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チャーリーの家は、白樺通りに入って、三ブロック先のアパルトマンにあった。猫は扉の横にある小さな窓に頭をくぐらせ、「さ、なかに入りな」と言った。ジャックは小さな窓の隣にある両開きの扉を空けて、中に入って行くと、粉雪のかかったブラウンのコートを脱いで、腕に巻き付けた。
ふと左下を見ると、頭と背中と尻尾にお砂糖を振りかけたみたいな猫が、嵌木床をぎーぎーと鳴らしながら歩いていた。
「ちょっとまちなよ、雪を落としてあげるから――」ジャックは手を差し出してから、猫が頭を下げるのを待ち、ゆっくりと撫でるように、雪を払ってやった。
ジャックが顔を上げると、その先には目が回りそうになる螺旋階段がぐるぐると伸びていた。一度目を閉じて正面を向くと、猫が階段を一段だけ登って、尻尾を揺らした。
「どした、おいてくぞ」
「あ、う、うん、いまいくよ」
ジャックは階段に右足を乗せ、軽快に上りはじめた。しかし、いくら上っても猫は、階段を上へ上へと進むだけだった。彼は息切れし、手すりを両手で掴み、立ち止まった。
「おい、おい猫、ちょっと、待ってくれよ」
「なんだよもう、体力ねーなー」猫は彼の前にちょこんと座って、じとっとした目で見つめた。「それとよぅ、おいらは『猫』じゃねー」
「え、どういうこと、どっからどうみても猫じゃ……」
「おいらには、ちゃんとパディシャっていう名前があるんだよ」
「パディシャ?……パ・ドゥ・シャ、じゃないの?」
「パディシャでいいんだよ」
「ふーん、きみはバレエでも踊るのかい?」
「名前はおいらが生まれる前からあったんだ。だからおいらが決められることじゃない」
「まぁ、そうだよね」
「それとだ、おめーはおいらのこと猫って思ってるかもしれねーが、それは、おまえにそう見えてるだけだ」
「どういうこと?」
「猫だとしても、猫だとは限らないってことさ」
「うーん……」
「いいか?……おいらはおいらだし、おいらのことは、おいらしかしらない。おめーがいくらおいらの真似をしようが、粘土でつくろうが、おいらのことを殺して解体しようとも、おいらのことはなにひとつわからないってことさ。わかるのは猫のことだけさ」
「よくわからないよ。ぼくには、猫にしか見えないよ。だってきみにはかわいい尻尾もあるし耳もある、たまにニャーと鳴いて見せるし、暗いところでは目を光らせるじゃないか」
「おめーはわからん奴だな……」
「しょうがないよ、ぼくはそんなに頭は良くないんだから……」
「頭が良いとか悪いとか、そういう問題じゃねーんだよ」
「え? そうなのパディシャ?」ジャックはさりげなく猫の名前を呼んでみた。
「馴れ馴れしいな!」
「ご、ごめん……」
「いいけどさ……とにかくだ、目に見えてるものだけが真実じゃないってことだ――おぼえとけよ」
「うぅん……」ジャックは納得していないらしく、首を傾げた。
猫はくるっとまわって、また階段を一段上がった。
「おいらにはわかる。おまえはどっからどうみてもピエロなんだ」
「だから言ってるじゃないか、ぼくは――」
「あー、はいはい」パディシャは彼の言おうとしたことをさえぎった。
「そういえばきみって性別どっち?」
「飼い猫にそんなこと聞くなよ」
「え……あ、し、しつれい」
「うぅ……ん」
階段を上って最上階に行くとチャーリーの部屋はあった。
ジャックは扉の前に立つと、緊張して脚ががたがたと震えてしまうのだった。猫が「はやくしろよ」と言ったので、彼は右手を不自然にあげてから、ドアをノックする。
――コン、コン、コン、コン。
すると小窓が空いた。小窓の向こう側は真っ暗で何も見えなかった。
「ごめんください――チャーリーさんのお宅はこちらでしょうか?」ジャックが小窓を見上げながら言うと、返事が返ってくる。
「何の用だ?」威圧するような男の声がした。どうやら機嫌が悪そうだ。
「その……パディシャという猫をお届けに参りました次第で――」
小窓が――パチンッと音を立てて閉まると、鍵が開く音が聞こえ、ドアが開いた。