カレメ山へ2
真っ暗な闇の中を走り回って、どれほど経っただろうか。
「追っかけてくる気配は、ねえな。」
レオンがたどり着いたのは小さな滝だった。屈んで、手で水を掬って汗だくになった顔を洗い、ついでに水分補給をする。
「ったく、こんなことならもっと先回りして奪ったほうが……。」
そう思いかけて先程まで行動を共にしていた男に、そんな隙など全く無かったことを思い出す。控えめで、ひ弱そうだったから楽勝だと思っていた昼間の自分をひっぱ叩いてやりたい。
「……クソッ、どうしたらいいんだ。」
レオンは苛立ちのままに、水面を叩く。
暗い水面に浮かぶ自身の影を見ていると、小さく水紋できていることに気づいた。
一方向から大きな波紋ができている。魚、ではない。
背後からカサカサと音がして、レオンは振り向く。
「追いついたならちゃんと……。」
彼の目に入ったものは、人の影ではなく巨大な影だった。
一方でユリウスは、山の中を当てもなく彷徨い歩いていた。
「マズイな、こんな山の中ではぐれるなんて。」
自己責任と言った手前、あんな言葉をかけてしまったが正直のところ心配なのである。だからこうして探し歩いている。
灯の魔法で周囲を照らしながら、山道を歩く。
随分と歩き、そろそろ疲労を感じはじめた頃。
「ん?」
木々の間からチラチラと明るい火の光が見えた。
レオンかもしれない、と思うと同時に盗賊やオークといった存在が脳裏を掠める。灯の魔法を消して、光の方へとそっと忍び寄る。
木の影に隠れながら、様子を伺うとそこにいたのは緑の肌にゴツい体格のオークが1体いた。すぐそこに崖があり、穴を掘って棲家にしているようだった。
――オーク、もう最近は見かけないと聞いていたけれどいたのか。
オークという種族は、群れで行動すると言われているが気配や目視できる範囲からして今近くにいるのは4、5体くらいだろうか。相手の様子からしてレオンがいるような感じはしない。
ユリウスがその場をとりあえず離れようとした時だった。
「ん?この匂い……どこかで……人間か?」
マズイ、と思った瞬間には手遅れだった。ここで逃げれば、“いる”と言っているのも同然である。この土地勘の無い夜の山を逃げても追い詰められれば、もう逃げ場は無い。
ユリウスはオークに関する知識を総動員する。
オークはおよそ740年前に世界征服に乗り出し、一時期繁栄を極めたが他の種族の猛反攻に遭い、徐々に数を減らし今では大陸の南西部に少数の部族しか見られない。現在は条約を結んでいるため、表面立って問題を起こすことは無いが、裏では闇金を取り扱っているとか汚れ仕事を請け負っているとか、そういった噂が絶えない。種族としての嗜好は殺戮を好み、女が大好物なため襲い、攫う。
このままいけば殺されるかもしれない。最悪の場合は実力行使ではあるが、親切丁寧がモットーの郵便配達人がオークという種族だけでこちらから攻撃を仕掛けるのは大変よろしくない。貞操に関しては男だから大丈夫、と思いかけて以前、妹の買ってきた本の中にそういうのがあったと思い直す。表紙的に獣人相手だったけど。もちろん、見なかったことにした。あれは不特定多数の人間がいる場所に置きっぱなしにした妹が悪い。いや、もし仮に今、目の前にいる彼らにそんな趣味嗜好があったとして、それはそれで見境いがないのではないかと再び思い直す。
「おい人間、そこで何やってんだそんな所で。何もしんねぇから出て来て火ぃあたれ。」
「親方、そんなんじゃ出てきませんよ。ここは、アイツみたいに高い高いをしてやるからって言えばいいんじゃないっすか。」
「いや、匂い的に違う人間だろ。」
そんなオーク達の会話を聞いているとユリウスは先程までの思考が馬鹿馬鹿しくなってきた。というより、かなり失礼なことを考えていた。
「その言葉、信用してもよろしいのですね。」
「お、おう。」
とりあえず木の影越しに聞いてみると、僅かに動揺した返事が返ってきた。恐らくそのまま逃げていくと思っていたのだろう。
ユリウスは腹を決めて、3体いるオークの前に歩み出た。
「夜分遅くに申し訳ありません。私は郵便配達人をしておりますユリウスと申します。」
「おう、こりゃどうもご丁寧に。」
親方と思しきオークが代表して返事をしてくれた。
「あの、私と共に山に入った男性とはぐれてしまい、彼を探しておりましたらここに辿り着いた次第です。何か、ご存じありませんか?」
とりあえず、先に手紙の宛先よりもレオンについて聞いてみたが、どのオークも首を傾げるだけで何も情報は無かった。
「悪いな、何もなくて。」
「そうですか、ありがとうございます。あと、もう1つお聞きしたいことがあるのですが……。」
ユリウスが手紙の届け先について聞こうとした時だった。
ズシン、と大きな地鳴りがした。それと同時に何かの叫び声が聞こえて来た。地鳴りはだんだんと大きくなり、こちらに近づいてきている。
そして、一人の男が走り出てきた。見覚えのある顔が、今は焦りと恐怖でグチャグチャになっている。
ユリウスは激しく肩を上下させる彼を支えながら状況を知ろうと問いかける。
「レオン、一体何が。」
「レオナール?」
親方の後ろに控えていたオークが呆気に取られながら、つぶやいた。そしてその後ろから木々を薙ぎ倒しながら黒い、巨大な影が姿を現した。ユリウスよりはもちろん、オーク達よりもふた回りくらいは大きい。
黒い毛に包まれた逞しい筋肉、発達した頭蓋骨で包まれた頭。
「まさか、ヘルベアか?」
親方は、相手を見上げながら片手に武器を持つ。かなり巨大な剣だ。
「レオナール、色々と言いたいことはあるが話は後だ。そいつと一緒に隠れとけ。お前らやるぞ!」
「「おう!」」
親方が駆け出すのに合わせて、他のオーク達もヘルベアに挑んで行く。
「水、飲んで。」
ユリウスはレオン改め、レオナールの口元に水筒を差し出す。レオナールはそれを受け取ると、グビグビと水を飲み干した。
「何があったんだ?」
ユリウスが聞くと、レオナールはアワアワと焦りながらヘルベアの方を指差す。
「……み、水を飲んでいたら、アイツが後ろにっ!それで……。」
要は、あの猛獣の縄張りに入ってしまったらしい。今の季節は冬眠前で動きが活発になるのだ。普段は大人しい獣でも神経質になっているので、森や山に入って採集をしていると襲われるという例は少なくない。
ユリウスは、ヘルベアと戦うオーク達を見遣った。
「グッ……。」
「しっかりしろ!向こうの動きが鈍ったらコッチの番だ!」
数の利で、今のところオーク達の方が押しているが怒り狂ったヘルベアも黙ってはいない。
「ブァァァァ‼︎‼︎」
低く轟く唸り声をあげると口から火が発射される。オーク達はそれぞれの武器で切ったり盾にしたり、逃れたりして、攻撃を繰り返す。
「……もしかして、逃げる前に何かした?その剣で引っ叩いたとか。」
かなりの剣幕で襲いかかるヘルベアの様子を見ながら、ユリウスはレオナールに問う。
「……ちょっと脅すくらいのつもりだったんだ。」
そう問われた本人はあからさまに目線を逸らしながら答えた。
「通りで追っかけてくる訳だ。」
大抵の獣は縄張りに入ってしまっても、慎重に逃げて、姿をくらましてしまえば、こんな所まで追っかけて来ることはない。
「……オ、オレが悪いってか?」
「ヘルベアを仕留めようと思うなら、自由職者ならパーティで挑まないと。それか、高ランクであるかだけど……君は?」
ユリウスが、問うとレオナールは項垂れる。
「……Eランクだ。」
「……ま、何事も経験って言うさ。もう落ち着いたか?」
励ます言葉も上手く見つからず、とりあえずレオナールの状態を見てみる。枝などでひっかいてしまった傷はあるようだが、大きな怪我は無いようだ。
「ちょっと手こずっているみたいだから、加勢して来るよ。」
「オレも……!」
「すぐ終わらせるから。休んでていいよ。」
レオナールが立ち上がろうとしたのをユリウスは止める。
「でも……。」
「じゃあ、それ貸してくれる?」
それでも渋る様子を見せたレオナールにユリウスは、彼の背にあるものを指差した。
一方その頃、ヘルベアと勇敢に戦っていたオーク達は疲弊しはじめていた。
「……ったく、年寄り相手に遠慮しろよ。」
「グチを言ってる場合じゃねーよ。」
「集中せんか!危ねぇだろうが!」
そう言っている間にもヘルベアは、口から火焔を吹き出す。
それぞれが火焔に備えて防御する。しかし、来ると思った火焔は届かず、代わりにジュワッという音と共に視界が白くなる。
「ん?熱くない?」
「下がっててください!一気に片をつけます!」
自分達の後方から聞こえた声に、オーク達は戸惑いながらも疲弊もあって後方へと下がる。
強く地面を蹴る音がなると白い煙と水蒸気で満たされた視界を赤く燃える刀身が切り裂き、見事ヘルベアの眉間に直撃した。ユリウスは、そのままの勢いにのって空中で1回転して、地面に着地した。
その直後、ヘルベアは直立不動になり、そのまま後ろに倒れた。
「スッゲー‼︎」
「どうやって、やったんだ!?」
「兄ちゃん……アンタ何者なんだよ?」
「アレを一撃で?」
興奮しながら感動を口々にして、3体のオークがユリウスに詰め寄る。
「えっと……皆さんが動きを鈍らせてくれていたおかげです。その、クマ鍋にでもします?」
ユリウスの提案に、オーク達は盛り上がる。
「そうしようぜ!勝利と再会と歓迎の宴といこうじゃないか!」
そうと決まれば、行動は早かった。クマの皮を剥ぎ、解体し、肉を取り出す作業も難なく終わった。
料理に必要な大きな鍋が何処からか出て来た。
鍋とステーキが出来上がった頃には、日が昇りつつある早朝だった。
「つまり、皆さんははぐれオークなのですか?」
「ま、そんなとこだな。昔はそこいらを襲って略奪やら人攫いやら、してたがな。最近はする必要もなくなったし。」
「だな。オイラたちは歳だから、めっきり女を襲う気が起きねえし。」
「ま、わざわざ危険を侵す必要が無くなったってことさ。」
クマ鍋を囲み、酒が入って、陽気なオーク達は口々に自分達のことを話しだした。
「そこのレオ坊みたいなガキの子守をするのも楽しいしなぁ。」
「子供扱いすんなって!」
レオナールは酒なのか恥ずかしさからなのか、顔を真っ赤にしながら、ムッとする。
「まったく、そうならそうだと始めから言ってくれれば良かったのに。」
ユリウスは鞄の中から一通の手紙を取り出す。そこに書かれているのは、宛先の名前はトゥラト。そして、差し出し人の名前には、レオナールと書かれている。
「いや、だって……。」
どもったレオナールは果実酒をあおった。始めはあの電気水で割ったものを飲んでいたが、段々とそのまま飲むようになっていた。
「手紙を出したけれど、君の友人が退治されかもしれないって、心配になった。だから、俺を付けてきた。違う?」
ユリウスの推測に、レオナールは図星だとばかりに項垂れた。
「……とりあえず、うまくやっているって伝えたかったんだ。手紙なら、街を離れてコッチに来るまでの資金もかからないし。でも、他の自由職者にとってオークは討伐対象だって聞いて……それでキャンセルしようとしたんだけど、既に手紙は街に無くって。だから、コッチで待ち伏せするしか無かったんだ。本当に悪かった。オレにとっては知っている山だったけど、いつも親方達が守ってくれてたんだなって。」
レオナールの隣に座る、親方――トゥラトが彼の肩に腕を回す。
「全く、その通りだ。オレたちのことは内緒だって言っただろ?」
「ごめん。」
ユリウスはその様子をなんとなく微笑ましくなってみながら、レオナールに手紙を差し出した。
「はい。」
「えっ、なんでオレ?」
レオナールは、ユリウスから差し出された手紙とトゥラトを交互に見遣る。
「俺たち郵便配達人は手紙を送り届けることが仕事であり、受取り主に渡す代理者だ。でも、今は送り主である君の前に受け取り主がいる。だから、君から渡すべきだ。」
「……。」
レオナールはユリウスから手紙を受け取ると、トゥラトに向き直った。
「オレ、街に行って、自由職者になって、すっごい色んな体験をしたんだ。皆が造ってくれたこの剣も最近はちゃんと振れるようになったんだ。えっと、だから……読んでくれると嬉しい。」
「そうか。頑張っているようで何よりだ。」
手紙を渡すレオナールと手紙を受け取ったトゥラトは、互いに微笑む。周りのオーク達が、やいやいと賑やかに二人を囲んだ。
そこにあるのは、恐らく種族を越えた友情、絆なのだろう。
カレメ山を下り、ヒスクの町へと向かう長閑な牧草地を2つの影が歩いていた。
「思いがけず、徹夜になったな。」
クァ、と欠伸をしながらユリウスがぼやく。
「急がなくったって、良かったんじゃないか?泊まっても良かったのに。」
「俺は慣れてるからいいんだ。そういう君だって、無理してついてこなくて良かっただろうに。まだ酒が抜けきってないだろ?」
ユリウスの指摘に、レオナールはグッと拳を握る。
「オレ、もっと鍛錬してランクを上げて、一人でヘルベアを倒せる自由職者になりたい。」
そう意気込むレオナールにユリウスは、息をつくとレオナールに向かって人差し指を回した。
「応援してる。気持ちは分かるけど、無理はしちゃいけない。焦っていては得られるものも得られない。」
回復魔法がかかったことに気づいたのか、レオナールが立ち止まる。
「あの、さ。」
「ん?」
それに合わせて立ち止まって振り返ったユリウスに向かって、レオナールは少し緊張した様子で、口を開いた。
「ユリウス、さんは何者なんだ?だって、トゥラト達がヘルベアの体力を削っていたけれど、ヘルベアを一撃で倒すなんて。それに、オークの言葉も理解していたし。なんとなく異なる言葉を話しているようにも思えたけれど、伝わっていた。」
「……郵便配達人だよ、ちょっと特殊な。」
ユリウスは薄ら笑いを浮かべて答えると、呆然とするレオナールに背をむけて町の方へと走りだした。
「じゃ、急ぐよ。早くしないと乗合馬車に遅れる。」
「あ、待てよ!まだ話は終わってない!!」
慌ててその後を追いかけるレオナールの足音を聞きながら、ユリウスは走る。
手紙を届けて欲しい人がいる。待っている人がいる。遠く離れた絆を結ぶのが郵便配達人、特派員の仕事。
読んでくださりありがとうございました。
オークと書いていますが、多分なんか違う気がする。ゴブリン?名前が出てこない。
ゲスト登場人物紹介
レオナール……麓の村育ちの青年。17歳。名前を咄嗟に偽ったが、その時にはユリウスに依頼人ではないかと疑われていた。ユリウスとどう接するべきか分からず、口が悪くなってしまった。昔、カメレ山に近づくなと教えられて育ったが、わんぱく少年だった当時の彼は言うことを聞かず、山に入り遭難。その時トゥラト達、オークに助けられる。それ以降、彼らとは秘密の友達になった。15歳の頃、両親の反対を押し切って自由職者になった。今はEランク(下から三番目)。背中の大剣はトゥラト達から貰ったプレゼント。
トゥラト……他の3体からは親方と呼ばれている。昔は多くの仲間達と強奪などを繰り返していたがオーク狩りに遭い、山の中に身を隠した。かなり歳をとって体力も落ちているので、ひっそりと静かに暮らすようになった。
ロム、カルセ、ムアー……トゥラトと共に生活する三体のオーク。採集したり、獣を狩ったり、酒を造ってみたりとかなり、自給自足生活に順応している。武器を造る腕は落ちておらず、その技術を活かして生活に必要なハサミや包丁なども作ったりしている。