祝賀会
それから週末ごと、ティロはトライト家に通ってノチアに剣技の稽古をつけていた。
「ほら、構えをひとつ変えるだけでここまで動きが素早く出来ます」
「本当だ……一体なんなんだ、あんたは」
ノチアは今まで多くの剣技の師についていた。その多くは余生を剣技の師として生きている退役軍人で、ティロのような上級騎士になって数年しか経っていない若者は初めてであった。しかもティロの指導はかなり的確で、今までの剣技の師の中で技術も伝え方も一番だとノチアは思っていた。
「僕ですか? 僕は……ただ剣技が好きなだけです」
ティロは剣を持っているときだけは真っ直ぐに前を向いていた。
***
その日の午後、昼食後にまたすぐに帰ろうとするティロをザミテスは呼び止めた。
「今日は本家の集まりがある。ティロ、一緒に来い」
「し、しかし僕なんか余所者がお伺いしていいんですか?」
「別に親類以外の友人も大勢来る。そういう場所に馴染むのも勉強だぞ」
すかさずレリミアが歓喜の声をあげた。
「ええ、ティロもお爺様のお家に連れて行くの!?」
「もちろん、今日は特別な日だからな」
「やったあ!」
ザミテスはノチアとレリミア、そして嫌そうなティロの埃を払ってトライト家の本家へ向かった。本家にはザミテスの両親と家督を継いだ兄夫婦一家、そして姉夫婦一家が初めて両親にとってのひ孫を連れて訪れていた。両親の結婚記念日の祝いはトライト家にとって大事な行事であり、親類や友人が気兼ねなく交流する大切な日でもあった。
「お爺様、お婆様、ご結婚記念日おめでとう!」
レリミアは祖父母を見るなり飛びついて祝福を述べた。何日も前から準備がされていた会場にはトライト家以外にもたくさんの客人が訪れていて、祖父母に挨拶をした後にノチアはどこかへ行ってしまった。ティロはただザミテスの後ろで小さくなって、必死で目立たないようにしていた。
「おやザム、そちらの方は?」
「こいつですか? こいつは、最近上級騎士になって異様に剣が上手なもので、ノチアの先生にしてやってるんですよ」
ザミテスに小突かれてティロが進み出る。
「上級騎士三等、ティロ・キアンです……」
ザミテスの両親に頭を下げて、ティロは震える声で自己紹介をした。
「まあまあ、随分立派なことで」
「上級騎士隊筆頭か。我が家の誉れだ」
ザミテスの両親はティロを従えるザミテスを見て、大変満足したようだった。
その後、親戚や友人たちへの挨拶や近況報告をするザミテスの後ろでやはりティロはどうしていいのかわからないようで、ずっと小さくなって俯いていた。せめて大勢の人が集う場所で隅の方へ逃げる癖だけは何とかしたいとザミテスは思っていた。
(やはりこういう場所に来るのは初めてなのだろう、気後れして気の毒だがこれも奴のためだ……それでもダメなら、そのときはそのときだな)
ティロはおろおろしながらも挨拶をしてくる客人に挨拶を返し、差し出される酒を差し出されるままに飲んでいた。ザミテスはティロに多少の余裕を見たことで、彼の克服するべき課題をもうひとつ思い出した。
「ティロ、ちょっと酒蔵へ行って酒を何本か持ってきてくれ」
酒蔵、と聞いてティロの身が跳ねたのをザミテスは見逃さなかった。温度が保たれるため、通常酒蔵は屋敷の地下にあると相場が決まっていた。
「いくら上級騎士とはいえ、酒蔵にも入れないでこの先どうするんだ?」
ザミテスはティロの閉所恐怖症については理解しているつもりだった。ゼノスは何度かせめて地下に入れないものかとティロに働きかけていたが、その反応の酷さに克服は無理と匙を投げていた。ザミテスはゼノスのなし得なかったティロの地下への恐怖も克服できれば良いと、ただそう思っていた。
「……はい、わかりました」
ティロはそう呟くと、酒蔵の方へ消えていった。私用とは言え、上司からの命令である以上任務と言えば任務である。ティロに拒否権はなかった。
いくら待っても戻ってこないティロをザミテスが探しに行くと、酒蔵の前どころかティロはトライト家の本家からも姿を消していた。特に誰の面子を潰したわけでもないので実害はなかったが、任務を放り出して逃亡したティロにザミテスは怒りしかなかった。
***
結局、ティロはその日宿舎にも戻らずに完全に行方を眩ましていた。後日、勤務に現れたティロをザミテスはこっぴどく叱った。それでもティロはわかったのかわかっていないのか、「すみませんでした」と繰り返すだけで押しても引いても反応がなさそうな態度に、ザミテスは呆れ返った。
(やっぱり、例の命令違反の件もこういったことの積み重ねではないだろうか)
ティロに対する不信感は募るだけだったが、ティロが任務を途中で投げるというのは初めてのことであった。それだけ地下に対しての苦手意識があるのだろうとザミテスは考えた。しかし、一般的にどこかに閉じ込められて閉所恐怖症になったという話は聞いたことがあったが、地下へ入ると息が出来なくなるというほどの話は聞いたことがなかった。
(結局、海のものと山のものと知れないキアン姓なのだ、奴は)
時折見せる前髪の下の顔を、ザミテスはどこかで見たような気がしていた。しかし、キアン姓の知り合いもいないことから他人の空似であろうと特に気にすることはなかった。