008.この世界の錬金術①
そしてさらに翌日。
「さてと。まずはこの世界の錬金術というものを学んで置かないとダメよね」
お父様は豪速馬を用意してくれるとしたためてくれていたけれど、調達するまでに時間はあるだろう。
おそらく我が家の力を使えば数日というところ。そうはいっても、その数日を無駄にするのは勿体ない。
ああそうだ。
なぜ私がこの世界を『転生後の世界』と受け入れられたのかを説明しないといけないかもしれない。
んー。
説明が多いよって思ったらごめんなさいね?
まず、明らかに近代的な日本で自動車事故を起こした記憶。
そして、現状置かれているのは、魔法だの騎士だの、錬金術師だのと、中世だか近代だかわからない謎の世界。ある意味、記憶を取り戻した私からしたら、物語で読んだファンタジー要素まで含んでいる世界である。
日本で車を運転していて、事故を起こした記憶まではある。
とすれば、私は事故に遭って現代日本での生を終えた。
そして、この不思議な世界に生まれ変わった。それを知らずに今まで生きてきて、婚約破棄のショックによって、前世での記憶を取り戻したと考えるのが妥当なような気がする。
まあ、明確な理由はわからないけれど、新たな世界で錬金術師という職業を得たのを考えると、前世での薬学の研修員という職業は天恵ともいえるだろう。
前にも少し触れたとおり、前世の世界、地球では、錬金術というのは、まだ科学というものとオカルトが混合していて定義が曖昧だった頃の技術なのだ。
ならば、科学や薬学といった知識がある私にとっては、この世界で生きて行くには非常に有利だと思うのだ。
「……そうとは言っても」
私は自室の椅子から立ち上がった。
「世界が違うということは、ルールも違うはずだわ」
そう。
この世界の錬金術師というものを勉強しなくてはいけない。
多分、魔法が存在する世界だから、それもなんらかの形で影響しそうだし……。
「マリア、図書館へ行ってくるわ」
私は、故郷から着いてきてくれている侍女のマリアに声をかける。
「承知しました。お気をつけて」
全ての事情を知っているマリアは微笑んで見送ってくれた。
何を悠長にしているのかと言われそうだけれど、あのあとさらにリルル経由で話を聞いたら、平行してすでにお父様は国王陛下と大げんかを振っている最中なのだそうだ。
そして、国王陛下はなんとか私を未来の王妃に据えたいと思っていても、馬鹿息子――あ、王太子殿下でしたね。殿下は聞く耳持たず膠着状態なのだそうだ。
と言うわけで、おそらく私は豪速馬の調達ができる間は自由に過ごせると言うわけ。
お勉強の努力もなさらない殿下に変わって、量が増えがちだった王妃教育も、お休み。
というか、もう終わりだ。
どうやら、本来の王妃教育など、とうに終わっていたようだし。
全く、どうして私が、殿下が学ぶべき帝王学まで履修しないといけなかったんだろう。
と、今までの不平不満はおいといて。
今は自由時間を有意義に使いましょう。
私は、ノートと筆記用具を手に、図書館へ向かうことにした。
人々の間には、すでに私と殿下の間の醜聞はすでに広まっているのだろう。
私を遠巻きにしてちらちらとこちらを見ながら、ひそひそ話に興じている。
――ちょっと面白くないわね。
意地悪をしたいとか、そう言う意図じゃなくて、なんていうの? 自分のプライドがなんだか許せないのだ。
まして聞こえてくる声の中にはこんなものも。
「婚約破棄だとか……」
「よく恥ずかしげも無く外を歩けるものだわ」
「……すでに例の男爵令嬢の父親が御前に呼ばれたとか……」
「……え? 次はヴィンセント様と……今時の若い方ってお盛んなの?」
かしましくさえずる声が聞こえてくるのだ。
私は婚約破棄されたことを喜ばしいと思って、あの場で「父に決定事項として報告する」と断言して見せたはず。
それなのに、憐憫やら嘲笑やらの対象にされるのはごめんだった。
それと、ヴィンセント様と私は何もないっていうの!
全く。
これは少し意趣返しをしてやらないと気が済まない。
「ああ全く。意に沿わない婚約が解消されたとかで、清々しましたわ。全く殿下のお勉強の分まで増えに増えた王妃教育も、耐えられたものではありませんでしたし。決まったら決まったで、早々に実家に帰りたいですわ」
そうして、わざとらしく扇子を出して広げて口元を隠し、ふふふ、と笑う。
――ちょっと演技が過ぎたかしら。
というか、殿下が帝王学の勉強(多分他にも)をサボっていることをバラしたのは叱責されるかもしれないけれど、……周知の事実だったらしいのよね、これ。
悔しいけれど、真面目だった頃の私が知らなかっただけ。
結果的に、ミリアさんという新しい婚約者さんをお迎えするように、彼は私の知らないところで放蕩三昧だったらしい。そのおかげで、勉強にも身が入らなかったとか。
ま、おかげで、私の周りを取り巻いていた聴衆達は、蜘蛛の子を散らすように去って行った。
「さて、図書館、図書館っと……」
どうでも良いことは放っておいて、目的地にいかなければ。
私は再び歩を進めるのだった。
王宮内の長い廊下を歩き、庭へも出られる、建物と建物をつなぐ中廊下に出る。
その先に石造りでがっしりとした作りで建てられている図書館だった。