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残月


 月明かりの差し込む部屋に、何かを書き付ける音が響いてた。その音が止むと、扉が開く音がした。


(本当に行っちゃうの?)


「今度はちゃんと手紙書いたからいいだろう、きちんと別れの挨拶はした。この前みたいに黙っていなくなるわけじゃないんだ」


(そうだけどさ……せっかく探してもらったのに、いいの?)


「いいんだ、もう決めたことだから」


(それで、今からどこへ行こうって言うんだ?)


「そうだな……どこでもいいよ。どうせどこにも行けないんだ。でも、行くなら姉さんのところかな」


 ジェイドはそっと部屋の中を見た。机の上には数通の手紙があった。発起人ライラとシャスタとゼノスに向けてそれぞれ書かれた長い手紙。それからシェールを始め反乱軍の代表者たちに詫びを告げた短い手紙。そして姉を丁重に埋葬してほしいという旨を記したもの。これでジェイド・カラン・エディアとしての思いはほぼ伝わるはずだった。後は姉との思い出だけ持っていけば、それだけでよかった。


 ベッドの上でフォルスがぐっすりと眠り込んでいるのを確認してから扉を閉める。セラスの部屋を覗くと、ベッドが膨らんでいた。安心してジェイドは宿の外へ出ると、その場から離れようとした。


「どこに行くんですか、こんな時間に」


 背後からセラスの声がした。


「……なんで起きてるんだよ」


 ジェイドは歩みを止めて、セラスの方を振り返った。


「あなたの手口は大体わかってるんです。あの子はわかってて、それで私がこうやって見張っていたわけですよ」


 フォルスはジェイドが再び逃げ出すことを予想して、セラスに見張りを頼んでいた。いつどこで睡眠薬を混入させられるかを警戒してセラスは極力飲まず食わずを徹底し、代わりにフォルスは敢えて睡眠薬入りの何かを摂取して眠りこけることでジェイドを油断させようとしていた。


「お前には関係ないだろ」

「関係ないことありません。ひとつ聞いていいですか? 返答次第では見逃してあげてもいいですよ」

「何だよ」


 セラスは帰ってきたフォルスから一通りの話を聞いて、やはり腑に落ちない点があった。それはフォルスには思いも寄らないと思われることで、どうしても本人に直接確かめたいことだった。


「どうしてフォルスさんを連れて行ったんですか? やっぱりアルセイドさんのことがあったからですか?」

「そうだって言ってるだろ」


 言い張るジェイドに、セラスは更なる追求を試みた。


「本当に、それだけが理由なんですか? ただの郷愁で、あなたがそんなことをするとは思えないんです」

「その根拠は?」


 セラスにとって気になっていたことは、連れ回したフォルスをある日突然置き去りにしたところだった。その理由として考えられることを踏まえて、セラスはジェイドに尋ねる。


「あなたはリィアそのものに強い恨みを抱いているはずです。嫌な予感しかしないのですが、フォルスさんを連れて行ったことも、その復讐の一環なのではないですか?」


 これは同じくリィアに祖国を滅ぼされた者としての感覚であった。ジェイドはそれを聞いてセラスに向き直った。


「流石だ、随分面白い想像だな……わかった、教えてやるよ。俺がどうしてわざわざリィアの王子なんか助けたかってことだよな」


 セラスはジェイドから強い殺気と憎悪を感じて、思わず後ずさりをしそうになった。


「だって死んじまったらそれでおしまいだろう? 生きてりゃ楽しいこともあるかもしれないが、苦しいことや惨めなことのほうが圧倒的に多い。特に本名を捨てて誰の助けも借りずに生きていくなんて、苦しい以外の何物でもないからな」


「最初はどっか適当なところで殺して埋めるか人買いにでも預けるかしようかとも思ったが、そのままずるずる一緒にいることになっちまった。一緒にいて楽しかったのは間違いない。だけど、楽しければ楽しいほど俺が苦しくなるんだ」


「俺はこいつを不幸にしないといけない。絶望のどん底にたたき落として、自分から命を投げ出したくなるように仕向けないといけない。そう考えて考えて、それでも前の俺は多少情が残っていたから、その考えに屈しなかった」


 セラスは思いの外強かったジェイドの憎悪に圧倒されていた。一体何があればこんなに恨みを募らせることができるのかと心臓を握りつぶされたような気分になった。


「……だから、逃げ出したんですか?」


 震える声で尋ねると、ジェイドは言い放った。


「そうだ。こんなどうしようもない奴探し出さないで、一人で気ままに生きてりゃよかったのにな」


 ジェイドは悪意に満ちた返答をしていたが、それでも自分からフォルスの元を離れたということがやはりセラスには引っかかっていた。


「それを聞いたら、ますますあなたを見逃すわけにはいかないですね」

「どうするんだ? 力ずくでも止めてみるってか?」


 セラスはこうなることを予測して、模擬刀を準備してあった。


「わかりました、じゃあ勝負してください。負けたら大人しく一緒に帰ってもらいますよ。そしてライラさんと義兄様に謝ってください」

「俺に勝つつもりか?」


 模擬刀をジェイドに投げたが、ジェイドはすぐに模擬刀を拾わなかった。


「私だって強くなったんですからね。行きますよ」


 セラスは先に踏み込んだ。ジェイドは慌てて模擬刀を拾い上げてセラスの攻撃を防いだが、その動きは以前と比べものにならないほど緩慢なものであった。


「そんな……」


 セラスは剣を防がれただけで信じられないという顔をした。


「嘘です! なんで、ねえ、どうしてですか!」


 次々とセラスはジェイドに剣撃を叩き込む。


「そんなもんじゃないですよね!? ねえ、もっと本気出してくださいよ!」


 セラスは夜間特訓でジェイドからたまに繰り出されていた独特の型を繰り出した。ジェイドはそれを正確に防ぐが、ジェイドから踏み込んでくることはなかった。


「お願いですから、もっとしっかりしてくださいよ……私の知ってるあなたは、そんなもんじゃないんですよ!?」


 剣を合わせて、セラスは思った以上にジェイドが心身共に弱っていることを察した。おそらく剣を持っていることもやっとの状態なのではないかと思うと、セラスの瞳から涙が溢れてきた。


「ねえ、教えてくださいよ。エディアであなたがどんな剣技をやっていたのか。本当のあなたは、どんな剣技をやっていたんですか? あなたのお爺さんは」

「うるせえ!」


 激昂したジェイドが急に踏み込んでいた。それは的確にセラスを追い詰めてくる。


「うるせえんだよ、知った口聞くんじゃねえよ、何がわかるんだよ、わかんねえだろ!? どんな気持ちで俺が、這いつくばって、ひとりぼっちで、誰も助けてくれない世界で足掻いていたと思うんだ!? わかんねえくせに偉そうな口聞くな!!」


 セラスは初めてここまでの殺意と悪意を受け、心臓が痛むほどの恐怖を覚えた。

 

「お願いですから……帰ってきてくださいよ。お願いですよ……!!」


 セラスの瞳から涙が零れた。


「悪いな、もうお前見ていたくないんだ」


 急に剣を捨てたジェイドにセラスが驚いている間にセラスの間合いにジェイドが踏み込んできた。瞬間、セラスは模擬刀を叩き落とされた後に思い切り腹を蹴られた。セラスは仰向けに地面に叩きつけられた上に思い切り胸を踏みつけられ、呼吸ができなくなった。


 ジェイドは事態を把握出来ないでいるセラスを罵りながら殴り続けた。


「ムカつくんだよ、恵まれやがって」

「何で俺だけ、こんな目に合わなきゃいけないんだよ」

「どうせ俺は人殺ししかできない欠陥品なんだ、人殺して何が悪いんだよ」

「何だよ、今更、わかったような顔してしゃしゃり出て来やがって」

「お前もあの王子もみんなみんな不幸になればいい」


 薄れそうな意識の中でセラスはジェイドが「素手でも十分戦える」と言っていたことを思い出した。驚いて剣を落としてしまった無力な自分が恨めしく、このまま彼に殺されるのだろうかとうっすら思ったときにジェイドからの攻撃が止んだ。


「命は助けてやるよ、女子供は殺したくないんだ。じゃあな」

「ま、待って……」


 地面に蹲るセラスに目もくれず、ジェイドは街の外へと向かって走り出した。


***


 セラスを振り切ったジェイドは、一目散に姉の墓がある場所まで戻ってきた。


「結局ここに戻ってくるんだな……」

(ある意味、ここが僕らの出発点だからね)


 ジェイドは姉の墓の前に仰向けに倒れ込んだ。


「ああ、それにここには姉さんがいる。ここならひとりじゃないし、姉さんも寂しくない」


(姉さんに会いたいな)


「会いたいよ……姉さんに会いたい。父さんにもアルにも会いたい。みんなに会いたい。姉さん……」


(セラスが追ってくるんじゃない?)


「大丈夫、きっとしばらく動けないと思う。悪いことしたな」


(いいよもう、何が起こっても僕らには関係ないから)

(じゃあ、早いところ行こうぜ)


「そうだな……少し休んだら、行こうか。ちょっと、疲れた」


(さっきは危なかった……セラスに負けるところだった)

(こんなになったら、もう剣を持つ意味もないね)


 ジェイドは手を空にかざした。左腕は針を打ち過ぎて半分動かなくなっていて、右腕も痛み止めか他の何かの影響か、最近は力が入らないことが多くなってきた。左腕に針が打てないために、最近では脚にも針の跡が付くようになっていた。最後にセラスに繰り出した剣撃は、本気で殺す勢いをつけて放ったものだった。それでも彼女を剣で殺せなかった。


「ああ……ついに剣がなくなった。これで付属品ですらない、完全なゴミになった。全然いいことがない人生だったな……」


 ジェイドは姉の墓の方へ顔を向けた。


「姉さん……全部僕が悪いんだ。僕がこんなことになったのも、全部僕のせい。姉さんは悪くない。きっと罰が当たったんだ。エディアが滅んだのも、アルを守れなかったのも、姉さんがこんなことになったのも、リィアを裏切って滅ぼしたのも、あいつらを不幸にしてしまうのも、みんな僕のせいなんだ……僕に関わった人みんなが不幸になる。何で僕は生まれてきてしまったんだろうな」


 瞳を閉じると涙がこぼれた。思い浮かぶのは優しい姉の顔だった。


「許してほしいなんて思っていない。ただ、皆の記憶から全部僕だけ消せればいいのにな……」


 寝転んだままジェイドは懐を探った。


「そうだ、全部取り上げられたんだった。一本もねえや」


 煙草も着火器も痛み止めも全て没収されていたことを思い出した。


(仕方ないね。素面は辛いから、少し別のことを考えよう)


「別のことか……」


(もう一度別の人生をやり直せたら、どうする?)


「せめて、もう少し派手に生きたいな。どうせゴミになるんだから、やりたいこと思いっきりやってさ……」


(ゴミもゴミらしく足掻いても良かったかもな)

(でももう、僕らの行く末なんて決まったじゃない)


「そうさ、完全なゴミだ。生きてる価値のない、ただ死んでないだけの奴……やっぱりあのとき、おとなしく死んでりゃよかったんだ。そうすれば、今頃姉さんと一緒にいられたのに」


(そう卑屈になるなよ。開き直ったんだ、未来は明るいぜ)


「そうだな、じゃあ、そろそろ行くか」


 服の上から胸を押さえる。これから続くだろう途方もないことを考えると息が苦しくなる気がした。それでも、ここで眠っている姉のことを考えると不思議と温かい気分になった。


「じゃあね、姉さん。ずっと大好きだよ」


 上を仰ぐと、東の空は白みかけていたが大きな月がまだ空に残っていた。夜明けはまだまだ先のようだった。



ここまでお読みくださりありがとうございました。


これにて事件編はおしまいですが、お話自体は第二部の全容編に続きます。今度はティロことジェイドの視点でこの物語の最初から何があったのかをじっくり語ってもらいます。本編のおおまかなあらすじは変わりませんが、ただ本人の望み通り派手に開き直っているため一部展開が異なり、事件編とは違う結末を迎えます。また本編で明らかになったとおり、かなり酷い事情や犯罪描写がぐっと増えます。ご了承ください。


名前をなくした薬中剣士は姉の夢を見たい~救世主症候群・全容編~

https://ncode.syosetu.com/n9084ik/


事件編では最後になりますが、よろしければブックマークや評価、感想等よろしくお願いします。ここまでお読みになって、何も言うことがなければ「何も言うことは無いけど読んだよ」と書いてくださるとありがたいです。


それでは全容編でお会いしましょう。


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[良い点] なんかスッキリしたような、しないような... やるせないね
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