出立
無事にティロやライラを含めて精鋭たちがリィアへ入ったことで、クライオに残っているのはシェールとアルゲイオ兄妹だけになっていた。セイフとセラスはいそいそと出立の準備を進める中、シェールは世話になったアルデア・アイルーロスのところにいた。
「いよいよね、寂しくなるわ」
アルデアは夕日に目を細めていた。シェールはアルデアに懸念される例の出所不明金について相談をしなければいけないと思っていた。
「そう言えば、あの金は……」
「いいのよ、今更。出所不明の大金なんか少しくらい抱えていたって、黙っていれば誰もわからないわ」
「でも……」
「だってあなたがここに6年もいたじゃない。それに比べれば、ちょっとしたお金なんて」
再び出所不明金と自身を重ねられたことで、シェールは自身が貴重なのか物扱いされているのか、よくわからなくなった。
「セリオンから最初あなたの話を聞いたとき、正直驚いたわ。この家であなたを守り切れるだろうかって。だけど、リィアからの追っ手は来なかったでしょう? それにあなたがリィア軍をやっつけてくれれば、ここを脅かすものは何も来ないはずよ」
アルデアは呑気に答えるが、その口調とは裏腹に強い覚悟のようなものをシェールは感じた。
「どうしてそんなに、見ず知らずの人に親切にしようなんて思えたんですか?」
アルデアは「さあ、どうしてでしょう」と少し考えてから、言葉を紡ぎ出した。
「昔から人の出会いは値千金とはよく言ったものね。いくら自分には関係のない人であろうと、誰かにとっては千金の価値があるのよ。その価値を無駄にしてはいけない。だから全ての人には千金の価値があるの。人を大事にする人は、巡り巡って千金に値するものをもらえる。これは私の夫がいつも言っていることね」
アルデアは優しく続ける。
「私はね、オルドの王子様としてあなたを預かったつもりはないの。ただ、私の従兄弟とその息子、あと親戚の子を住まわせていただけ。そうでしょう?」
咄嗟にシェールは下を向いた。アルデアに一瞬でも物扱いする気なのかと疑念を抱いたことが後ろめたかった。
「リィア軍を倒して、今度こそ自由になるんでしょう?」
アルデアは、シェールがクライオに来た当初のことを思い出していた。アルゲイオ兄妹をはじめ、オルドの上級騎士たちが「オルドのために立ってくれ」と懇願しても聞き入れなかったシェールだったが、セリオンの「このままだと一生隠れて生き続けることになる」という言葉に脅され、「リィアを倒せたらオルドの名前は捨てる」ことを条件に反乱軍の一切の責任を取ることになっていた。
最初は名前だけの立場で何もするつもりがなかったシェールだったが、発起人ライラがやってきた頃から何かと生き生きして反乱決行までたどり着くことができていた。クライオに来たばかりの頃は塞ぎ込みがちで部屋の外に出ることすら難しかったシェールが立派に屋敷を出て行くことになり、アルデアの胸にも熱いものがこみ上げていた。
「……もし生きていたら、またここに来ていいですか?」
「もちろん、何かあったらいつでも頼って頂戴。私はいつでもここにいるから」
それでもアルデアは笑顔を崩さなかった。
「お世話になりました」
「くれぐれも身体に気をつけてね。もう無茶をしないように」
アルデアに別れの挨拶を済ませ、シェールは屋敷の外で見送りに来たセリオンと向かい合った。
「本当に来ないのか?」
「俺が行っても何も出来ないだろう?」
セリオンはこのままアイルーロスの家に残ると最初から決めていた。
「そうだけど……」
「そろそろ俺も役目を終えようかな。長かったな、えーとあのときお前は14だったから……13年、か?」
セリオンは指を折って見せた。13年間の出来事を思い出しているうちに、シェールは下を向いてしまった。
「あの、その……悪かった」
「何を今更謝ってるんだ? 思い当たることが多すぎてよくわからないんだが」
「あんたの貴重な人生……あいつらのせいで俺なんかに費やさせてしまって」
「なんだ、そんなことか」
とぼけたように返すセリオンに、シェールは目を真っ赤にして怒鳴り返した。
「そんなこと、なわけないだろ! どうして13年もこんなゴミクズの面倒見られたんだよ!」
「ゴミクズか……そのゴミクズが随分立派になったもんだな」
「立派なものか。今だって少し怖い。怖いけど、出て行かないといけないときもあるんだろう?」
「……そう言えばそうだったな」
セリオンは初めてシェールを前にしたときのことを思い出していた。全てに絶望して自分の望みも言えずに「放っておいてくれ」と泣いていた少年が、自分の足で歩いて行くことに何のためらいもないことが自分のことのように嬉しかった。
「行ってこい。自由になるんだろう?」
「なるよ、なってやるよ。オルドなんて捨てて来るって言っただろう?」
今のオルド領がリィア軍に占領されている状態では、いつ身元が明かされて狙われるとも限らない。シェールの意志があろうとなかろうと、王家の血筋を持つ者が秘密裏に存在することで反リィア思想を持つ者への影響力は計り知れない。真の意味でシェールが自由になるには、今のリィアの在り方を変える必要があった。
セリオンは何かを言いかけたが、それをやめてシェールの肩を叩いた。それにシェールは大きく頷き、しばらく顔を上げることができなかった。
全ての準備を終えたアルゲイオ兄妹はシェールの出発を待つばかりとなっていた。シェールは何度かセリオンの顔を見直して、馬車に乗り込んだ。セリオンは馬車が去って行く方をしばらく眺めていた。なかなか屋敷へ戻らないセリオンの様子を見に、アルデアが外へ出てきた。
「行きましたか?」
「ああ、行ったよ……君にも世話になったね」
アルデアはセリオンの隣で同じように遠くを見た。
「私も子供を三人送り出したけど……送り出すっていうのはいつでも寂しいものね」
「そうだね、怪我なく、無事に過ごして欲しいというのは親心なのかな」
「あらあなた、子供がいたのかしら?」
「あいつが息子みたいなものだね……いろいろ逃して身軽な人生も悪くないと思っていたら、随分と大きな荷物を背負うことになってしまったよ」
夕日が更に傾き、次第に夜が近づいていた。
「それじゃあ、また絵を描いてくださいよ。この屋敷にぴったりの」
「そうだなあ、しばらく描いてないからいい絵は描けないと思うよ」
暗くなっていく空を後ろにして、セリオンとアルデアは屋敷の中へ入っていった。
***
シェールとアルゲイオ兄妹はクライオを出ると、作戦決行日まで滞在を決めているリィアの宿場街にたどり着いた。リィアの首都までそう遠くないこの宿場街はもちろん、近隣の村や町にも少しずつ反乱軍は潜入していた。同じように他の反乱軍も首都の周りに潜伏し、決行予定日に一斉に首都を取り囲む手筈になっている。
決行予定日が1週間後に迫っていた。