8
冷たい雨が降ってきた。傘を持っていなかったジャックは、急いで近くの建物の中に入って、雨宿りした。
建物の奥から、バチン、バチン、と鞭を叩く音が聞こえてくる。
一体何だろうか、とジャックは、雨で濡れたコートを脱いで手に持ち、奥へ入っていった。
そこは動物園のショーが見れる会場だった。
舞台の上で、誰かが檻の中に入っているのが見えた。それは黒ひげの男で、中にいるライオンに芸を仕込んでいるようだった。男は、舞台を眺めるジャックのことに気がついて、いったん檻を出た。
「お客さん、きょうはまだ――」
「あぁ、わかってます。急に雨が降ってきたもので」ジャックは男が言おうとしたのを遮って言った。
「雨?……気がつかなかった」男は鞭を舞台裏へ投げてから観客席へ下りた。「ちょっとライオンを見ておいてくれるか?」
「え、ラ、ライオン」
「大丈夫だよ、人に良く慣れてるから」
「そうですか……」
男は観客席を歩いて建物の外へ行ってしまった。
ライオンは縦が身を傘のようにとじ、檻の中でぶるぶると震えていた。
「やあ、どうも」ジャックはライオンに話しかけた。
「あぁ、ど、ど、どうも」
「どうしてそんなに震えてるんだい?」
「寒いんだよ、見りゃ分かるだろ――ヘックシ……」ライオンは檻の隅で小さくうずくまりながら言った。彼は近くで見ると年老いており、あばら骨が浮き出ていた。
ジャックは辺りを見渡してみた。するとストーブを見つけた。ストーブは観客席の方を向いていたので、彼はそれをライオンの方へ向けてやった。
「これでいいかい?」
「うん、あぁーいいよ」ライオンは気持ちよさそうにして、檻に寄りかかった。
「きみはライオンなのに大人しいんだね」
「俺がか? 気持ちは昔のままだがね、体がついていかないのさ」ライオンは一息置いて、話しはじめた。「ほんとならもう死んでてもおかしくないんだがね、忌々しいこの檻のおかげで二十年も生きちまったよ。ライオンの寿命をお前はしってるか? 雄で十年、雌はもうちょっと長くて十五年だ」
「きみは檻の中にいることが苦なのかい?」
「まぁ、そういうことになるな」
「外にいた象は、苦じゃなさそうだったけど?」
「そりゃー、あいつは生まれた時から檻の中にいた連中の一人だからな。でも俺はちがう。だから檻の中が不自由に感じるのさ。俺がいるべきだった場所はここじゃないんだ」
「というと?」
「アフリカのサバンナだよ――あそこには確かに自由があったのを俺は覚えてんだ」ライオンはジャックに背を向けたまま語りはじめた。「子供の頃、俺は人間に捕まって、そのあと巡り巡ってこの動物園に連れてこられたのさ。はじめは良く分からなかったがよ、大人になってそれなりに言葉も理解できるようになって、俺はここにいるべきライオンじゃないってことに気がついたのさ――つまり、俺は密輸されてここにきたんだ」
「君はサバンナに戻りたいのかい?」
「いいや、もう無理さ、俺はもうここで朽ちていく運命なのさ」
「ねぇ、みてごらん」
「なんだ?」ライオンは振り向いて彼のことを見た。
ジャックはおもむろにポケットからステッキを取り出してみせ、そこから花束をだしてみせた。このマジックは夜中の大道芸で使うつもりだったが、今、この魔法が本当に必要なのは彼なのだ、と思ったのだった。
「は、は、すごいな」
「ありがとう」
ライオンと話していると男がもどってきた。彼は首を傾げてジャックのことを見た。
「どうした、一人で誰と喋ってるんだ」
「いいや、ちょっと彼と――」ジャックはライオンのことを見た。しかしライオンは地面に突っ伏して眠っているだけだった。
男がライオンの側へ近づいて、「おい、なんか喋ってみろ」と声をかけてみたが、返事はなかった。
ジャックはそのあと、建物の外へ出ていった。
動物園を出たジャックは、生きるための仕事を探すために、街の仕事案内所へと向かった。仕事案内所は人で溢れかえっていた。ジャックと同じように仕事をクビになった人がたくさんいたのである。