疑惑
ゼノス・ミルスは幼い頃から剣技をするために生まれてきたとよく言われるほどの剣技の腕を持ち、また剣技を愛していた。それほど裕福な家庭ではなかったが平凡には恵まれた家族に囲まれて育ち、成人後はやはり剣の道に生きたいとリィア軍に入隊。その目覚ましい剣技の腕を買われてすぐに執行部に取り立てられた。その後エディア領やビスキ領での勤務を経て上級騎士試験にすぐ合格。「叩き上げ」として理想的な人生を歩んできた。
執行部に取り立てられた際、見合いで一度結婚をしたが女性の機微に疎かったゼノスはすぐに愛想をつかされてしまった。それ以降そういった話に全く興味がなくなり、剣技の道、延いてはリィアのためにと邁進してきた。「俺には剣があればそれでいい」と様々なことに欲を出さない姿勢も周囲から好まれ、特に執行部時代からの後輩たちからは厚い信頼を得ていた。
上級騎士として筆頭まで昇り詰めたが、そこから先の人生についてゼノスが思い描いているものはなかった。漫然と首都防衛のための一兵隊として剣技を続けていきたいというのがゼノスの漠然とした将来像であり、明確な目標が要求される顧問部や規律が更に厳しくなる親衛隊への誘いを何となく断り続けている要因でもあった。しかし、そろそろ次の行動を起こさなければならないと考えていたところに出会ったのが、ティロ・キアンであった。
コール村で初めてティロと剣を交えた時、ゼノスは久しぶりに自身が負けるかもしれないという恐怖を味わった。聞けば三日も寝ていないという最悪の状態で、ティロはゼノスを圧倒する勢いで食らいついてきた。リィア国内では既に五指から外れることのない剣技の腕を持つゼノスが本気で試合が出来る機会は長く失われていて、以降は後進の育成に力を入れるべきかと思っていた矢先の出来事であった。
この男の本気と勝負をしてみたい。
ゼノスの剣士としての本能がそれを要求していた。後にティロは「寝ぼけていて身の程知らずなことをした」と何度も詫びてきた。そこでゼノスに出来たことは、彼の実力を遺憾なく発揮できる状況を作ることであった。まずは上級騎士に取り立て、剣技に長ける者たちの中で自信を回復させる。それからティロの体調を整えさせ、真っ正面から顔を見据えて正式に試合をしたいと思っていた。
しかし、コール村での剣士の本能を引き出すような圧力は上級騎士になったティロからは感じられなかった。時折不思議な圧力が漏れ出ることはあったが、ティロはそれを徹底的に隠しているようであった。そのことについて追求すると、彼は必ず塞ぎ込むか逃げた。ゼノスの望む、ティロとの再戦が果たせぬまま時は流れた。
そして新年を再び迎えた後、再び査察旅行の計画を立てる時期がやってきた。
***
「一体どういうことだ!」
軍本部にある顧問部の執務室に呼び出されて、ゼノスは思わず大声をあげた。
「どういうことも……君自身のことだ、説明してもらおうか」
ゼノスの前にいるのは顧問部で首都防衛担当のクラド・フレビスであった。主に上級騎士隊を管理する役職で、ゼノスの直属の上司と言って差し障りない立場であった。
「説明も何も、一体全体、どうしてこんなことになっているのか、こっちが説明してもらいたいくらいだ!」
ゼノスは突きつけられた資料を叩きつけた。それは前回の査察旅行の収支報告と日報で、クラドによって印がつけられた箇所には不自然な空白があった。
「次回の査察旅行の日程を検討しようと前回の資料を見ていたら見つけたんだが……そもそも査察旅行の日程にフロイアは含まれていないはずなのだ。君は一体フロイアで何をしていたんだ?」
フロイアとは、ビスキ領でも革命過激派が幅をきかせる内戦の激しい地帯であった。
「それはフロイアで治安を守っている同胞を励ますために急遽日程を変更したものだ。そのくらいは長い査察旅行では許容範囲のはずだ」
「それなら、何故日報にその記載がないのだ? 収支報告もフロイアへ行った記録があるが、活動そのものの記録がない。一体フロイアで君は何をしていた?」
身に覚えのないクラドの追求に、ゼノスは努めて冷静になろうとした。
「慰問の公開稽古をしたまでだ」
「日報に記載がないのだが、その証拠は?」
「証拠など、日報になければ現地の隊員に聞けば思い出すものもいるだろう!」
ゼノスには確かにフロイアで公開稽古を開いた記憶があった。フロイアへ赴く前に過激派からの攻撃があり、何十人かの市民と数名の隊員が犠牲になったという話を聞いて何か出来ることはないかと思案して出した答えが公開稽古だった。
「その公開稽古そのものがなかったとしたら?」
「……何が言いたい?」
クラドは顔色を変えずに続けた。
「いい加減認めろ。君には過激派との関与が疑われる。そもそも、フロイアの部隊の記録に公開稽古を行った記録は一切ない。一体君はその日、どこで何をしていたんだ?」
「俺は公開稽古しかやっていない! 何もやましいことなどしていないぞ!」
ついに大声を出してしまったゼノスをクラドは更に揺さぶった。
「やましいこと? 具体的に何だ? まさか過激派と接触して軍の機密をバラしたりなどしていないだろうな?」
「何故俺がそんなことをしなければならない? 祖国を裏切るような奴に俺が見えるのか!?」
「君が裏切る動機など知らないが……少なくとも、命令違反を犯した素行の悪い奴に異様に執着しているという話は聞いている」
「あいつは関係ないだろう!」
ティロを引き合いに出されて、ますますゼノスの頭に血が上った。
「しかし、奴が強盗を働いて予備隊に放り込まれていたのは事実だ。そんな奴に首都の治安を守る事が出来ると思うのか?」
「それは何か理由があったに違いない、現に今のあいつを見ればそんな奴じゃないってことは皆がわかるはずだ」
「それで、その理由とやらはわかったのか? キアン姓などろくなもんじゃないと俺は最初から言っていたが、実際はどうなんだ?」
クラドの言葉に、ゼノスは言い返す術がなかった。ティロの素性がわからないのも、命令違反の素行の悪いキアン姓というのも現時点では明確に否定できる根拠をゼノスは何も持っていなかった。
「そこで提案なのだが……せっかくだから君の好きなフロイアへ行って過激派を大人しくしてきてもらいたいのだが。君自身が愛国心からそう望むのであれば、我々は君を止める権利はない」
「正気か!? 俺はとっくにビスキもエディアもやってるんだぞ!?」
それはゼノスにとって事実上の左遷を意味していた。一般兵から執行部へ上がった者が上級騎士や顧問部など中央の役職に上がるためには地方勤務を経験することが条件付けられていて、執行部時代に身軽なゼノスはビスキやエディアに赴いていた。殊更今更になって内戦の激しい地域への赴任の打診は、親衛隊から声のかかっているゼノスにとって屈辱以外の何物でもなかった。
「俺はいつだって正気だ。首都の安全を守るためなら身を粉にして全てを尽くす、そういう男だぞ」
クラドの挑発ともとれる発言に、ゼノスはすっかり言葉をなくした。
「どうしてもと言うなら、出るところに出ても構わない。しかし、君が主張するその公開稽古は記録上どこにもないことは揺るがない事実だ。詳細のない日報と不自然な収支報告、そして過激派の存在。何かを隠していると言ってもまるでおかしくない」
実際、軍法会議にこの事案がかけられた場合ゼノスに対して有利な証拠はないように思えた。不利な証拠が積み重ねられた者の結末は、ゼノスも知らないものではなかった。
「貴様……何が望みだ?」
「別に俺は何も望んでなどいない。ただ、不正行為や裏切りに等しい行為は淡々と罰せられるべきだ、そういうことが言いたいのだよ」
クラドの意図することを明確に察したゼノスは、ようやく覚悟を決めた。
「それで、どうする? 再び執行部として大人しくビスキ領の平定に行くか、軍法会議で裏切り者になるか、それとも」
「わかった、貴様の一番望むことをしてやろう」
ゼノスは執務室の扉を叩きつけるように出て行った。