付属品
ティロが週末にトライト家に通うようになって半年ほどが過ぎた。ノチアの稽古という名目で呼び出すようになってから、ティロの態度には他人と打ち解けようとしているのではないかという姿勢が劇的に見られてきた。少なくとも怯えているような雰囲気はあまり見かけなくなり、誰に対しても穏やかに接するようになった。相変わらず深い人付き合いからは逃げていたが過度の自虐も減ってきて、これにはザミテスも狙い通りであると自分の手腕を自画自賛していた。
その代わり、ティロは勤務中に些細な失敗をすることが増えていた。以前は見られなかったつまらない失態に周囲は呆れたが、落ち込むどころかヘラヘラと開き直るような態度をとっていた。また、常に上の空のような雰囲気があり幾度となく人の話を聞き漏らしたり呼びかけに応じないことがあった。宿舎にも滅多に帰らず、ベッドは何日も使われた形跡がなくティロがどこで睡眠を取っているのかも上級騎士たちの中では謎であった。それらに対して当然よくないことであると皆が思っていたが、特にゼノスの除隊後から本気で彼を叱ることを皆が恐れた。
(まさかどこかに女でも隠しているんじゃないだろうか)
ザミテスはそんなことも考えたが、特段隠す理由が思い至らずにいた。もし結婚でも考えているのであれば、キアン姓を捨てる絶好のチャンスでもある。どんな家の相手であっても、相手の家の名前を名乗ることが出来れば見下される対象のキアン姓からは抜けることが出来る。実際、ティロくらいの年齢のキアン姓は早々に結婚相手を見つけてキアン姓を捨てていることが多かった。
(それに、こんな奴に惚れる女などそうそういないだろう)
剣技だけは立派であったが、それ以外は立場的にも精神的も人間として付き合いたくない部類に入るティロが真っ当な女から好かれるとは思っていなかった。給料も何かにつぎ込んでいるのか、計画的に貯金をしているという話も聞いたことがなかった。
(いや、ダメな女に貢いでいるのかもしれない。いずれにしても、やはり奴のことはしっかり調べなければならないな……)
しかし、ザミテスもティロにばかりかまけているわけには行かなかった。ゼノスの抜けた穴は大きく、まともにティロと顔を合わせるのも週末のノチアの稽古のときのみであった。トライト家での彼は剣の師としては理想の指導をして、控えめながら食事を共にして、何故かレリミアがティロに懐き、そしてティロは足早にトライト家を去っていた。
(少しでも奴について聞き出したいところなのだが、レリミアの相手をしていてはそれどころではないな……しかし同席するなとも言えないし……)
ザミテスは何も知らないだろうレリミアにティロの身の上について話すことにした。
「あのなレリミア。確かにあいつはノチアの稽古のために来てもらっているわけなんだが……それ以外にも理由があってな」
ザミテスは、きょとんとするレリミアにキアン姓の意味を簡単に説明した。
「キアンっていうのは、家名もわからない孤児っていう意味だ。つまり、あいつには家族がいないどころか、どう育ってきているのかもよくわからない。そういうのを管理するのも筆頭としての役割なんだ」
「つまり、ティロがひとりぼっちで寂しそうだから家に連れてきているってこと?」
「まあ、そういうことになる、か。とにかく、一人で悩まなくてもいいという雰囲気を作らなければならないということだ。わかったか?」
言外にそんな奴に深く関わろうとするな、というニュアンスを込めたつもりでいたがレリミアには通じなかった。
「はい、父様はお優しいのですね」
わかったのかわからないのか、レリミアはにこりと微笑んだ。
(優しい……そうか、俺は優しいのか……)
娘に無邪気に褒められて、ザミテスも悪い気はしなかった。
***
その週末もティロはノチアに稽古をつけ、レリミアの相手をしていた。ザミテスの妻リニアとは何度か顔を合わせていたが、リニアはティロに全く興味を示さなかった。
「それでは、そろそろお暇させていただきます」
「おう、ティロ。今週もよく頑張ってくれたな」
その日、ザミテスは機嫌がよかった。以前より打診していた新しい筆頭補佐の候補がようやく正式に決まったところで、彼の今度の査察旅行への同行も視野に入れていた。
「しかし、お前はよくやるな。まるで自慢の息子のようだ」
ザミテスは深く考えず、ティロの頭に手をやった。
「そうですか、それでは失礼します」
ティロは満面の笑みを浮かべて短く挨拶をすると、普段通りトライト家を後にした。その後はいつも通り宿舎に戻ることはなく、次の勤務時にどこからともなくふらりと現れた。その顔色はいつもにも増して悪く隊員たちは何かあったのではないかと心配したが、ティロは「いつもの寝不足だから全く心配いらない」と虚勢を張っていた。そんな訳がないと誰もが思ったが、それ以上踏み込むことが出来ないでいた。
そんなティロをどこの誰が言い始めたのか「付属品」と呼ぶことがあった。剣技の腕だけは超一流で、それ以外は人間として最低であることから「剣が本体で人格は付属品」という意味であった。ティロが何かやらかしても「まあ、あいつは剣の付属品だから仕方ない」という形で使われ、それを本人は知ってか知らずか、ますますティロは精神的に孤立していった。
一度だけ隊員が上の空のティロの頬が濡れていることを指摘すると、「本当だ、なんで涙が流れているんだろう、寝不足すぎて目がおかしくなったかな」ということがあった。本当にティロは泣いていることに気がついていないようだった。たまにはそういうこともある、とその隊員も特に気にすることはなかった。
明らかにティロが壊れているのですが、これだけだと何故壊れているのか見えてきません。勘のいい人なら、ちょっと気がついているのかも知れませんが……かなり最悪な事態です。
次話、いよいよティロの何も言えない理由が明らかになります。更に多少何かを話す気になったティロからこれまでなかなか語る機会のなかった剣技や軍の仕組みについて説明してくれます。
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