災禍後の出来事
その夜、ライラが久しぶりに例の河原を覗くといつものようにティロが茂みの中に隠れていた。残り少ない睡眠薬の瓶をぼんやり眺めて、ただでさえ寂しげな佇まいからは異様な気配を漂わせていた。
「どうしたの、何だか死んでるみたいじゃない」
「死んでる、か……本当に死んでるのかもな」
ライラを見上げたティロの顔色は蒼白で、生気がまるで感じられなかった。
「何言ってるの、死んでないでしょ」
「君がそう思うなら……そうなんだろうな」
今にも消え入りそうな声にライラは心配になった。
「一体どうしたの? 何だか変だよ……いつも変だけど」
「そうだな……どうしようかな……」
このまま何もしないでいると、そのままティロがどこか手の届かない遠いところへ行ってしまう気がした。何かを迷っている様子のティロの背中をライラは押すことにした。
「……話なら聞くよ」
ライラはティロの隣に座った。しばらくの間があって、俯いたティロが口を開いた。
「じゃあ……聞いてもらおうかな。上手く話せるかわからないけど」
それからしばらく沈黙が続いたが、ライラはティロが話し始めるのを待った。
(よっぽど何か言いにくいことなんだろうな……)
思えば、ライラはティロのことをよく知らなかった。エディアの災禍孤児でリィア軍に拾われて育った、という話は聞いていたが具体的にエディアのどこでどう過ごしていたのかなどは聞いたことがなかった。
「最初に言っとくけど……このことは誰にも話したことがない。話して理解してもらえるようなものでもないし、もう二度とここに来たくなくなるかもしれない。聞いたことを後悔するかもしれない。それでも、いいかな?」
「私のことはいいよ。話してくれるなら、聞くから」
ティロは一度だけライラの顔を見て、それから俯いて途切れ途切れに話し始めた。
「……災禍の直後のことだ。焼け出された僕と姉さんは夜に街道を歩いていた。僕が8歳、姉さんは俺より7つ年上で、15歳だった。そして……」
「目の前に、リィア兵が3人現れた。奴らは姉さんをどうにかしようとしていた。やめろって飛び出したけど……」
「兵士3人に対して子供1人だ。すぐ左腕を折られた」
「姉さんは連れていかれて、必死で後を追いかけた。何とか姉さんを助けなければって、そればっかりだった」
「でもさ、子供だったからすぐ奴らに捕まって」
「姉さんも助けられなかった」
「気がついたら、穴の中にいて、隣で姉さんが死んでた」
「死んでると思ったんだろうな。上から土が降ってきた。何とか生きてるって穴の上に伝えようとしたら、埋めてる奴と目が合った。でもそいつは構わず土をどんどん入れてきた。絶対目が合ったはずなんだ。そのまま……」
「……そのまま、生き埋めに、された」
「幸い埋め方が甘くて、なんとか穴から這い出して誰か人のいるところに行かなきゃって、そこから全く記憶が無い。気がついたら療養所にいた。動けるようになってから姉さんのところへ行ったけど……」
長い沈黙があった。ティロは言葉を探しているようだったが、その続きを直接語ることはなかった。
「……その日から僕はずっと一人だった。何の因果かリィアに拾われて飼われてるんだけどさ……姉さんを殺したリィア兵を探すためにもリィア軍にいるのは都合が良かった」
「実はオルド攻略の時に偶然ひとり捕まえて殺してるんだ。そのとき残りの2人の身元も聞き出したんだけどさ……」
再び長い沈黙があった。それまで黙って聞いていたライラが口を開いた。
「誰、だったの?」
ライラに促されて、ティロはようやくその名前を口に出した。
「今の、上司。上級騎士隊筆頭ザミテス・トライト」
「え?」
ライラの顔が曇った。そして今ティロが置かれている状況を理解して戦慄した。
「姉さんと俺を襲って殺して埋めた奴の下で、今俺は働いている。しかも週末家に呼び出されて、奴の家族とも付き合わなきゃいけない。今まで生きてくために嫌なことには耐えてきたつもりだけど、流石にもう限界だ」
それまで慎重に考えながら言葉を選んで来たティロだったが、今の心境を語るところに来てやっと口が動き出した。
「しばらくはずっと耐えてた。ここに来るまでもっとずっと理不尽で嫌なことばかりだったじゃないか、世の中にはもっと苦しんでる人がいるんじゃないか、こんなゴミみたいな奴を上級騎士にまでしてもらえただけで有難いんじゃないか、とかいろいろ考えた」
「でも無理だ。奴は姉さんと俺のことなんかすっかり忘れてるし、そもそも今の俺ですらまともに人間扱いしていない。奴の妻にも息子にもキアン姓だって馬鹿にされるし、娘は世間知らず過ぎて話にもならない。そんな家に毎週呼び出されてさ、姉さんと俺を殺した奴の前で、俺は奴の家族の相手をしなくちゃいけない。奴に服従する部下として、可哀想なキアン姓としてさ……」
「何のために生きてるかわからなくなって。災禍から今まで一生懸命生きてきたつもりだったのに、その結果がこれなのかと思うと虚しくて……」
「今は死にたい気持ちを抑えるので精一杯で他に何も考えられない。多分、もうじき本当の限界が来る。こんな話をしてごめん、不愉快だろ? もうここに来なくてもいいよ」
ライラは、ティロの閉所恐怖症をはじめとした様々に抱えている困難の理由をやっと知ることができた。抵抗することも困難な相手に乱暴を働かれる恐怖はライラもよく知っているものだった。しかもその相手に姉だけでなく自身もほぼ殺され、相手は殺した自分のことなんか覚えてなくて平然と暮らしている心境は計り知れないものであった。
(いくらなんでも惨すぎるんじゃない?)
いつかティロが「親衛隊に入ってダイア・ラコスを殺したい」と言っていたのをライラは思い出した。ティロのリィアに対する恨みはライラも知っていたが、それはティロがリィア軍に所属してからの話だった。更にエディア出身ということから故郷を失った素朴な恨みも含まれると軽く考えていたが、ライラの想像以上にティロの抱える憎悪は暗くて深いものであると知り、ライラは自分に何が出来るかを考えることにした。