散髪
トライト家に潜り込んだライラは女中のセドナとして通いでレリミアの面倒を見ていた。最初は無難に洗濯や料理の下ごしらえなどをしていたが、女中として雇われてから間もなくレリミアのお付きとして面倒を見ることを先輩女中から言い渡された。
貴族の令嬢の付き人など私には務まらない、と最初は固辞した。しかし先輩女中が今付き合っている彼氏がエディアで商売をするから着いていくことになったからと押し切られ、仕方なく引き受けることになった。そして引き継ぎの最後に「あんたも新人が来たら押しつけるといいわよ」と不安になるようなことを言って先輩女中はトライト家の女中を辞めた。
(何で私がこの役目なのかわかった。みんなやりたくないんだ)
最初はおっかなびっくりレリミアに接していたが、レリミアの年齢と中身の幼さの釣り合いの取れなさにライラは目眩を覚えることも多かった。間もなく15歳になるレリミアだったが、成人間近とは思えないほど彼女は天真爛漫であり、無遠慮であった。
「ねえライラ、この赤いお花と白いお花、この服にはどっちが似合うかな?」
「そうですね、服の色合いから赤い花の方がいいと思いますよ」
「やっぱりそうよね! 私たち気が合うのね!」
「ふふふ、お嬢様と私は気持ちで通じ合っていますから」
「ありがとう! ライラ大好きよ!……あ、でもお嬢様っていうのはやめて」
「それなら何とお呼びすれば?」
「レリミアでいいよ」
「それなら、レリミア様ですね」
「もう、様はいらないのに!」
(本当に何なの? 10歳の女の子でもこんな話しないわよ)
ライラが抱いたレリミアの印象は「張りぼて」であった。何かを必死で繕おうとしているのか、それとも本当にそこに存在しないのか、レリミア個人の人格というものがいまひとつ見えてこなかった。ただ無邪気な少女を演じている人形のようなレリミアには言い様のない不気味さがあり、ライラは始終この娘の言うことを聞くのかと最初は少し逃げ出したくなった。
レリミアは決して器量が悪いわけでもなく、どちらかと言えば聡明でよく言えば明るく何でもハキハキとしていた。一日だけ友達として過ごすならおそらく楽しい付き合いができるだろうとライラは思っていた。
(こうも毎日あのきゃんきゃんしたのを聞いていると……イライラするわね)
「ねえセドナ、セドナの髪の毛ってきれいだよね!」
「私の髪ですか?」
「うん、あまり見たことがない色。素敵よ!」
ライラは自身の髪が好きではなかった。この辺りでは赤い髪を持つ者は少なく、それはライラがどうしようもなく他の場所からやってきた余所者であることの証でもあった。それを知ってか知らずか、レリミアはライラの触れて欲しくないところを遠慮なく抉る。
(でも、これはちょうどいいわ)
今はちょうどティロがノチアの稽古にやってきているところだった。ライラはレリミアにさりげなく会話の続きを切り出した。
「レリミア様、そう言えば私、昔髪の毛を結う仕事もしていたことがあるんですよ」
「へえ、そうなの? やってやって!」
幼い頃、エディアの港の娼館でライラは女性たちの髪の結い上げの手伝いもしていた。その頃のことを思い出し、ライラはレリミアの金髪の巻き毛をよりふんわりとかわいらしく結い上げた。
「すごい、かわいい! ねえ、他の髪型にして!」
「じゃあ今度はもう少し大人らしい髪型にしてみましょうか」
レリミアの髪を弄りながら、ライラは本題へと入った。
「レリミア様、実は私散髪も得意なんですよ。後で伸びている部分を少し揃えてみましょうか?」
「そうなんだ……そうだ、ねえセドナ? その散髪って誰でもやっていいの?」
「ええ、どなたかの髪型が気になるのですか?」
セドナは心の中でほくそ笑んだ。散髪と言えば、どうしても気にならないことのない人物が中庭にやって来ている。
「うん。兄様の剣技の先生なんだけど、いつも髪の毛を伸ばしたままで気になっていたの」
「そうですか……それなら稽古の後に、お声をかけてみてください」
「うん、わかった!」
レリミアの髪を再び結い上げると、ライラは散髪の準備を始めた。しばらく鏡で自分の髪型を眺めていたレリミアは、稽古が終わる頃に中庭へ飛び出していった。
***
しばらくすると、レリミアに連れられたティロが嫌そうにやってきた。
「セドナ、連れてきたよ!」
「え?」
ティロは目の前の光景を見て固まっているようだった。大きな布に鏡、そしてライラの手にしているはさみ。これから何をするのかは一目瞭然であった。
「レリミア様、この方ですね。さあお座りになって」
「ティロ、セドナは散髪が上手なんですって!せっかくだからその腕を見せてもらおうよ!」
散髪、と聞いてますますティロが焦っているようだった。
「え、あの、その……」
ティロは半分部屋から逃げだそうと後ろへ後ずさっていた。
「随分伸びてますけど、立派な剣士様ならさっぱりしたほうがいいでしょう?」
ライラは着替えればどうにでもなる服装より、すぐにはどうにもならない野暮ったく伸びるティロの髪をすっきりさせたいと考えていた。
「あ、あの僕は自分で切ってるから……」
「ねえねえ、そんな遠慮しないで、せっかくだからいいでしょう?」
レリミアの後押しに、ティロは観念したのか嫌々椅子に座った。
「わかった、わかりましたよ……」
ライラはティロの灰色の髪に大胆にはさみを入れた。男の散髪は女に比べて経験は足りなかったが、それでもティロの長くて不揃いの髪型に比べれば十分立派な仕上がりになった。
(ああ、そうだとは思ったけど……思った以上に……)
はさみで前髪を整えながら、ライラは何とか驚きを隠そうとした。ティロと会っているのがほとんど夜であったため、ライラはティロの顔を正面からはっきり見た記憶がなかった。そしてその顔も俯いているかそっぽを向いているか、それか前髪で隠れているかでやはり本人も顔を見せるどころか敢えて隠そうとしているように見えた。それでも時々覗かせる表情から、ライラはティロの容姿は非常に良いと思っていた。
「はい、終わりましたよ。鏡をご覧になりますか?」
「いや、いいです……」
正面に置いてある鏡からティロは一生懸命視線を反らしていた。
(思った以上に……こいつかっこいいじゃない……)
白日の下になったティロの素顔は、ライラの想像以上に整った顔立ちをしていた。
「すごい! ティロ、王子様みたいだよ! 鏡見てみなよ!」
レリミアが喜んでティロに鏡を見るよう急かした。
「う、うん……すごいですね……」
「どうしたの? 照れてるの?」
「そうですね、少し恥ずかしいというか……」
目に見えてしどろもどろになっているティロにライラが追い打ちをかける。
「いえいえ、ご立派になられましたよ」
その瞬間、レリミアの目を盗んでティロが思い切りライラを睨み付けた。前髪のない、顕わになった緑色の双眸に射貫かれてライラの心臓は止まるかと思われた。
(何よ、そんなに怒ることないじゃない……)
その後ティロはトライト家の面々に様々なことを言われ、ティロの髪型が整ったことはレリミアの手柄となった。しかしティロがトライト家から去った後も、ライラの心臓はまだ高鳴っていた。
(何であんなに怒ってたんだろう、私そんなに悪いことしたかな……?)
このまま夜の河原に行けば、生きて帰れないかもしれない。一瞬だけであったが、ティロに睨まれた瞬間身の危険を感じたライラはそんなことを考えた。