墓標
ジェイドはフォルスたちを伴って歩き出した。風体が悪く身繕いも長らくされていない浮浪者のような男が王族の末裔だとは俄に信じがたかった。港を出て街へ入り、広場にある大きな慰霊碑の前まで来てジェイドはセラスに声をかけた。
「セラス、お前は来ない方がいい」
「どうしてですか?」
セラスが答えると、ジェイドはばつが悪そうに続けた。
「悪い、言い方が悪かった。俺がお前に聞かせたくない。どんな話かってのは大体想像がつくだろう。こっちのバカには俺を探し出した責任として全部聞いてもらうが、お前には明るい未来があるんだ」
ジェイドはフォルスの首を後ろから捕まえた。
「どうしても知りたかったら、後でこいつから聞いてくれ」
かつてジェイドが昔の話をしようとしなかったのをセラスは思い出した。そして、セラスはシェールが幼い頃王宮へ連れてこられる前にどんな生活をしていたのかを絶対に話さなかったことを重ねた。
「そこまで言うなら、わかりました。でも、ちゃんと帰ってきてくださいね」
「大丈夫、今度は絶対逃がさないから」
フォルスがセラスに告げると、ジェイドは不機嫌そうな顔をした。
「何だよ、人を犬みたいに」
「実際そうじゃないですか……じゃあ、行きましょうか」
ジェイドに捕まえられた手を払うと、フォルスはジェイドに先立って歩き始めた。
***
セラスを首都に残し、ジェイドはフォルスを例の廃屋へ連れて行った。道中フォルスはジェイドから話を聞き出そうとしたが、彼は無言で歩き続けた。
「さて、帰ってきた。ただいま、姉さん」
建物の陰の地面に最近供えられたと思われる花がいくつかあった。
「帰ってきたって、ここに住んでたんですか?」
「住んでいるというか、港にいない時はここに来ているだけだ」
最初に訪れた時にはわからなかったが、崩れた厩の陰には人が寝泊まりしているような跡が見受けられた。
「そういうのを住んでいるって言うんですよ」
「そうか……そう言われると、ここが俺の家なのかもな」
自嘲なのか本気なのかわからないジェイドにフォルスの心まで寒くなるようであった。
「それで、奥にいるのがお姉さんですか?」
「そう。もうずっと眠っているんだ」
ジェイドは花の前に座り込んだ。
「姉さん、今日は姉さんに会いたいって奴を連れてきたんだ。こいつは俺の……何だろうな」
「何でもいいですよ。それより、あなたの話です」
フォルスもジェイドの隣に座り込んだ。
「そうか、俺の話だったな。どこから話すべきか……アルのことは、ステラさんから聞いているんだよな?」
ようやくジェイドは自分の話をする気になったようだった。
「アルセイドさん、ですか?」
「そうだ、アルセイド・エディア・ルクス。俺の従兄弟で、大切な友達だった。あいつは第三王子だったから、自分の行く末をよく心配していていた」
「さっきの誰も来ない展望台。そこで俺たちはよく遊んでいた。港に入ってくる船を見たり、いろんな港の音や鳥の声を聞いたり、将来について話をしたり……俺はあいつが好きだった。だから絶対俺は命に代えてもあいつを守るって決めたんだ」
「あの日も俺はあいつと港にいた。誰かに災禍の話は何度かしたけど、あいつの存在だけは誰にも言うことができなかった。誰かと一緒にいたっていうのも俺の身元に関わる話だし、何より俺はあいつを助けるふりをして殺してしまった。今でも俺が選択を間違えなければ、アルは生きていたのにって思う」
「あなたのせいではないのではないですか?」
真面目にフォルスが言うと、ジェイドはうっすらと笑みを浮かべた。
「そんなことは何度も自分に言い聞かせている。それでも、後悔っていうのは何度も襲ってくるんだ。どうして俺が生き残ったんだって」
フォルスはゼノスが同じようなことを言っていたのを思い出した。ジェイドをリィアへ連れ帰ったら、必ずゼノスに会わせなければならないと思った。
「そして、姉さんのことだ。俺と姉さんは何とか合流できた。しかし、その後リィア軍が城を占拠したところを見て、このままでは俺たちも捕らえられると思った。そこで必死で逃げた。何とか首都のはずれの避難所まで来たけど、そこはリィア軍が作った避難所だった。いつ見つかるかわからないって思って、夜中にこっそり出ていくことにした。うまくいけば明け方には隣の街にたどり着く予定だった」
「俺たちを襲ったのはクラド・フレビスとゾステロ・フィルム。そしてザミテス・トライトだ。奴らは手始めに俺の左腕を折って、姉さんを脅した。そうやって姉さんをここまで連れてきて、後は言わなくてもわかるだろう」
「いろんなことが重なっていたからか、動転した俺は姉さんを助けようとした。無理に決まってるのにな。そして俺を見つけた奴らは、姉さんを……」
ジェイドはそこで語るのを止めた。フォルスも敢えてその先を聞き出そうとは思わなかった。しばらく間があってから、ジェイドは続きを話し始めた。
「一言で言えば、玩具だった。嬲りに嬲られて、俺は途中で意識を失った。その後気がついたら、穴の中だった。隣で姉さんが死んでて、俺の上に土が降ってきた。そこから俺は這い出して、後はさっき話した通りだ」
「この下に姉さんと俺が埋められていた。こんなところに姉さんを置き去りにするしかなかったんだけど、姉さんは俺のこともきっと恨んでいるんだろうな」
「首謀者はクラド・フレビス。お前もフレビス家のことは知っているだろう? ダイア・ラコスの強権を許して軍関係を牛耳るリィアの大貴族様だ。そこのバカ息子のことだ、俺たちの他にもいろんな悪いことをやっていたに違いない」
「そしてゾステロ・フィルム。こいつはクラドの子分だった。ガタイだけ異様にでかくて、俺の左腕をためらわず折った。だから俺もトリアス山で奴を見かけた時にためらわず腕を折ってやった。命乞いしてきたけど、崖の上から蹴り落としてやったときの顔は傑作だったな」
「そしてザミテス・トライト。はっきり言って剣の腕も上級騎士筆頭というには足りないし、かといって人望が特に厚い奴でも無かった。何でゼノス隊長が辞めさせられて奴が筆頭になったのか俺にはさっぱりわからない。どうせクラドが何かしたんだろうなと言うのは想像できる。それも許せなかったが、俺を埋めたのが奴だ。だから俺も奴を埋めてやった。それが俺がザミテス・トライトを埋めた理由だ」
「じゃあ、何故トライト家の人まで?」
「それは……」
そこでもジェイドは言葉を止めた。
「悪い。これはお前にも言えない。この際だから一切合切話しておこうって思ったんだけど……やっぱり無理だ」
ジェイドの瞳からは止めどなく涙が溢れ始めた。
「どんな言葉を使えばいいのかわからない。俺自身もよくわかっていないのかもしれない」
「それじゃあ、よくわからない理由でトライト家の人たちは殺されたってことですか?」
「いや、そんなことはないんだけどさ……俺、普通じゃないからさ。おかしくなってるんだ、わかるだろう?」
フォルスはビスキでテレスから「普通に考えればあり得ないが、普通に考えなければあり得ないこともない」「考えたくもなくなるような、出来れば話をするのも避けたいような理由」がトライト家の一件に関しても存在しているのだと思った。
「他に聞きたいことはないのか?」
ジェイドはトライト家の件に関して本当にこれ以上話したくないようだった。
「そうですね……それじゃあ、次に貴方のことを教えてください。ジェイド・カラン・エディアについて」
フォルスはこれ以上なく弱っているジェイドを見て、トライト家について追求することを諦めた。その代わり、彼がこれまでどう感じて過ごしてきたのかを知りたくなった。ジェイドは涙を拭うと、姉の墓に供えた花をじっと見つめた。