序章 7月21日①
麦わら帽子を被った小学生ほどの少女がこちらに呼びかけている。
距離が遠いせいか呼びかけはこちらに届かない。顔もぼやけていてよく見えない。
声が聞こえる距離まで麦わら帽子の女の子に近づく。麦わら帽子が影になり顔はまだわからない。
「―――に……。……かに……」
少しずつ声が聞こえてきた。かに??
もっとハッキリ聞くためにさらに距離を詰めると、
「バカにい!! さっさと起きろ!」
「うおぉぉ!」
先程の少女からは想像もつかない言葉が鼓膜に充満する。
そこで夢を見ていたことに気がついた。
徐々に覚醒していく頭で状況を理解して、恐らく起こしてくれたであろう声の主に目を向ける。
「もうちょい優しい起こし方はできないのかよ、京香」
目の前にいる俺の妹、須藤京香はハンッと鼻で笑った。
「こんな可愛い妹が起こしに来るだけでありがたく思え、バカにい」
べーと舌を出して京香は俺の部屋を出た。
階段を下る音が聞こえたのでリビングに向かったのだろう。
「昔はお兄ちゃんって言いながら抱きついてきたのにな‥」
悲しい独り言は誰にも届かず宙に消えた。
ため息を付いて時計を見る。意外と時間に余裕がないことを知る。慌てて学校に行く準備をする。
今日は7月21日。終業式で明日から夏休み。高校に入って二度目の夏休みだが、夏休みは何度目でも嬉しい。自然と鼻歌も出てしまう。
(そういえばさっきの夢の子、どっかで見たことある気がするんだけどな)
うーんと数秒考えるが時間は待ってくれないので思考を止めてリビングに向かった。
リビングに着くとすでに両親と妹が食卓を囲んでいた。俺も自分の席に座り、いただきますと手を合わせてトーストを一口かじる。朝は必ずトーストにコーヒー。最強の組み合わせだと思う。
「2人とも明日から夏休みだけどあんまり遊びすぎるなよ」
父が俺と京香に向かってそう言ったが、残念ながら遊ぶ予定は皆無なんだよなと悲しくなる。横目で京香をちらりと見ると、こくこくと首を縦に振っていた。
生まれつきの茶色い髪が揺れ、同じシャンプーの匂いがふわりと鼻孔をくすぐる。
今年から俺と同じ高校に入った京香だが、噂によると1年生の間でファンクラブができているらしい。同じ兄妹なのにどこでこんな差が……。
羨望の視線を送っていると視線に気づいた京香が少し頬を赤らめて 「こっち見んな」 の小声とともに足蹴りをくらった。
両親はその様子を苦笑しながら見守って一拍おいてから
「今年も15日は空けとくんだぞ」
と俺達に向けて言った。
その言葉に 「ああ」 とだけ返した。
8月15日は毎年恒例のお墓参りがある。家族行事のようなものだから忘れるわけはない。
ごちそうさまと軽く手を合わせて食器とコップをシンクへ運ぶ。
京香が目を丸くして 「はやっ」 と言っていたが反応せず洗面所に向かった。
歯磨きをして自分の部屋に戻った。
鏡の前の自分と挨拶をして、少しくつろいでから玄関に向かう。丁度同じタイミングで京香も部屋から出てきた。少し怪訝な顔をしていたが一緒に玄関まで向かった。
「行ってきます」
扉を開けて家を出た。
「え?もしかして一緒に行く気?」
「ん?当たり前だろ?」
極上の(自分比)笑顔を京香に向かって見せた。
「きも」
一蹴されて少し泣きそうになった。
「朝から仲がいい兄妹だねー」
声のする方を見る。そこには幼馴染の五関絢がいた。
「五関か。お前も今日終業式か?」
「うん、そうだよ! お前もってことは、れいやっち達もなんだね」
「相変わらずれいやっち呼びなんだな」
れいやっちとは俺のこと。
あ、申し遅れました。俺の名前はれいやっちこと須藤零矢。誠明高校に通う高校2年生。
「なんか不思議な間があったけど?」
「ツッコまなくていいんだよ!」
そんなやり取りをしながら高校へと歩を進めた。
「そんなことよりきょかちゃん!久しぶりだね!」
「あ、はい。どうも」
すこし警戒している様子の京香がチラチラ五関を見ながら答えた。
幼稚園からの幼馴染なので当然京香も五関とは昔からの知り合いだ。しかし昔から京香は五関のことが苦手なようだ。
五関は全然気づいていないようだが……。
「京香、別に一緒に行かなくていいぞ。先に行っても」
「いや、五関さんがいるなら私も 「わたしのきょーかちゃん!!」 ぐふっっ」
後ろから何者かが京香に向かって突撃してきた。
確か京香と同じ陸上部の鈴本志保ちゃんだっけ?
「ちょっと志保! 急にびっくりするじゃない!」
「見つけたら突撃するのがルールでしょ。そ・れ・よ・り~」
ニヤニヤしながら俺の方を見てくる。
「お兄さんと登校なんて~。しかも知らない女の人もいて修羅場っぽいし~。京香やばいんじゃないの~?」
「そんなんじゃない! こんなバカにいどうでもいいし! 行くよ志保!!」
京香は志保ちゃんの腕を引っ張って先に進んだ。
「いやん、激しい~」と言い残して2人は立ち去った。
「えーと、嵐みたいだったね」
あはは、と五関が珍しく苦笑いをしていた。それほど2人のやり取りが強烈だった。
まだ学校には着かない。
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