016.ユリウスの心
「リルル!」
ユリシーズが自室にいると、突然窓の向こうからリルルが飛んできた。それを見つけると、ユリシーズは彼女を腕に乗せた。
「手紙を見せておくれ」
そう言いながら、忙しない仕草で彼女の足に縛られた手紙をほどく。
――エリス、会ってくれるだろうか。
この間書いてしまった「会いたい」という言葉が、性急すぎたのではないかと、そしてまだ距離が適切ではなかったのではないだろうかと、この手紙の来ない間に、不安に駆られていたのだ。
けれど。
『私も会いたい』
そこに書かれていたのは、待ち望んだ、快諾の言葉だった。そして、彼女の近況が簡単に綴られていた。
なぜ、婚約によって縛られていた彼女の婚約が解消され、王都を離れられたのかはわからない。けれど、純粋に会えるというだけで嬉しかった。
「リルル、よくやった!」
リルルを腕に乗せたままユリシーズはテーブルまで行くと、そこに置かれているフルーツの盛られた木製の器から、一番小さな赤いベリーをくちばし近くに差し出した。
「ピィ!」
リルルは嬉しそうにそれを頬張って飲み込む。
「もっと欲しいか?」
「ピィ!」
その答えに応じて、ユリシーズはリルルが満足するだけ果実を与えた。
「さて、返事を書くまで待っていてもらえるかな?」
「ピ!」
リルルは頷いて答えて、テーブルの上で足を隠して丸くなって目をつむる。
「ありがとう。返事を書かないとな」
ユリシーズは、心が躍るのを感じていた。
『会いたい』
彼女の手紙にも、そう書いてあったのだ。
この気持ちをどう表現しよう。
忍んでいった隣国の境界あたりで偶然出会った少女。
彼女は、しゃがみ込んでいて、地に伏せる小鳥を、彼女の優しい気と温かな慈愛の魔力で癒やしていた。そして、その小鳥が元気に回復すると、それは嬉しそうに微笑んでいた。
私は、その癒すときの真剣な表情と、回復した後の純粋な笑顔に見惚れ、時がたつのも忘れていた。
それが私と、彼女とリルルとの出会いだった。
私はのぞき見るだけのつもりだったのだけれど、忍んで覗いていたある日、つい、葉擦れの音を立ててしまい、ばれてしまったのだ。
「だあれ?」
小鳥を指先に乗せた彼女は立ち上がって私に尋ねた。
「えっと……」
「私はエリスっていうの。ここは私の秘密の場所なのよ? ここにいるあなたは誰?」
野に咲く可憐なすみれの花のようなアメシストの瞳に、私の姿が映っていた。あまりに澄んだ瞳と、さっきの光景のこともあって、私は彼女の瞳に吸い込まれそうになった。
と、それを振り切るように首を振ってから、私は一息ついてから答える。
「僕はユリシ……いや、ユリウスだよ。たまたま迷い込んだんだ。君の秘密の場所に勝手に入り込んでごめん」
忍んでいっていた身だったから、本名を名乗る訳にもいかず、偽名をとっさに答えてしまった。若干どもってしまったことを、幸い不審に思われるでもなかった。
「勝手に……といっても、『私の場所』と決めたのは私の勝手だから、そんなにあやまることはないわ。……ユリウス、よろしくね」
にっこり微笑まれると、首から上が普段よりも熱くなるのを感じた。
幸い、その私の変化に気づかないくらい彼女の注意は、どうやら小鳥に向いているようで。私を見ていた彼女の視線はすぐに小鳥の方へと移り変わる。
「この子、何度もここから離してあげようと思ってやってきているのだけれど、どうしても私から離れようとしないの。私と一緒にいたいのかしら? ねえ、どう思う?」
また私の方を見て首を傾げるエリス。首を傾けると銀の髪がさらりと肩から流れ落ちた。
飛んで逃げていこうともしない、その小鳥の扱いに、困ったように眉根を下げている彼女は可愛らしかった。
「感謝して、一緒にいたいんじゃないのかい?」
「そうなのかしら?」
「ピィ!」
「ほら、そうだって言っているみたいだよ?」
「そうなの! あなたは私といたいのね! じゃあ名前がいるわ! 何がいいかしら!」
あれだこれだと、名をあげてはエリスが思案する。その小さなさくらんぼ色の唇が動く様も愛らしい。
「リ……、リムル……、リルル!」
「あ、それ、可愛いんじゃないかい?」
「ピィ!」
瞳をパチパチとさせながら、リルルと名付けた小鳥を見つめて、エリスが微笑んだ。
「リルル、よろしくね」
「ピィ!」
そんなときもあったのだと思い出す。
あの十歳を過ぎたほどの、自分が淡い恋心を抱いた少女は、今はどんな姿に成長しているのだろうか。ふと思い立って、姿見の前に移動する。
濃い黄金色の髪。濃紺の瞳。
彼女があの地を去ってから、同じくらいだった背丈はぐんと伸びた。そして、鍛えた体は堅い筋肉が付いた。彼女は私を見て男らしく好ましく思うだろうか?
姿見に映った自分の姿を見ながら、頬を撫で、次に腕を撫でていく。
――会いたい。でも、彼女はあの頃より成長した私を見てどう思うだろう?
不意に生じた不安混じりの想いを、頭を振って振り払う。
会おう。
会わなければ何も始まらないのだ。
この関係の、想いの行き先が、友情なのか、それ以上なのか。
それは、再会してみなければわからない。
そう考えて、ユリシーズは文机に向かい、紙片取り出し、ペンを取り、ペン先にインクをつける。
『エリスへ
君も会いたいと言ってくれて、とても嬉しい。また会おう。
薬草を採取するのなら、朝早い方がいい。
あさっての五の刻はどうだろう?』
そう綴って、インクが乾くのを待ってからリルルの足に細くたたんだ紙片を結ぶ。
「さあ、しっかり運んできてくれよ」
「ピィ!」
タン! と机を蹴って、リルルは羽ばたき、そして、青い空に消えていった。