災禍
ティロは監禁しているレリミアの元へ向かった。
「よう、どうせ暇なんだろ。ちょっと昔話してやるから覚悟して聞けよ」
「……昔話?」
レリミアは弱々しく返事をした。ティロは椅子の背もたれを前面にしてレリミアの前に座った。
「約束したからな、俺の話聞かせるって。今日はそんな気分だから、特別に話してやるよ……まずな、俺の生まれはエディアってところだ。知ってるか?」
初めて聞かされるティロの話にレリミアは身構えた。
「エディア……? エディア領のこと?」
「それは今の話だ。エディア領もお前が行く予定だったビスキ領もな……昔は国だったんだよ。リィアに乗っ取られて、国家がなくなった。そんなことも知らないのか?」
「それは知ってる……あと、エディアは大きな火事で焼けてしまったんでしょう?」
レリミアはエディアの陥落について「エディア軍の不始末により首都が炎上したところをリィア軍によって占拠、復興が行われた」と習っていた。
「ったく何にも知らねえんだな……まあ、リィアの教育なんかに期待なんかはしてないけど。特別に教えてやるよ、俺が実際に見てきたあの日のこと」
「あの日……?」
レリミアはティロの顔を見ようとしたが、薄暗い部屋の中で表情は全く見えなかった。
「そうだ、あの日は海から吹く風がとにかく強くてな……俺は港にいたんだ」
「でも、貴方海を見たことがないって……」
「嘘に決まってんだろバーカ。海なんか飽きるほど見てきたさ、16年前のあの日までな」
「そんな……」
ショックを受けるレリミアに、ティロは淡々と語り出した。
「時刻は、確か夕方前だった。そろそろ家に帰ろうかと言う時、ものすごい風と音が飛んできた。俺は建物の影にいたから助かったが、風で海に投げ出される奴もいたくらいだった。後からわかったんだが、どういう訳か弾薬庫の火薬に引火して爆発したらしい。その爆発で死体すら見つかってない奴も大勢いるみたいだな」
「それからも大きな爆発音が相次いで、火災も起こった。運が悪くその日は海から大きく風が吹いていて、火が次々といろんな建物に広がって行った。あっという間に港全部が火の海になった。火が広がるまで何十分とかからなかった。爆発に驚いている間に、逃げ場がないくらい火が迫ってきてた」
「港にいた人達は逃げようとしたわけなんだが……この港はな、2本の大きな橋で陸地と繋がっている島になっていて、そこに大勢の人がいっぺんに押し寄せたわけだ、どうなると思う?」
レリミアは答えることができなかった。ティロは構わず語り続ける。
「もちろん橋なんて機能しない。動かない人混みに苛立って人の山をかき分けてもかき分けても人ばかりで、ところどころで潰される人もいた。欄干によじ登って海に落ちる人、諦めて火の海に消えていった人、届くわけないのに対岸に向かって赤ん坊を投げる母親もいたな。まさか港全部が一気に燃えるなんて誰も想定していなかっただろう。とにかく、その火事で港の施設は全焼して多くの人が命を落とした……だが風は止まなかった」
「対岸の街にまで火は燃え広がった。港から逃げてくる人、火事から避難する人でまた街は大混乱だ。どこに行っても火の手があったし、避難所になってる広場にすら火の粉が落ちてくる。避難の途中で飛んできた火の粉に焼かれたなんてのもたくさんあったらしい。暗くなる頃には火消しなんて気休めは誰もしてなかった。もう燃え尽きるのを待つしかないくらい、そこら辺で建物や人が燃えていた。人が燃えてるところ見たことあるか? 大切な誰かが燃えていて、それを助けようとして一緒に火だるまになってるなんてのもあったな」
「……もうやめて」
レリミアは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。しかし、レリミアの申し出が聞き入れられることは無かった。
「火だるまで死ぬのはまだマシかもしれない。大変だったのは重度の火傷で助け出された奴だ。顔も体も焼け爛れて誰が誰かよくわからない、喉も焼かれて声はろくに出せないし全身包帯塗れで動くこともままならない姿で突然『これが家族だ 』と対面させられるわけだ。そうなったら後は体力が尽きて緩やかに死んでいくだけだ。災禍から数日はあちこちに黒焦げの遺体が積み上げられていたが、ある時期から真っ白な遺体ばかりになっていった」
「……あなたの家族はどうなったの?」
レリミアは恐ろしさに震えながら尋ねた。
「死んだよ、全員。親兄弟身内と呼べる人全部。家も故郷も全部だ。俺も無事では済まなかった。随分な怪我をしてな、今でもたまに傷が疼くときがある」
「……それと私に何の関係があるの?」
「当時エディアとリィアは開戦直前だった。ところが災禍の直前にリィア軍が開戦宣言をして、大混乱の首都に乗り込んであっという間に城を落とした。まるで災禍が起こるのを知っていたみたいにな。今でもリィアではあの爆発は事故だったと言い張ってるみたいだが、本当のところはどうなんだろうな」
「だから、私を誘拐したっていうの? リィアで生きてる私が憎くなったの!?」
「誰もそんな話はしていない。勘違いするな、それはそれ、これはこれだ。関係なくはないがな」
レリミアは拍子抜けした。
「じゃあなんでそんな話をしたの!?」
「ただの昔話だよ……でもよく分かっただろ? リィアが何をしてきたか。お前が無邪気に笑っていた生活の下に何があったのか。絶対リィアでは教えないだろうな、何が『大きな火事』だよ。そんな言葉であれは片付かない、あれは人間の考えうる限り最大限の悪意だ。少なくとも俺が見てきた中で一番のわかりやすい地獄があの日の港だろうな」
「それを私に伝えて何がしたいの?」
「いや、暇だろうと思ってな。どうせ私は何も悪いことなんかしてないのにと思ってるだろうからせめてリィアのやったことについて考えていたら暇も紛れるだろうっていう優しさだ」
「でも、私に何が出来るっていうの?」
それまで抑制した口調を保ってきたティロの声に激しい感情が宿った。
「何にも出来ねえよ。無力なんだよ、いろんなものは圧倒的な暴力の前に屈するしかない。俺はそれをよーく教えてもらった、だから対抗するためには俺も強くならなきゃならない。そう思って今まで生きてきた、多分これからもな」
レリミアはティロの境遇を想像した。ある日突然家族も友人も全員が死に絶えてしまい、家も故郷も何もかもが燃え尽きてしまった。その中で少年は一人絶望に涙したのか、それともリィアを恨んだのだろうか。
「なんだその顔は。俺を可哀想だと思ってるだろ? 冗談じゃない、誰が俺を不幸にしたと思ってるんだ」
不幸、という言葉にレリミアは心臓を握りつぶされたような痛みを感じた。
「……おっと、これ以上はまた今度だな」
ティロは椅子から立ち上がると部屋の外へ出て行こうとした。
「何で、何で教えてくれないの? 何で私なの?」
「そう簡単に教えたら俺が面白くないから、それだけだ」
ティロの声に先ほどの憎悪は宿っていなかった。