個人稽古
週末、約束の時間にティロはトライト家に現れた。非番にもかかわらず上級騎士の隊服のままだったが、相変わらずの埃っぽい雰囲気に長い前髪が他人を拒絶しているようだった。
「よく来たなティロ、さあ入ってくれ」
ザミテスはティロを屋敷の中へ招き入れた。トライト家の次男として家督は継げなかったが、上級騎士の試験に合格した祝いにザミテスには本家からそれなりの屋敷が与えられていた。また妻リニアの実家からの支援もあり、常駐の使用人を数名と通いの使用人を10人ほど抱える余裕があった。
(キアン姓であればまず自分の家、ましてや屋敷なんてものはこいつにとって夢物語だろうからな)
ザミテスの目論見として、ティロがキアン姓であることからおおよそまともに家庭と言った概念を知らないだろうというものがあった。キアン姓になっているものは不慮の事故などもあるが、一般的には「捨て子」と呼ばれる部類のものである。それは大抵孤児院の前に置き去りにされているようなもので、ビスキの革命孤児やエディアの災禍孤児というものは最近認知され始めたものだった。どちらにしろ、キアン姓が家族を知らないというザミテスの偏見はそれほど的を外したものではなかった。
ティロは落ち着かない様子でしきりにあちこちを見渡していた。
(要人警護でもここまで屋敷の中には入らないだろうから、珍しいのだろう)
ザミテスはティロを剣技の鍛錬に使っている中庭へ通した。中庭には既にザミテスの息子であるノチアが模擬刀を持って待っていた。
「父さん、その方が新しい先生だね?」
ノチアは最近士官学校を卒業し、執行部見習いとしてリィア軍に所属しながら上級騎士の試験対策を行っているところだった。
「そうだノチア。紹介しよう、ティロ・キアンだ」
前に進み出るように促され、ティロは軽く頭を下げた。
「どうも……一緒に、頑張りましょう」
ティロは早速模擬刀を受け取ると、ノチアに構えてみせた。
「まずは一度、手合わせしてみましょうか。それから、細かいところを見ていきます」
模擬刀を持った瞬間から、ティロが別人のように背筋が伸びて存在が大きくなったようにザミテスは感じた。
(確かにこればかりは認めざるを得ない。前筆頭が惚れ込むのもわからないでもない、剣技だけ取り出せば最高の男なのだが……)
ティロはノチアと手合わせを始めた。ティロはノチアの全ての剣撃を受け止め、その上で何か考えているようだった。
「失礼ですが、僕の前に剣技の師匠は何人かおられますか?」
その言葉に驚いたノチアが言葉を出せずにいると、ザミテスが代わりに答えた。
「これで6人目かな」
返答を受け、ティロは淡々と答えた。
「そのせいですね。構えに様々な方の型が混ざって、かえって安定感がないんです。出来ればひとつの型を完成させた後に指導者は変えた方がいいのですが……」
剣技に対しての正論に、ザミテスは返す言葉もなかった。
「そうですね……まずは基本の持ち方と構えから始めましょうか」
基本と言う言葉を聞いて、露骨にノチアが嫌そうな顔をした。
「えー、今更構えからやるのか!?」
「基本はいつやってもいいんですよ。僕なんて自分が未だにいい構えが出来ているとは思ってないですからね」
嫌そうなノチアを見て、ザミテスは焦っていた。ノチアが剣技の師を何人も変えているのは確かなことで、それをたった一回の手合わせで見抜いたティロに恐ろしいものを感じていた。
(今度は簡単に辞めさせるわけにはいかないんだ、ノチアすまんな)
「そうだティロ、良かったらノチアに君の実力を見せてやって欲しい」
ザミテスはノチアから模擬刀を取り返すと、ティロに向き合った。ザミテスも上級騎士隊の筆頭職に抜擢されるだけあって、剣技の腕は並のものではなかった。しかし、目の前の青年には勝てる見込みが全くなかった。それでもノチアにティロの実力を見せつけることを目的に、ザミテスはティロに試合を申し出た。
「そうですね、隊長になら思い切り試合をしてもいいですよね」
(こいつ、笑ってるのか……?)
ザミテスはティロが笑顔であるところを初めて見た気がした。
「それじゃあ、早速」
ザミテス相手に遠慮がなくなったと見て、ティロはいつもの通り剣を叩き込んできた。
(相変わらず速い! こいつの剣は防ぐだけで精一杯だ!)
ザミテスも何度かティロと試合をしたことはあったが、何故かティロは序盤だけ優勢を保ち、後半は隙だらけになっていた。そのため後半で必ずザミテスが勝利し「さすが筆頭補佐ですね」と言うのが決まった筋書きであった。
(またすぐ隙だらけになるのを待つか、それとも、いや、何かがおかしい)
ザミテスはティロと剣を交えながら、ある違和感を抱いていた。
(確かにこいつの剣は素早いが、以前はもっと素早かったはずだ、一体何だ?)
必死でティロの剣撃を防いでいると、ティロが急に攻撃の手を緩めた。それはこの試合が勝敗を決めるものではなく、ノチアに師と認めさせるものであったということをザミテスに思い起こさせるものだった。ザミテスがノチアを横目で見ると、やはりティロの剣捌きに圧倒されているようだった。
「……もういい。これでわかったろう、ノチア」
ザミテスはティロから離れて剣を降ろした。ティロもその意図を汲んで剣を降ろす。
「うん、父さんを圧倒するなんて、すごい」
「それではちゃんと言うことを聞いて、強くなるんだぞ」
「はい、父さん」
ザミテスは模擬刀をノチアに手渡した。
「それでは昼まで頼む。その後は食事にしよう」
そう言ってザミテスはノチアをティロに任せると、屋敷へ引っ込むことにした。上司の目があってはのびのびと稽古ができないだろうという思いと、先ほど感じた違和感について考えたいというものもあった。
「……そうか、そういうことか」
ザミテスは違和感の正体に気がついたが、それを指摘することができないことに更に気がついて戦慄した。
(確かにあれは、あいつ本来の剣筋じゃなかった。あれは、ゼノスの剣筋だ……)
ゼノスの剣筋は基本的に重いため筋力の少ないティロが完全に真似をできるものではなかったが、剣の運びはまさしくゼノスそのものであった。わざと仕組んだのか、それともゼノスと手合わせをしているうちに知らず知らず剣筋を真似ていたのか。本人に確かめても「気のせいだ」と言われれば終わる話であり、ザミテスに対する明確な挑発ととることは出来なかった。
いずれにせよ、他人の剣筋を再現するなどという芸当ができるティロに対して、ザミテスはますますどう扱って良いのかわからなくなっていた。