げられた。
だが、母はレオナルドが生まれるまで、俺を家族以外の人間から隠していた。
誰も長男の顔を見たことがない。北部の人間が様々な噂を飛び交う度に母は少しずつ壊れていた。
今日もガラス越しに見える庭では、美しい花が咲いている。蝶が優雅に舞って、鳥が囀り自由に飛ぶ。夜は時々だが狼の群れも見ることが出来た。手を伸ばせば届く距離なのに触れる事ができない。
俺はあの時、全てに触れてみたかった。
※
お母さまは窓越しにいる事を酷く怒る。カーテンを閉められ、毎日部屋の中で過ごしていた。何度も窓から景色を盗み見ていると、僕を窓の無い部屋に閉じ込めようとした。
必死で家の中を逃げ回った。捕まったらもうあの景色や狼たちも見れないと思うと怖かった。
お父さまには、僕を壊れたお母さまから守って欲しかった。
「お父さま!お母さまがぼくを窓の無い部屋に閉じ込めようとする!助けて!」
出掛けようとする父を見つけ、足に抱きついた。泣きながら助けを求めるが、冷たく手を解かれた。
「エレナ、いい加減にするんだ。早くジョンを受け入れろ。」
「あなた、急いで何処に行かれるのですか?」
「南部に行く。遅くても2週間までには戻る」
お父さまは振り向もしないで、1人で馬に乗り行ってしまった。
僕は扉が開き閉まるまでの数秒、外の景色と父の背中を眺めていた。これが最後に見る外の景色なんだと子供ながらに悟った。
「あああ!やっぱりあの南部の女の所よ!酷い、酷いわ!」
「お母さま、やめて」
近くにあった花瓶を投げ、暴れている。
僕はお母さまを落ち着かせたかったから触れたんだ。
母はその手を払叩き、酷い憎しみの目で僕を見た。
「気持ち悪い、触るなっ!お前がそんな目で、そんな髪の色で生まれたせいよ!だからあの人は私をアバズレ扱いするのよ!私は浮気なんかしていないのに、あの人しか愛していないのに!」
その時はお母さまが何を言っているのかわからなかった。全部、僕のせいなんだと思っていた。
そして、窓の無い部屋に閉じ込められた。
僕は一度も自分の姿を鏡で見たことが無い。僕はどんな目の色なんだろう、髪の毛色は?数本抜いてみると、真っ白な色だった。
「お母さまとお父さまの髪は黒い色、僕の髪の色は白いから駄目なのかな。
お母さまの目は濃い青い色、お父さまの目は灰色に似てる、僕の目は何色なんだろう? 痛そうだけど、片方だけ目をくり抜いて見てみようかな。
どんな色なんだろう、ああ、気になるなぁ。」
2週間もしない間にお父さまは帰って来たが、すぐ自分の部屋に閉じこもってしまった。
お母さまは珍しく鼻歌を歌いながらご機嫌な様子で僕を部屋から出した。
「あははは、南部の女が死んだみたい!いい気味ね。さあ、ジョン踊りましょう。」
今だけなのか、お母さまは僕に触れるのを許している。
閉じ込められた時間が長いからか、軽快なステップが取れなくて何度も転んでは這い上がる。
僕は操り人形のように、母が満足するまで踊り続けた。
そして暫くして、お母さまのお腹には僕の弟か妹がいるんだと教えてくれた。
僕は兄弟が出来るのが嬉しかった。一緒にこの部屋で僕と同じ気持ちになって欲しい。それで、僕といっぱい遊んでくれるかな?ああ、早く会いたい。
兄弟を驚かせないように、僕は自分の目をくり抜くのはまだ止めておこう。
※※
どのくらいの時間が経ったのだろうか、やっと弟が生まれた。
何日かしてお母さまが部屋に来て、僕は知らない部屋の浴室に連れて行かれる。
「ジョン、とても良い物があるの。これを髪に塗ってあげる。」
お母さまは僕の髪を黒色に染めた。
綺麗な服を着せ、僕を改めて見ると、引きつった笑顔を見せた。
「これで、大丈夫よ。もうこれで大丈夫だわ…。」
僕は何もわからないまま、家の一番広い部屋に連れて行かれた。
そこには沢山の人がいて、父と初めて見る弟のレオナルドも居た。
「おお!ジョン様の目の色を見ろ!あれは北の王の目だ」
「本当だ!琥珀色、違うなんと珍しい黄金の色だ!」
「素晴らしいわ!北の王に相応しい方だったのね!」
僕の目の色は黄色なんだ。北部では珍しい色だが、みんなが選ばれた人だと祝いってくれた。
今日は弟の誕生と僕のお披露目パーティーのような事をしていた。
お母さまは、その日から憑き物が取れたようにまともな人になった。
もう僕を閉じこめたりしない、外にも出してくれた。
レオナルドの次にヨナス、ミアと僕には兄弟が増えた。
それでもお母さまは、兄弟の中で僕を一番の自慢の息子だと言い、皆んなに見せびらかす。僕は常にお母さまの操り人形で、望む子供を演じていた。
※※※
ある日、珍しく母は贈り物の酒を飲んでいた。上機嫌になって俺を呼び出す。
「ああ、ジョン。本当に良かったわ。あなたが生まれた時は大変だったのよぉ。浮気を疑われて、あの人ったら私とあなたを殺そうと剣を握ったんだから。」
「…父さんが僕を殺そうとしたのですか」
「あなたが変な髪の色で生まれなければ良かったのよ!その目は今では選ばれし者の証になったけど。どうして、あなただけは私達に何一つ似てないのかしらね。」
「母さん、教えてください。僕が最初から母さんや父さんと似た髪や目の色だったら、僕をあんな風に閉じ込めたりしなかったのでしょうか?」
「ふふ、このお酒本当に美味しい…。」
答えはわかりきっていたが、母は俺の問いに答えてくれない。
酒瓶を1人で飲み干した後、レオナルドの叫び声が外から聞こえた。
「誰か!ミアがボートから落ちた!助けて!」
母は慌てて部屋を飛び出し、レオナルドの元に行く。先ほどまで顔を赤くしていた女が青ざめ、湖で溺れたミアの元に向かう。
レオナルドの話によると、あの女は湖に沈んだ娘を探しに躊躇なく飛び込んだ。想像するだけでも、真の母の姿だっただろう。
だが、母はミアを助けるどころか自分も溺れ死んだ。
ミアの死は俺も悲しかったが、母が死んだその夜は…初めて安らかに眠ることが出来た。
時々、子供の頃を思い出す。やっと触れる事が出来た草花、裸足で庭を走り、風の匂いを感じた。
そして、美しい花に舞う蝶をこの手で潰した。自由に囀る鳥を捕まえては手で握り潰し殺した。
俺はあの時、全てに触れてみたかった。
聖母のように讃えられたあの女を、俺はこの手で殺したかった。
やっと念願の自由を手に入れたが、俺を壊した母を殺すことがもう叶わない。まだ狭い箱に入っているような、息の詰まる思いをしている。
そして母がいなくなっても、俺を操るのは冷酷な父だ。あの男は妻や子供に無関心で、マリオ・ガーランドの死んだ妻を今でも愛して忘れる事が出来ない。
助けを求めた幼い子供の手を奴は払い除けた。ただの糞野郎だ、そんな男に俺はまた道化のように理想の長男を演じる。
ああ、もう誰でも良い。この世界から俺を救ってくれないか。
※※※※
中から開けることが出来ない部屋の扉を、クロエが斧で叩き壊す。その斧を手から離さずに持ち部屋に入って来た。
あの女はどうしても俺を殺したいようだ。
でも、もう楽になっても良いんじゃないかと思っていた。
ああ、母とは違いこの女は別の意味でイかれてやがる。
「糞女、殺したかったらやってみろよ。」
クロエは斧を高く振りかざすと、ジョンの鎖が繋いであるベットの足を壊した。鎖はついたままだが、これで自由に移動が出来る。
「可愛い狼ちゃん、お風呂の時間よ」
「はぁ?」
「シャンプーするのよ!私、黒髪はタイプじゃないの。肩貸すから一階の大きな浴室に行きましょう」
クロエは手を差し伸べた。
ジョンは戸惑うが、クロエが壊した扉から眩しい光が見えた。
手を振り解かれる恐怖を思い出しながらも、恐る恐る彼女の手を取った。
クロエはジョンの手を取り自分の肩に回す。
「こんな暗い部屋にいては駄目よ。さあ、行きましょう」
ジョンは無言でクロエの支えで閉じ込められた部屋を出た。陽射しで照らされた廊下を少しずつ歩く。
不思議と胸の支えが取れた気がした。
浴室に着くと、クロエはジョンの服を脱がそうとした。
「はぁ?お前なにしてんだよ!気安く触んなっ」
「はぁ?はこっちの台詞よ。服脱がないと風呂入れないでしょ?あんた少し臭おうわよ」
(意外にも私に裸を見せるのは嫌なのか、…あれジョンもクリスタのお気に入りだから、もしやジョンも童貞だったりする?)
女性に耐性が無いのなら可哀想に思え、クロエは優しく提案する。
「私、別に男の裸は見慣れているから気にしないけど。あんたが嫌なら服着たままで良いわよ。」
「うるせー。足の傷濡らしたくねーんだよ。このまま頭洗え、身体は後でお前が拭け。」
「あは、そういう意味でしたか。…ごめん。」
クロエもじわじわと顔を赤くする。
ジョンは自ら浴槽に頭を出して仰向けになった。
美奈子は美容室でのシャンプーを思い出しながらジョンの髪を洗った。
ジョンの髪はお湯で流すと黒の染料が少しずつ取れた。何度もお湯で洗い流すと白髪になった。正確に表現すればシルバーのような光を感じる綺麗なホワイトカラーの髪だった。
「わぁ、凄い綺麗な髪なんだね。黒に染めてるの勿体ないよ」
「…お前、ダンテに何処まで聞いてるんだよ」
「うーん、秘密。ねぇ、私が決闘に勝ったんだから、これからはこの髪で過ごしてよ。」
「はぁ?ナイフに毒塗ってきやがった奴が勝ったとかぬかすな。あの決闘は無効だ」
「それも、そうだけど…私を暗殺しようとした奴に言われたく無いんだけど。」
暫し沈黙が漂う。
しかし冷静に考えてみると、互いに命を奪い合った仲なのにこの会話や状況がありえない。なんだかおかしな話だなと思いクロエは少し笑った。
ジョンはクロエの笑顔を見て何かを考えている。
「お前のその赤髪良いな。…いつかは赤に染めてみるか」
「わぁ!お義兄さんそれは似合いそうですね!」
「お前に『お義兄さん』なんて呼ばれたくねーから名前で呼べよ、クロエ。」
「ふふ、じゃあいつかは私とお揃いの赤い髪にしましょう、ジョン。」
※※※
ジョン・フランドルはクロエとの決闘の記憶を思い出す。
クロエが解毒剤を飲ませた時、俺はまだ死にたくない思いで必死にしがみつき、薬を飲み干した。
俺はあの時も、全てに触れてみたかった。
だから、クロエの唇や口の中、舌の感触をまだ覚えている。俺の胸に倒れた時にあいつの赤髪を撫でたら、さらさらして指先が気持ちよかった。肩を抱き寄せれば心音を身体で感じた。耳をすませば吐息も聴こえるのに、周りの騒音が酷すぎる。
仰ぎ見た空の色は、白い雲がゆっくりと流れ、綺麗な青い色だった。
俺の心はもう壊れているのに、何故まだ生きたいと足掻いたのか?
空を見上げながら、もう俺の心に湧きあがるクロエへの殺意は消えていた。
でも、次に目開ければ俺はまたあの時と同じ暗い部屋にいる。
絶望だ。やっぱりまた同じ事の繰り返しだ!
もう閉じ込められるのは嫌だ、気が狂いそうになる。
ああ、もう誰もいない。この世界から俺を救う人なんて誰もいない。
そうだ…やはり、母に気味がられたこの目をくり抜こう。
あの時、片方だけ残そうと思ったのは、目の色を確かめたかったのと、いつかもう片方の目でまた外の景色を見れると希望を残していたからだ。
希望を待つから俺は絶望するんだ。さあ、早く、くり抜くんだ。
これで俺は全てを触れる事ができる。
やっと、決心が着いたのにあの女は現れた。扉をぶち破り、殺したかった女が救いの手を差し伸べる。
俺をこの世界から救ってくれるのか?
もう希望を俺に見せないでくれ。
傷つくのは嫌だ。壊れるのは嫌だ。また堕とされて絶望するのは嫌だ。
だけど、あの時も生きたいと縋ったように、俺はお前の手を取っていた。
クロエは俺の手を振り解いたりはしなかった。




