K特別編 セカンド 3
K特別編:理由
7交錯する人生の記憶
赤いワインの注がれたグラスがテーブルに置かれる手前、持つ者の躊躇で止まる。 ジュリアは一人私室でテーブルを前にし、溜息と共に白いテーブルクロスの上にグラスを置いた。
(なんで、あの男はジョージ殿の事を・・)
今は夜更け。 赤いカーテンが引かれた窓際。 青いシルクの寝具が奥に見える。 円型テーブルの脇に置かれたグラスランプに灯された明かりが、ジュリア周りを狭く照らしていた。
ジュリアは、この今まで全てが解せ無かった。 Kが態々夕方に来て言った意味すらも解らなかった。
今から20年近く前の事だ。 ジュリアがまだ幼く、騎士養成所に入った年の暮れ。
アダマンティアランの川に水を引く大きい水路で女性の水死体が上がった。 女性の名前は、エリザベート。 教皇庁の書簡士として勤める女性僧侶で、歳の離れたジュリアの兄・ハインリッヒに思いを寄せられて何度も求婚の受諾を迫られていた。
当時、ジュリアはまだ8歳だ。 兄のハインリッヒは、20歳。 相手のエリザベートは、23歳。
しかし、ジュリアもその事は知っていたが。 兄の求婚は情熱的では在ったが、強引とか偏執的とかでは無かった。 エリザベートは物静かな女性で口数も少なく。 何故か、微笑みながら兄の求婚をかわしていたと云う印象で。 兄も了承を貰うか、断る理由を聞くまでは只直向に求婚すると言っていた。
問題だったのはエリザベートの家柄と美貌。
当時の教皇庁に勤める女性の中でも彼女の美貌は際立ち。 兄以外に求婚していた男性は何人も居た。 そしてエリザベートの家は、どうやらスラム地区で爵位などとは程遠い。 自分の父親ですら、エリザベートの身分の低さを理由にハインリッヒに身を引けと言っていた。
エリザベートの遺体は、自殺とも他殺とも思われる姿だったと云う。 下着姿で舌を噛んでいたらしい。 だが身体には擦り傷などが見つかり、事件に巻き込まれて自殺を強要されたか。 そう見せ掛けられたのではないかと云う疑いの線が在った・・。
当然、兄のハインリッヒも父のスタウナーは疑われた。 いや、他にも疑われた人物は何人も居たらしい。 だが、丁度友人の式典に出席していた兄と、一人で何か調べ物が在ると残っていた父。 其処に居たと云う証明が無かった。
式典パーティーに出席したハインリッヒだが、どうやら同じパーティーに出席する予定だったエリザベートを探して、パーティー会場の席を外しがちだったらしい。 父親もまた何かの理由が有ってか人目を避けて居た上に、なんと教皇庁の自分の私室には居なかったと証言が出た。
結局法廷論議をする事態に成り、兄は無実を訴えたが聞き入れられずに連行された。 その羞恥に身を恥じ、獄中で潔白の遺書を残して自殺した。
父親のステンダーも、当時の教皇女王と執行部から事件の道義的・総括としての責任を追及されて失脚した。
ジュリアの苦難は此処から始まった。 周りからの白い目や、虐めが始まる。 ジュリアが今の地位に来るのに、なんと8年近い年月が掛かっていた。 “凍眼のジュリア”と云われるまでに冷静で冷めた目をし、命を張ってモンスターや悪党と戦う彼女は下級兵士からの這い上がりで此処まで来たのである。
普通の公爵家の血筋ならば、入隊した時にもう兵士副隊長から始まるのが。 ジュリアの場合は一般兵からだ。 他の高爵位の者に比べると、聖騎士に成るまでの期間としては1.5倍の時間を費やしている。 だが、一般兵から聖騎士に成れる者自体が数百人に一人居るかどうか。 しかも、ジュリアと同じ速さで昇進した者は過去に数例だ。 つまり、ジュリアの働きがどれだけ素晴らしいか。 もう、兵士・僧兵・兵士隊長・聖騎士でジュリアにケチを付ける者は極小数に限られるまでに成った。
「・・・」
ジッとワインを見つめるジュリア。 自分に剣術の手ほどきをしてくれたのが。 当時の騎士見習いで、少年・少女部の剣の師範代に来ていたジョージと云う兵士副隊長の大男だ。 2メートル近い体格の大らかな青年で。 剣の腕はもう聖騎士に近づいていたと云われる19歳。 ジュリアが始めて男性を意識した相手であり、死んだエリザベートの4つ下の弟でもあった。
(どうして・・どうしてジョージ殿は国を出奔したのだろう・・・。 あの包帯男は、そこまで知っているのだろうか・・・)
そう、エリザベートが遺体で見つかった直後、ジョージは公職を辞めて国を抜け出したらしい。 今に当時の事を思い返すジュリアは、聖騎士の地位に成ってから秘かにその当時の情報を集め出したのだが。 何分にも20年も前。 しかも、この事件には何かと裏が在るのか誰も口を開かない。
“あれは、あれで良かったのさ・・・”
“変えられない運命だってあるさ・・・”
“そっとしておけよ・・。 今更・・・”
聞く人達の目・・。 ジュリアは忘れられない。 誰もが何かに怯えて、事件の事を蒸し返す事に嫌悪を持っているようだった。
ジュリアとしては、どうしても全ての理由が知りたかった。 騎士として独り身を生きる自分には、もう跡を任せられるのは妹しか居ない。 この家の家督は、妹に然るべき誰かを貰わせて継がせ。 自分は独り身を通して騎士として、家名に塗られた汚名を拭う事に全てを掛けると誓った。
今、妹はその意味を胸にして、教皇庁の教皇王の身の回りの世話をする係りに入っている。
ジュリアの家は、位の最高である公爵。 しかも、今の所は筆頭公爵だ。 だから下級の爵位家の成り上がりを狙う者が、ジュリアやジュリアの妹に求婚を囁いてくる。 このブルーローズ家を食い、上位の爵位に成り上がろうと利用する為にだ。 だからジュリアは男に冷たい。 今まで、あの時から男に心を許す事は一度も無かった。
「何者・・・なにかしら・・・」
一番の疑問。 それは、あの包帯男自体だった・・。
冒険者として山賊退治に向かう時の夜に出会った時はそれ程何も感じなかったのに・・。 暗殺者崩れの男と戦う時も、デュラハーンと戦う時も、自分を女として手を引かせた。 そして、全てを圧倒するあの力・・・。 それなのに・・・何処か冷めていて・・・何処か優しくて・・・何処か寂しそうな・・。 ジュリア自身、これほどに男を意識したのはジョージから剣術の手解きを受けた時以来・・いや、あの時以上に気に掛かる。
酒に強くないジュリアなのに、何故か心が熱くて酒に酔えない。 また・・小さく溜息を吐いた。
ジュリアが、静かに酒に身を任せて居る頃。
商業区とスラム地区の狭間。 街灯の明かりが最も早く落ちる商業区の外れに。 石階段で建物の下を潜るトンネル街路がある。 長いトンネルの中左右の壁には、飲み屋が有ったりする。 少々騒いでも、周りに迷惑が掛かりにくいので朝まで営業しているのだ。
そのもう暗くなった一角にに、黒いローブをすっぽり被った長身の人物が、Kを尾行して逆に尾行されたボロ着男のサンチョスの案内でやって来た。 明かりの落ちた安い宿の真下に下りる様な石階段を降り。 トンネル街路に向かう。
住民すらも知らないような人気の少ないこんな場所に、飲み屋がチラホラとランプの明かりを店頭に灯して営業しているのだ。 しかも、この辺をうろつく人々は、誰もが一筋縄では行きそうにない闇を隠し持った雰囲気をしている。 冒険者でも気安く来れると云う雰囲気の場所ではない。
「ダンナ、此処ですぜ」
サンチョスは、昼間と同じ恰好で、黒いローブ姿の人物を案内した。 一枚の木のドアが、汚れた店の表に引っかかっているだけの様なオンボロ染みた店の佇まい。 地下通路の壁の中に、すっぽり店が填め込まれている様に思えた。 表だけにガラス窓が見えるが、隅が割れて木の樹脂粘着剤でくっ付けてあるが。 その部分に汚れが混じり黒ずんだ線に成って見える。
「サンチョス、もう酔っているか?」
顔の赤いサンチョスだが、もう酔いは醒め気味だ。 頭もハッキリしているし、覚束無い処は何処にも無い。
「あ? ダンナ、あっしは大丈夫ですが?」
黒いローブを被った人物・・・。 いや、ゴルドフは頷くと。
「入るぞ」
と、自らドアを開いた。
ギギギギ・・・と。 建て付けがもう幾分悪いのだろう。 鈍い軋みの音が響く。
「・・・」
太った40過ぎの鋭い目をした主人が、カウンターの向こうからサンチョスとゴルドフを見た。 こんな夜の怪しげな店だ。 “いらっしゃい”の一言も無い。
酒瓶の銘柄も書かれていない瓶が背後の棚を賑わす前で、店の主は見覚えのあるサンチョスに訝しげな目を向けて。
「何にするんだ?」
と、ブランデーグラスを磨き出しながら云う。
カウンター席10席と、その後ろのテーブル席5組しかない狭い店内で、一番奥のテーブル席に座る二人の男にサンチョスは手を挙げてから。
「ダンナ、何か呑みますか? 密造酒ばかりですが、味はいいですぜ」
ゴルドフは、少しローブに隠れた顔をカウンターに向け。
「一番いいブランデーを貰おうか。 こっちにもな」
と、サンチョスを指す。
太った主人は手馴れた手つきで、カウンターにグラス二つを置いてから。 後ろの棚に振り返って、瓶に最も厚みのある丸型の酒瓶を取り出すと。
「こんな店でも、高い酒なら1杯40はするぜ。 アルコール度が強いから気をつけろよ」
ゴルドフが、ローブの隙間から手を伸ばして100シフォン金貨を出して。
「度の強いのは呑み慣れてる。 釣りは要らない」
と、カウンターに金貨を置いて、グラスを二つサンチョスに取らせた。
酒を出した主人、金貨を手にとって見てから頷いた。
サンチョスは、グラスを手に取ると、そのまま奥に持って歩く。 ニカニカした顔になり、鋼色の金属製胸当てを纏う無精髭ボウボウの男と。 鋭い目つきをしてガリガリに痩せた黒コートに皮の上半身鎧を来た、髪の長い男が向かい合って酒を呑んでいるテーブル席に。
「テイラーさん、金の話持って来ましたぜ」
黒いコートを着た男が鋭い目つきで顔を斜めに上げて、サンチョスでは無くゴルドフを見た。
「御宅かい。 俺達を雇いたいってのは」
睨まれたゴルドフ。 そのテイラーと云う男の痩せた身体も然る事ながら。 40前後の顔が四角い角ばった感じで、痘痕の多い歪んだものだったのを見て指差し。
「“ビーンズバーニング”か・・」
ゴルドフの応えに、テイラーは、高熱と豆状発疹を伴う流行り病の痕が残る顔を触った。
「ああ、ガキの頃にな」
「そうか。 実は、厄介な事情から身を明かせないが。 お二人に金で頼み事をしたい」
すると、テイラーは、俄にフッと笑い。
「姿を明かせ無いのは、見られたくない身分だからだろう? 解り易過ぎるぜ」
ゴルドフも、鼻で笑う。
「フン。 それはこの恰好なら誰でも同じ事だ。 成功報酬は、1万。 やるか、やらないかだけ聞かせて貰おう」
テイラーは前に座る男を見た。 鼻が大きく、垢染みた肌の髪も髭もボウボウの強い目の中年男である。
その男、ゴルドフを見返りもせず小声で。
「人の始末か?」
ゴルドフは、その問いに黙って居る。
その男、自分の左手のウイスキーを軽く呷って。
「逃げる手段はどうする? 厄介なのは、後の事だ」
サンチョスは、“人の始末”=“人殺し”と聞いてグラスを持ったままにワナワナして奥の外れに逃げた。 カウンターの主人は心得ているのか、最初から離れてコップを磨いて黙って居る。
ゴルドフは、逃げたサンチョスを見てから。 テーブルに近づいてカウンターのイスを一つテーブルに寄せて座ると、小声で。
「この男が標的の居場所を知っている。 そして、逃げる道もな」
話を聞いたサンチョスは、自分の事と解って驚いてゴルドフを見た。
「ダンナ・・・オラぁ・・・」
しかし、ゴルドフは怯えるサンチョスを見向きもしないで二人に続ける。
「フ。 相手はスラムのど真ん中に住んでいるババアだ。 始末する音さえ静かなら、然程の物音も出すまいて。 発見にも朝に成るまでは掛かる。 いや、ドアを閉めておけば日中まで、下手すれば数日以上は誰も訪ねて来ないさ。 逃げる時間は、幾らでも有る。 1万の金が有れば、逃亡に他国に渡っても余裕は十分な筈だ。 それから、発見をなるべく遅らせる様に手筈もする」
テイラーが、急に声のトーンを落としてやや前のめりに。
「俺達は・・それこそ色々やってるから構わねぇ。 簡単にしてのけるれるなら請けてもいい。 で、何時殺ればいいんだ?」
こんな夜中の悪巧み。 誰も察する訳も無い。 事件が起こってから、事後処理の如く調べが行われて迷宮入りする。 暗黒街やこうゆう廃れた場所の飲み屋の主人は、イザコザに巻き込まれる気は毛頭も無いから通報もしない。 だから、こうゆう場所は一般の人も来たがらない訳だ。 思わぬ悪事に巻き込まれるからである。
8引き金を引いたジュリア
「あ~熱っついね~」
大きな緑の葉っぱがニョキニョキ生えている畑の中から顔を上げたステュアート。 汗だくで、顔が赤い。
「ムッチャ広いよおお~。 あはあ・・・」
セシルも、今日は短いズボンを穿いて畑に来ていた。
見渡す限り、周りは緑と土色の畑一面の世界。
オーファーは、“ハア・ハア”云いながら、禿げ頭に汗を光らせて根っこの芋を掘っている。
アンジェラは、朝に実家にて旅立つ前の私服のズボンや上着を着て見たのだが。 どうも胸だけ窮屈だった。 シャツのボタンが弾け飛びそうで。 見ている男達の熱気まで上げる。
鎧を脱いでいるエルレーンは、メンバーの中で一番作業の早いアンジェラを見て。
「腰イタ~・・。 アンジェラ、流石だわ~」
アンジェラは、慣れた手つきでせっせと芋を掘り出しながら。
「この芋が、冬の家族全員の主食です。 蒸かすと美味しいですよ。 バターやチーズに良く合いますから」
その話にオーファーはパッと顔を上げて、アンジェラの巨乳をマジマジと見て。
(だから成長してるのか・・・乳製品を・・)
と、思った途中で、硬い物が頭を直撃した。
「うごおおっ!!!」
激痛に頭を抑えるままに屈むと。 黒い土塗れの芋が落ちていた。
「い・・イモ・・があ・・・」
唸るオーファーに、セシルが鬼の形相で睨みつけ。
「このスケベムッツリがっ!!! 何処見てるのさっ!!!!」
顔を上げた涙目のオーファーは、静かに横を向いてボソっと。
「アル所を見ているだけ・・アダっ!!!!」
言い終える前に、セシルのイモランチャー2号が飛んできた。
「おんどれがっ!!! 魔法遣いじゃなくイモ遣いにしちゃるわあああっ!!!!」
流石のオーファーも、2発目は違法だと訴えてムッとした顔で芋を投げ返す。
エルレーンとアンジェラが、半笑い半汗で見る中、“雪合戦”為らぬ“芋合戦”が・・。
ステュアートは、黙々と作業に没頭していると、芋が目の前を飛んで行くのを見て顔を上げた。 なんと、食料の芋を遊びにしている二人が・・。 コレも仕事で請けてきた作業なだけに真面目に怒り出す。
「止めてよおおっ!!!! お金貰ってる仕事なんだからねっ!!!! 後で、ケイさんに言い付けるよっ!!! もうっ!!!」
“K”の名前に二人、ピタリと振り被った所で止まった。
昼前の晴れ空の下で、エルレーンは作業に戻りながら微笑み。
「オーファーが怒られるのも見ものかもね・・フフフフ・・・」
アンジェラは、最近なんでか面白いオーファーを見てクスクス笑うのだった。
Kは居ない。 ステュアート達は、Kがどうしているかなんて気にもしていなかっただろう。 知人を見舞って、・・・。
だが。 Kよりも今、一番忙しく動いているのはジュリアだ。 眠れぬままに朝を迎えて、教皇庁に赴いて任をこなす。 顔には、Kの言った事等微塵にも出さずに。 この日も、“凍眼のジュリア”は健在だった。
巨大な城が、幾つもの細い塔を重ねて集まった様な様相を見せる中央大聖堂の東側。 “聖騎士の角”と呼ばれる青い塔の5階廊下で、ジュリアは思いにも寄らない人物と逢った。 赤い絨毯が石廊下の真ん中に引かれた廊下上で、自分の私室に向かう途中でだ。
「おお、ジュリア殿」
俯いて考え事をしながら歩くジュリアに、聞き覚えの有る声が前から。 顔を上げれば、身体ヒョロ細く黄色い礼服の様な神官服を着る中年・・いや初老の男性が此方を見て手を挙げていた。
(マルフェイス総括殿か・・・)
ギョロっとした目に、皺の多いガリガリのチビ男だ。 嘗て、20年前にジュリアの父親を告発した男爵で、今や乗っ取りの如く教皇庁総括に10年前に就任した。 幾度と彼の息子とジュリアの結婚話を持ち込んできた策士でもある。
マルフェイス総括長官は、お供の屈強な僧兵二人を従えながら、偉ぶった足取りで背中に手を回し向かってきた。
「いやいや~、そなたに話が有っての~。 お邪魔したら居なかったが、丁度良い」
ジュリアは、その冷めた目で、自分の腹当りにしか頭の届かない小男を見下ろして。
「何用ですか? 総括直々に御出でとは?」
すると、マルフェイスはニヤニヤしながら。
「いやいや、数年後に来る爵位整理で、ジュリア殿の家柄の下爵が決定した。 伯爵に堕ちるのだよ。 20年前の一族の失態からするなら剥奪モノだがな。 現・教皇王エロールロバンナ様他、多数の恩赦要求と、お主の働きで下爵で済んだ訳だ。 ありがたろうな~」
下方からの目線で、大きく目を開いたマルフェイスは、ニヤニヤと厭味ったらしい言い方でジュリアを挑発さえしている様な素振りに見える。
だが、ジュリアは怒る気にも成らなかった。 こんな話を廊下上でベラベラ話す人物の人格など高が知れている。 この言い草、自分を怒らせて何かやらかしたいか。 また、結婚話でも持ち出す気なのだろうと思う。
「そうですか。 それはそれは・・・、寛大なご容赦を承った様ですね。 明日にでも教皇王様にお会いする時にお礼を言わなければなりませんね。 それから、態々此処までご足労願った総括長官にも」
と、深深と頭を下げる。
見ているマルフェイスは、ジュリアの態度が余りにも落ち着いているのにニヤケた顔を平静に戻す。
「ほう、流石は公爵家の御令嬢。 下級の爵位の者にでも正しい礼儀を知って為さる」
面を上げたジュリアは、社交辞令的な微笑みもせずに。
「我々は教皇王様を始めに、国民に使える組織。 上官に対する礼節は何よりも重んじなければ成りません」
と、云って壁際に退いて道を譲る仕草を示し。
「お伝えすべき事がそれだけならば、お先に。 私も、私室にて仕事を残します故に、これにて」
マルフェイスは、その涼やかなジュリアの顔が今は憎しみの対象だ。
「ほう・・御仕事が。 これは忙しき聖騎士様のお邪魔をした様だ。 だがな、ジュリア殿・・・これだけはハッキリ言いますぞ。 そなたが、我等上爵に上がる何者かと婚約しない限り。 もはやブルーローズの家は没落する。 ・・いや、私がさせるっ。 そなたか、妹君。 どちらか力付くでも貰いますぞ」
睨む目で云うマルフェイス。 とんでもない事を云い終えて、お供の二人を率いて廊下を去る。
(今に思えば・・・何でこの男・・・)
ジュリアには不思議だった。 このマルフェイスは、他の侯爵家や伯爵家の娘では無く。 あくまでも自分の家に婚約筋を求めている。 15年前からしつこい位にだ。 マルフェイスが、総括長官である以上、もう侯爵の位は固い。 地位が地位、大臣と同じ位置に居る以上は伯爵家辺りと結婚して爵位統合をすれば公爵も狙える。
なのに、何故か自分の家に固執する理由・・・。 全く解らなかった
ジュリアは、マルフェイスを見送ってから廊下を行き自室に入る。 定時に運ばれてきた昼の食事もしないでジュリアは、物思いに耽る。
(ケイと云うあの男・・・、一体何を知っているのだろう・・。 “助ける”と云った人物は、一体誰なのだろうか・・。 ・・・・解せぬ・・・今にして何もかも解せぬ・・。 ああ・・兄上、父上、何故に死なれた。 父上、何も話されず・・どうして・・・)
ジュリアの父親は、確かに何かを知っていた様だ。 何を聞いても、失意のままに語らぬ男に変わった。 特に、時々酒を浴びる様に呑んでは、死んだ息子に謝るのだ。 何が有ったのか・・・。 ジュリアは10年以上前。 自分が騎士学校を卒業する半年前に病死した父を思う。
午後。
ジュリアは、部屋を出て下級兵士の剣の稽古に向かうべく、地下の練習場に向かおうと廊下を行く。 自分もそうして鍛えられた。 部下思いのジュリアは、毎日の訓練稽古は欠かさない。
古い建造物のこの大聖堂“ヴェルハラントモリナリス”には、各塔の中に魔法で動く移動床“魔法陣床”が在る。 その入り口は、各階の共同トイレの前に有った。
「・・・」
ジュリアは、廊下の行き止まりを左に曲がって前に伸びる廊下に顔を向けると。 魔法陣床の入り口付近に立っている、貴族風の豪勢な刺繍入りの上着を着た背の高い男を瞳に映した。 トイレ前の、少し開けた踊り場の様な広い間。 その男は、隅の壁に背凭れして暇を潰すしているかの様だったが。
向こうも、ジュリアに気付く。 ジュリアが近づくのに合わせて、壁に凭れるのを止めて向かってきた。
「ジュリア~、久しぶりだな~。 逢いたかったよ・・」
金髪の優男で、確かに顔は整っていて女性受けしそうだ。 目が少し鋭く、鼻が高く、色白。 名前は、“マリック”。 マルフェイスの息子だ。 ジュリアは、無視して床の在る場所に向かう。
髪の毛の後ろを長くしているマリックは、ジュリアの髪の匂いを嗅ぐかの如く近寄ってきた。
「寄るな。 また、何時ぞやの様に斬られたいか?」
ジュリアはこのマリックに一度襲われて斬り付けている。 まだ19歳のジュリアだったが、別の兵士が現場を見ていなかったら・・・マリックとの間に入って居なかったら斬り殺していたかもしれない。 そうゆう襲われ方をしたのだ。 妹に言い寄っていたのを見掛けた時も、剣を向けた。
「怖い顔するなよ、俺の未来の妻よ」
15年前から、ず~っとこんな調子の男なのだ。 顔は優しげに見えるが、腹の中は真っ黒い。 しかも、遊びで何人もの女性と付き合っている。
その時ジュリアは咄嗟だった。 本当に、咄嗟だった。 マルフェイスにあんな事を言われた後なだけに、ギリリとマリックを見上げて思わず。
「お生憎だったな、マリック殿。 妾にも、漸く好きな男が出来た」
「なっ!!」
驚くマリックは、ポカ~ンと口を空ける。
ジュリアの思う心にはKの姿が浮んでいた。 魔法陣床の間の入り口の扉に、ジュリアは顔を向けて。
「当然、そなたでは無い。 そして、この世で一番強い男かも知れぬ。 何れ折を見て、此方から正式に告白して結婚を申し込みたいと・」
そこで、いきなりマリックが形相を変えてジュリアに襲い掛かった。 今まで、恋愛など微塵も無いと見せていたジュリアだから、不意の衝撃告白だったのかもしれない。
「うわああああっーーーー!!! ふざけるなああああーーーーっ!!!」
いきなり掴みかかられて、ジュリアは苦しくて顔を強張らせる。
「何を・・するっ!!!! この下郎っ!!!!」
マリックに首を絞められる形で、鎧の隙間の首筋を掴まれてもがいたジュリアを、遠くで別の聖騎士が見つけた。
「おいっ!!! 何をしているんだっ!!!!」
「はぁっ」
マリックは、突然に聴こえた男の声に気を取られた。
「はっ・・離せっ!!!」
「うおあッ!!」
マリックの気が反れたのを隙と見て、ジュリアが思いっきり身を捩ってマリックを左に振り。 開放を得て怒り任せに剣を引き抜いた。
「あ・・」
マリックの目に前に、ジュリアの長剣の切っ先が向かっていた。
「ジュリア殿っ!!!」
駆けつけた年配の聖騎士が驚く時、ジュリアはマリックに憎しみめいた目を向けて。
「はあ・・はっ・・マリックっ、お主の父親は私の家の下爵を決めた。 もう、妾に構う必要は無かろうっ。 に・二度とその顔を見せるなっ!!!!」
マリックは、剣で戦えばジュリアに勝てる力量は全く無い。 剣を突き付けられた今ですら、もう恐怖で膝が笑っている。
「ああ・・わ・・わかった・・・ジュリア・・・」
その返答にジュリアは手荒く剣を仕舞い、駈け付けてくれた聖騎士に向かい。
「済まない、少し興奮しただけだ」
と、魔法陣へ向かうドアに凭れる様に触れる。 石の薄い扉が左右に分かれて、魔法陣の画かれた丸い石が見える間が見えた。
ジュリアは、中に入って聖騎士の年配者に。
「其方は?」
年配の聖騎士は、立ち竦むマリックを見てからジュリアを見た。 見張ってくれるらしい。
「解った、失礼する」
一礼したジュリアは、右足を魔法陣床の出っ張った一部に足を掛ける。 マリックを睨むジュリアを乗せた魔法陣床は、下に降りていった・・。
9姉妹の憂鬱と深夜の凶行・・・。
夜、ジュリアの屋敷であるブルーローズ家。 繁栄していた頃に家族が多いときは、50人は列席して晩餐などを楽しんだ食堂で、使用人数人の支給でジュリアとまだ若い20歳どうかと思われる女性が晩餐を迎えていた。
青いステンドグラスに女神フィリアーナの姿が宿り、高みから食堂を見下ろす。 白い特注のテーブルクロスが、“U”の字型のテーブルを二つ組み合わせた楕円形のテーブルを白く彩り。 ステンドグラス付近で二人だけが晩餐を食している中でも、テーブルには等間隔で瓶刺しの花が飾られていた。
薄黄色のクリームカラーのドレスを着るジュリアは、当主の席で真ん中を坐し。 その一つ下の席に白いドレス姿の若い可愛らしい女性が美味しそうにスープを啜る。 やや灰色の髪は艶やかで、三つ編に束ねて胸元から下に左右で垂れる。 黒い瞳は愛くるしく、少しニキビの痕が赤く顎に残るが、肌色の肌は若さ余って肌理細やかだ。
ジュリアは、スプーン休めにその若い女性を見て微笑み。
「レイチェル、教皇様の身の回りのお勤めは如何だ?」
ジュリアの妹で、異母姉妹のレイチェルは顔を上げて。
「あっ・・んん・・だ・大丈夫ですわ。 ちゃんと、教皇王様に御仕えしています」
いきなり問われて、レイチェルは驚きの顔でスープを詰まりそうに成りながらも受け答えをする。
「そうか。 この前に教皇王様にお会いした時に、レイチェルの物覚えの良さを褒めておられた。 頑張って居るのだと安心している」
レイチェルは微笑み、姉の顔を見返して黙った。
レイチェルは、ジュリアやジュリアの兄とは血が半分だけしか繋がっていない。 レイチェルは、今で19歳。 20年前に生まれていなかった。 失脚直後のジュリアの父親は酒に溺れ、毎晩何か苦しみを忘れる為にか女性に狂った。 メイドの若い娘に手を付けて、毎晩欲望の捌け口にしていたのだ。
ジュリアの母親と云うのは、流行り病でジュリアが5歳の頃に亡くなっている。 父親も、独り身が寂しく、非常な人生の仕打ちに耐えるのに必死だったのだろう。
そして、ジュリアが9歳に成る手前で、遂にメイドが子供を宿してしまった訳だ。 当然の事ながら使用人達は困り果てた。
何せジュリアの父親ステンダーは、その頃からジュリアが当主と決め付けて。 なんとメイドの身体に宿った子供を堕胎させようとしたのだ。 しかしジュリアが剣を手に父親に刃向かって、自分の兄妹を殺すなと父親を叱り付けて、レイチェルの誕生に至る。
レイチェルの母親であるメイドの女性は、自分を邪険にしないばかりか、自分とレイチェルを家族と受け入れたジュリアに深く心酔して、3年前に病気で他界するまで使用人で有り続けた。
レイチェルは、母親を通じてその全てを知っている。 だから、彼女もまた。 当主のジュリアに心酔して、ジュリアの言う通りに生きてきた。 いや、ジュリアが自分を妹として、しっかり支えてくれたのに心底から姉妹の愛情を持っている。 もし・・ジュリアの身に危険が襲い、自分の犠牲でどうにか成るなるなら。 レイチェルは、自分の命を惜しまないだろう。
さて、レイチェルは、顔色を曇らせて食べるのを止めて俯く。 使用人の手前で戸惑ったが・・・、姉に伝えるべきと顔を上げた。
「御姉様、今日・・・、マルフェイス様がお見えに成られました」
パンを千切ったジュリアの手が、ピタリと止まった。 だが、慌てた様子も無いジュリアは。
「何か言っていたであろう」
レイチェルは、グッと俯いて、声を微かに震わせながら。
「はい・・。 我が家の下爵の事を・・・。 私が犠牲になるこ・・」
言いかけるレイチェルに、ジュリアが向いて。
「レイチェル」
「あ・・・はい・・・」
レイチェルは、自分が犠牲に成りたかった。 だが、マルフェイスは、レイチェルでもジュリアでもない。 ブルーローズの名前を欲している。 レイチェルが、マリックに嫁ぐのではそれを満たせない。 だから、レイチェルは悔しい。
レイチェルを見るジュリアは、何かを必死に堪えている俯いた妹に。
「気にするなレイチェル。 寧ろ、いい朗報だ」
「え?」
驚いて顔を上げたレイチェルは、微笑む姉を見るのだった。
ジュリアの顔に、曇りは無い。
「良いか。 下爵とならば、行く行くは上爵も可能だ。 我等姉妹の働きで、どうにでも行く末が変われるかも知れぬ。 御取り潰しでは無いのだ。 もうマリックに言い寄られても堪える必要は無い。 我々が、無理に誰かの婚約を受けて、権力維持の為に何処かに輿入れする必要も無いのだ」
レイチェルの目に映る姉は、何時もより穏やかに見える。
ジュリアは、パンをスープに浸しながら。
「下爵とは恐れ入った。 マルフェイスめ、私達が下爵を免れるために慌てるのだと決め付けておる。 だが、それならば甘んじて受けてやろうではないか・・、レイチェル」
前を見て笑うジュリアを見るレイチェルは、涙目を笑みに変えて。
「はい。 明後日から、またお勤めを頑張ります」
「うむ。 お互いにな」
ジュリアは、パンを口に運んだ。
レイチェルの仕事である教皇王の傍仕えは、5日交代で休みが回ってくる泊り込みの仕事だ。 若く、少しドタバタするレイチェルだが。 人の好みを把握したり、人に優しく穏やかにさせる雰囲気は人並み外れている。 だから生まれにも関わらず、教皇王を先頭に周りの女性の世話係や大臣達にも嫌われるのが少ない。 教皇王エロールロバンナのお気に入りに早くも成りつつあり。 教皇王が直々に嫁ぎ先を探そうかと言い出した事もあったらしい。
没落し掛けたブルーローズ家は、この麗しき聖騎士の姉と、誰にでも差別をしない優しい妹の細腕でなんとか支えられて持ち堪えていたのである。
ジュリアは、自分達が食事を終えると、後は二人で大丈夫と使用人達を休ませる。 歴代の当主でも、ジュリアほどに使用人を愛するのも珍しかった。 だが、苦難を共にしてきた使用人達、メイド達であり。 また、当主として必死にブルーローズの家を守るジュリアには、家臣一同何処までも着いて行くと皆が決めていた。 この絆は、非常に強い。
ジュリアは、私室に戻る前に、剣を腰にしている黒の礼服に身を包んだ家臣二人の男に。
“もし、夜中でも包帯男が来たら私を起こせ”
と、命じておいた。
そして、夜も更けた真夜中だ。
スラム地区、ジョージの母親の家で。
実はK。 ジョージの母親を見張るサンチョスの目を盗んで、秘かに夕方にはジョージの母親に家の中で面会した。 悪党が襲う可能性を示唆して、隠れさせて貰う約束をした。
老母は、ジョージとエリザベートの仇が討てるなら、死んでも構わないとKに云う。
Kは、その捨て身を一蹴した。 今死んでも、只の犬死に近かったからだ。 それより、更に仇を討つやり方が在ると密談した。
Kの読み通り、この日の深夜に近づく頃。 外に殺気を持った何者かが集まりだす。
それは月下の中の闇の中で起こった。
家の明かりを老母が落とし。 少しして、僅かな音を放ってKが最初に入った正面入り口と、裏の入り口の鍵が壊された。 夜目に慣れた曲者共が、5・6人この小さい小屋の様な家に押し込んできたのである。
「ババアは何処だっ?」
居間から隣の寝室に踏み込んだ黒尽くめの男が声を上げる。 これは、あの飲み屋で“テイラー”と呼ばれた男だ。
「居ないのか?」
後からテイラーの声を聞いて、小声で寝室に踏み込んで来た男は、飲み屋に居た片割れの男。
その時、居間の方で。 手下で雇われたゴロツキが突然に、“う゛っ”・“うがあっ”などと声を上げてバタバタと倒れたのに、テイラーともう一人の男、ダイソンは驚いた。
「いけねえッ!!! 手が回ってらぁっ!!!」
驚くテイラー。
「誰がっ?!!! 裏切りかっ?!!」
と、慌てた声のダイソン。
闇の中、倒れたゴロツキの所に立つK。
「どうやら、コイツ等はお前達に雇われただけか。 身なりが違うな・・・冒険者じゃない」
気配が全く無い闇の中、カーテンに注ぐ月明かりの明かりが、微かにKの足元の靴に触っている。
テイラーは、ダイソンと居間に出て。
「なっ・・何者だっ」
このテイラーの言葉に、Kは、ゴルドフの至らなさを垣間見た。 自分を尾行して逆に尾行され返したサンチョスとその飼い主ゴルドフが、この二人に自分の存在を語っていない現実に、かなりの手際の悪さ。 用心の計らいが足りぬと呆れる。
「おいおい、聞いてないのかよ・・。 あの時撒いたと思って安心してたのか・・」
ダイソンは、剣の柄に手を掛けて殺気を孕んだ声で。
「何の話だっ?!!」
Kは、左手親指で外を指差し。
「アイツに聞けば解ったろうに。 アンタ等も、雇い主がバカで可哀想だな。 だが、やってる事はえげつないぜ」
テイラーは、サッと丸い円形の刀、サークルショテールを腰から引き抜き。
「ダイソンっ、殺して逃げようッ!!! 仕方ねぇっ、見張りのアイツにも死んで貰って逃げるしかないっ」
「クッ」
闇の中で、ダイソンも剣を引き抜いた。 剣先が細く刀身がやや太い剣、エストックサーベルである。
Kは、慌てる様子も無く外を向いて。
「残念だ。 外のアホウはもう俺がフン捕まえた。 お前達も、諦めろ」
「うるせええっ!!!」
夜の闇が、動いた・・・。
次話、数日後掲載予定
どうも、騎龍です^^
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