039.その頃のノルデン王国②
エリスが化粧品類を開発し、それも無事に産業化したあとのこと。
半年ほども経って、製造量も輸出に耐えうる量にまで増え、当初言っていたとおり、南のサウザン王国にだけ輸出していた。
けれど、そういった優れた製品の噂は商人から簡単に広まっていく。さらに半年も経つ頃には、商人達はアネスタから直接輸入するのが無理ならば、と、サウザン王国に輸出された物をさらに輸入するという方法で、ノルデン王国の王家や貴族達に売りつけ始めたのだ。
ノルデンの社交界で、「田舎出の錬金術師」と罵しられた、その人の手で生み出された物が、流行の最先端となり、話題をさらっていたのである。
そして、そんな「化粧」に夢中になっている貴族の一人がミリアでもあった。男爵家出の彼女では実家からの支援ではそんなものは買えない。結局アルフォンスにねだり、湯水のようにその関税で高価になった化粧品を買い漁っていた。
そうして、そんなある日。
「は? 税収が減っている?」
国王が執政官から報告を受けて、顔を真っ赤にして怒っていた。
「それはどういうことだ! 税率は変えていない! なぜそんなことが起こりうる!」
「……アネスタ領です」
「アネスタ、だと?」
長男の王太子アルフォンスが婚約破棄をした元婚約者エリスの実家である辺境伯家の名を聞いて、眉間にしわを寄せる。
「なんでも、あの領では現在、産業革命が起こっており、また、なんでも砂漠を農耕地に変えるとかで格段に仕事が増えているとか……それで、仕事にあぶれた者達や、新しい仕事に魅力を感じた者達がこぞってあちらに移っているようで……。人が、減ったのです」
「な……っ!」
かといって、辺境伯は、武力も財力も持つ、王家としても簡単に口出しをできづらいほどの力を持つ家なのだ。
「人が流出したから返せ」「はいそうですか、すみません」なんていう生やさしいやりとりで済む相手でもないのが現実だった。
「……それと、言いづらいことですが、陛下……」
「なんだ!」
すでに怒り心頭に発するといった様子の国王を相手に、今度は財務官がおずおずと進言する。
「我が王家の財政も、赤字に転じております……」
「どういうことだ!」
国王は手に持った王錫を、怒りにまかせて、ダン、と床に打ち付ける。
「はい。そのアネスタの新しい産業ですが……女性達に最近流行っている、化粧水やら石けん、おしろいといった美容関係のものが、それに該当するようなのです」
「それがなんだというのだ!」
「はい。それが、我が国には直接入らず、どうやら、サウザン王国を経由しての輸入品となっているようで……。国を隔てるごとに関税がかさみ、かといって、女性達の美容に対する熱を止めることも出来ずで……どんどん出費が増えている状況なのです」
そこに、ヴィンセント王子がやってきた。
「どうやらその新製品。考えついたのは、あのエリス姫らしいですよ、父上。今じゃ、『アネスタの錬金術姫』なんて呼ばれて、領民に親しまれているとか。兄上も、全く見る目がないというか何というか……」
「それは本当か!」
ヴィンセントの言葉に、国王が瞠目する。唇は驚きと怒りでわなわなと震えてすらいた。
「ええ、本当です。……先日申し上げたとおり、私との婚約話で彼女を取り戻した方が……。いえ。今の状態ですから、しっかりと以前兄上がしたことには王家として謝罪も必要でしょうね。アネスタ家は、軽んじて見て良い家ではありません」
国王はその進言に、唇をかみしめながら頭を抱えていた。
◆
「ふう」
ヴィンセントは面会室から出て、人気のないところまで移動すると、深呼吸をした。
――兄上の馬鹿のおかげで、自分にもチャンスがやってきたんだけどね。
初めて、兄の婚約者としての披露目の席で一目見たときから、ヴィンセントはエリスに目を奪われていた。
銀糸の髪に、アメジストの瞳。やや顔は緊張が見られるものの、
王室の錚々たるメンツの前に出ても、気後れしないその気丈さと、実家で最低限の礼節は学んできたのか、マナーも完璧だった。
けれど、気を抜けば身近な者には快活な笑みを浮かべて見せる。
――ああ、あの射貫くような紫の瞳に、他の女とは違う何かを感じていたのかもしれない。
毅然とした態度は美しく。
あの、婚約破棄の場でも、去り際の見事さと言ったら。
あまりに美しくて。
思わず手を差し伸べたのだ。
「……まだ間に合う。あの婚約破棄を謝罪し、その表明として兄上を廃嫡。彼女を配偶者とした私を立太子すれば、まだ間に合う……」
他の誰にもこの野心を聞かれないよう、小さな声で呟く。
――そうすれば、私は彼女も王位も手に入れられる。
正直、兄も兄の婚約者になったミリアとかいう女も、まるで王と王妃には向いていない。
兄は兄で、帝王学も何も、不勉強で放蕩に耽っていて。
ミリアとかいう女は、『聖女』の職を賜ったというが、ついぞ、奇跡の力を民草のために施したなどという話は聞こえてこない。
それどころか、王妃教育も教育係が匙を投げて、辞退したといった有様だ。
――彼女以外に、この国の王妃にふさわしい人はいない。
そして、私は彼女が欲しい。
礼儀を尽くせば、まだ、手に届くところにあるはず……!
そう思い、もう一度面会室の扉を眺め見る。
――どうか、今度こそ父上が英断をしてくださるように……!
そうすれば、この国も潤い、そして、私自身の想いも報われるのだ。
ヴィンセントは懇願するような気持ちで、その扉の向こうの父へ祈るのだった。




