不眠症
セラスは突如として亡命してきた謎の男を見張ることにした。ティロは宛がわれた自室に連れてきた少女を監禁しているようだった。それから夜中だというのに屋敷の入り口でぼんやりと空を見上げていた。
(こんな夜中に一体何をしようというんだ……?)
「……なんだよ」
セラスの気配に気がついたのか、ティロが話しかけてきた。
「それはこちらの台詞だ。そこで何をしている?」
内心ドキリとしたが、セラスは意を決してティロに近づいた。
「別に、なにも」
「夜も更けたというのに外にいるのはどういう了見なんだ?」
「外くらい出てたっていいだろ、子供じゃあるまいし」
そうは言っても、とっくに普通の人間は眠っている時刻に起きているというのは何か企んでいるのではないかとセラスは考えていた。
「しかし不審には違いあるまい。他の奴らはどう思ってるか知らないが、少なくとも私はまだ貴様のことが信用できないからな」
「わかったよ、別に怪しいことしたくて外にいるわけじゃないことがわかればいいんだろ?」
「ちゃんとした理由があるなら言ってみろ」
「……まあいいか」
しばしの逡巡の後、ティロが口を開いた。
「夜眠れないんだよ、昔からな」
「それと外にいるのとなんの関係がある?」
「俺は軍隊育ちだから、どうしても夜は複数人で寝ることになる。だから遠慮して外に出ているうちに習慣になっちまってな、夜は外にいる方が落ち着くってだけだ」
案外平凡な理由にセラスは面食らった。
「そんなにその不眠はひどいのか?」
「ひどいなんてもんじゃない。2日くらい眠れないのは当たり前だし、昔はそれ以上になることも珍しくなかった。大体4日目くらいから極端に集中力がなくなって、5日目くらいから幻聴が聞こえてくる。だからそうなる前に睡眠薬を使わないとやっていけない……って、まあ驚くよな。文字通りの不眠症なんだよ」
思ったよりも酷い話にセラスは思わず同情しそうになってしまった。しかし、信用ならない相手に同情している場合ではなかった。
「じゃあ、今は何日目なんだ?」
「昨日は寝てないから、今夜で2日目。まだ『眠れたら寝る』の領域だな、俺としては」
「それで昼間の立ち回りをしていたというのか?」
「そうだな……あのくらいなら余裕だ」
「そんな……信じられない」
セラスは昼間の試合を思い出していた。オルドの精鋭を10人連続で破り、更に自分と激しい試合をしたというのに未だに眠れないという。そもそも亡命をしてきて知らない土地にやってきているだけでも気力や体力を使うのではないかと思うと、昼間にセイフが「化け物」と形容したのも的外れではないのかもしれないと思い直した。
「慣れだよ慣れ。15年はまともに寝た記憶ないからな」
「そういう問題なのか……?」
セラスはこの話を信じていいのかわからなくなった。全部デタラメである可能性も考えるとこの荒唐無稽とも思える話に付き合うべきなのか悩み始めた。
「それより……お前も寝ないならやるか? 昼間の続き」
「は?」
「暇なら付き合えよ」
ティロは立ち上がるとセラスを鍛錬に誘った。
「こんなに暗いのにか?」
「夜目の練習にいいぞ」
「そんな鍛錬聞いたこともない」
「ああそうか、軍部が夜間警備もやるのはリィアぐらいだったな。そうでなくても実戦形式極めたいなら夜目は使えた方がいいぞ」
セラスはティロがどういう理屈でそのようなことを言っているのかよくわからなかったが、何か意味がありそうな鍛錬であることは何となくわかった。
「それなら……付き合ってやらんこともないが。その代わりひとつ聞きたいことがある」
「何だ?」
「何故祖国を裏切れる? 私はそんな奴を信用したくない」
核心をついた質問にティロはしばらく虚空を見つめ、言葉を選んで答えた。
「あぁー……俺、別にリィアの生まれでもないし国に忠誠を誓ったことなんて一度もない。リィア軍にいたのは飯を食うためだけだけだ」
セラスの中の上級騎士としてのイメージと大きく乖離した話を聞かされて、ますますわけがわからなくなった。上級騎士とは各国共に首都防衛のために置かれた役職で、少なくとも護国の意思がなければ就けない要職である。「たまたま剣技の腕があったから」で済む話ではなかった。
「つまり最初から裏切るつもりだったということか?」
「そうだな……その辺を話すと長くなるし、お前いくつだ?」
急に話の矛先を反らされたことでセラスは少し機嫌が悪くなった。
「19だが……それが今の話となんの関係がある?」
「そうか、19か……じゃあ気が向いたときに話してやるよ」
「だからそれはどういう意味なんだ!?」
「少々込み入ってる上に女子供には不向きな話ばかりだ。俺なりの配慮だよ」
その返答を「話したくない」ということだとセラスは理解した。
「それじゃあ行こうぜ」
不眠症の上に過去を話したくないというティロにセラスはもの悲しいものを感じて、それ以上の追求をしないことにした。
「わかった、それ以上は聞かないが……結局貴様は何なんだ? 簡潔に答えろ」
「簡潔か……あんたらの言葉で言うなら多分『死神』が一番簡潔だろうな」
「『死神』だと!? あのトリアス山のか!?」
その話もセラスは散々聞かされていた。トリアス山に現れた謎のリィア兵によってオルド軍は後退を余儀なくされ、それが天然の要塞と謳われたトリアス山を落とされた要因でもあったと言われている。
「そうだよ。その辺もまあ……長くなるからまた今度な」
セラスは昼間の鋭い殺気の正体を知ったような気がした。そして、剣を交えた上でおそらくそれは真実なのだろうとセラスは感じていた。