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祖父と鳳凰

 燕緑山の麓の村人に仙人の話を聞くと、彼らは山の中腹を指差した。

 そこには山肌にへばりつくように建つ、木造の家があった。

 燕緑山の近くには瑞獣の生息地として名を馳せている神仙山脈の一つがある。その方向から絶えず霧が風で運ばれており、立ち込めるその白い霧で、ぼんやりと山全体が霞んで見え、神秘的な雰囲気があった。


 護衛の二人と中腹を目覚して、山を登る。

 中腹まで細い登山道が続き、途中で二俣に道が別れていた。

 狭い砂利道が始まる左手側の道の入り口には、私の倍ほどの背丈の杭が地面に打ち込まれており、天辺には大きな鈴がぶら下がっている。手元には鈴に繋がる綱の先が垂れ下がり、風に吹かれて揺れている。


「呼び鈴かしらね?」


 綱の先を握り、数回下に引く。カラン、コロン、と重たげな金属音が杭の上で鳴る。

 しばらく待っても誰も出てこない。

 しびれを切らし、先に進む。

 砂利道の先には、東西に細長い形の建物が一軒建っていた。おそらくこれが、麓から見上げた建物だろう。

 近づくと鶏たちが鳴きながらとことこと飛び出てきた。ちょこちょこと首を振りながら歩き、足元にまとわりつく。

 一斉に二十羽近くがやってきたので、足の踏み場に困り、足を上げた拍子に鶏を軽く蹴飛ばしてしまった。


「あっ、ごめん……!」


 それでも鶏たちは纏わり付く。

 不意に集っていた鶏たちが揃って顔を上げ、水が引くように私から離れていった。

 そのまま私たちが来た道の方向へ駆け出していく。

 どこに行くのか、とその先に視線を辿らせると、道の先から一人の腰の曲がった老人がこちらへ歩いてきていた。

 霧が立ち込める山道を、杖をつきながらゆっくりと歩いて来る、白髭の老人。服は清潔そうな簡素な薄緑色の袍で、髪は頭上で纏められており、表面を滑らかに磨いた枝を挿している。

 それはいかにも仙人然とした風貌と登場の仕方だった。

 老人は私たちを見つけると穏やかに微笑み、口を開いた。


「これはこれは。お客人とは、珍しい」


 老人は私の正面までくると、立ち止まった。

 足元では鶏たちがより一層激しく鳴いて、纏わり付いている。

 私はこの期に及んで、彼に何と話しかけるべきなのか、全く考えていなかったことに気がついた。

 長い山道を登る間、私は一体何をしていたのか。


「あ、あの。こんにちは。私、旧王都から来ました。珠蘭……詩月と申します」

「ほーぅ。随分遠い所から来てくださったの」


 私は苗字を名乗らなかった。

 だからなのか、老人は取り立てて何の感情も表さない。特に表情に変化はなかった。

 ただ、刻まれたしわに埋もれた目の色は薄い茶色で、そこに私は微かに自分との繋がりを見いだした。


「かつて華王国の驃騎将軍をつとめられた、陽 忠国様がこちらにお住まいだと聞きまして」


 老人は私から視線を外し、しばし宙を見つめた。


「そんな名で、暮らしていたこともあった」


 私は隣に立つ護衛たちと、すばやく視線を交わした。

 陽 忠国とは、私の祖父の名だ。


(この人が、私のおじいさま……)


 感慨深く見上げていると、祖父は鶏達を引き連れて家の方に歩き出した。


「茶を淹れるとしよう。そこに掛けてくれ」


 家の隣には、石造りの円卓と、円柱形の腰掛けがあった。

 私がそこに座ると、祖父はまず鶏たちに何やら穀物のようなものをばら撒き、給餌をした。

 鶏たちが興奮したように騒ぎながら、地面に落ちた粒を嘴でつつく。

 一旦家の中に入った祖父は、木の盆に四つの湯呑みを乗せて、庭先に戻ってきた。

 湯呑みを円卓に置く。

 私の護衛たちは腰掛けには座らず、少し距離を置いて立っていた。

 祖父は私の向かいの席に座ると、手にしていた杖を円卓に立てかけた。


「旧王都の様子を教えてくれんかの?」


 私は王宮が黒龍国の手によって陥落した時のことと、その後見た王宮の様子を詳らかに話した。

 深い皺が刻まれた祖父の表情はあまり動かなかったが、その薄い茶色の瞳には悲しみが籠っているように思えた。

 話が終わると、私は逆に王族たちがどうなったか聞いていないかを尋ねた。


「私は戦乱の後、しばらく春帝国に行っていましたので、分からないんです」


 春帝国に逃げた私が知らない情報を、祖父は知っているかもしれない。

 祖父は淡々と話し出した。


「照王女は黒龍国軍に捕まり、連れ去られた」


 厳しい現実に、胸がぎゅっと痛む。王女の照は、私の腹違いの姉だ。私と同じく、王都の王宮に置き去りにされた王女だった。


「いまは黒龍国で将軍の妻になっているらしい」


 戦利品のように扱われたのだろう。もしあの時、私も捕まっていたら。

 彼女のいまは、私の未来かもしれなかった。

 祖父は続けた。


「美朱王女は王都で侍女と潜んでいたところ、子豪の手勢に一度は捕らえられたが、今は郊外の屋敷で暮らしている。子豪は華王国の王族に屋敷を与えて、一応の生活を保障してくれている」


 その話を聞き、少し胸をなで下ろす。


「燕緑仙人は、ここで何をされてお過ごしなのですか?」


 祖父は茶を飲んでから、口を開いた。


「昔は、派手な暮らしをしておった。今は自然と共に寝起きする生活をしている。以前は気づかなかった部分に、小さな幸せを感じながら、鶏どもの世話をしておる」

「――華王国がなくなってしまって、寂しくはないですか?」

「永遠に続くものはないのだよ。それが自然の摂理というものだ。……ただ、争いはもう懲りたね」


 そう言うと祖父は庭先に視線を放った。

 私も釣られて静かな庭を見つめた、

 春が近いとはいえ、まだ風は冷たい。だが時折風になびいて揺れる木々の葉は、既に青々と活力に溢れている。

 庭先に小さな茶色の蛙が現れた。

 雑草の隙間から砂利道の上にはね、ぴょんぴょんと数回高く飛び、また雑草の中に消えていく。

 深呼吸をすると、喉が震える。


「築きあげたものを失ったのに、なぜそんなにお強いのですか……?」


 そう尋ねると、祖父は一度私に柔らかな眼差しを送り、再び庭先を見た。


「失ったものだけに囚われてはいけないよ、詩月」

「けれど……持てるものを全て失った時は、どうしたらいいのですか?」

「君はここまで、自分の足で歩いてきたはずだ」


 祖父は砂利道を見つめ、その先にある杭と鈴を見た。


「人生は終わりの見えない登山のようなものだ。登っては下り、また登っては下る」

「登山……」

「平坦な道は一見魅力的だが、得るものは少ない。君は高い山を何度も登ったはずだ。たとえそれが上手くいかず、失敗に終わったとしても、君自身はその過程で多くのものを学んだはずだ。手の中に残ったものは少なく見えるかもしれない。だが、努力も絶望も含めて、目に映った景色は全て君の糧になる」


 私は祖父の話を聞きながら、じっと円卓の天板に視線を落としていた。石の天板はよく磨かれ、見下ろす私の顔が映っている。

 その目は、とても虚ろに見えた。

 ――私はこんな顔をしていただろうか?


「私、自分の人生に負けそうなんです」

「詩月。本当の負けとは、全てを放棄することだよ」


 顔を上げて祖父を見た。

 その真意が知りたい。


「一番平坦な山は、最後に登りなさい。目にうつる最も楽そうな道を選び続けると、視野が狭まるものだ。進むべき道は本来、数知れずあるのに」

「私は、色々と既に間違えた気がするんです……」

「そんなことはない。少なくとも、君は今日ここへ来てくれた。このおいぼれを訪ねて」


 祖父は円卓の上で手を組み、私をじっと見た。


「そのお陰で、わしはこうして可愛い孫に会えた」


  はっと息を飲む。

 祖父は私が自分の孫だと気付いていたのだ。私が驚いたのが面白かったのか、彼は笑った。


「何を驚いておる。護衛付きで若い女子がわざわざ私を訪ねてくるとしたら、あの詩月しかいない」


 祖父は立ち上がり、円卓を回り私の隣にやってきた。

 私たちはどちらからともなく、そっと互いを抱擁した。

 祖父は細かったが、あたたかかった。


「よく無事でいてくれた」

「春帝国に行ったのよ。皆で助けてくれたの」

「良い人に恵まれたんじゃろう。感謝せねばな」


 祖父は腕を伸ばし、私の頭を撫でた。

 人にそんなことをされるのは、いつ以来だろう。


「――詩月、行く所に困ったなら、ここにまた来るといい。まだ、その時ではないはずだよ」


 私は祖父の腕の中で無言で何度も頷いた。





 帰りの砂利道を歩いていると、カラン、と涼しい音が聞こえた。

 顔を上げると、鈴付きの杭の上に、一羽の巨大な鳥が止まっていた。

 (にわとり)を一回り大きくしたような大きさで、地面まで達する非常に長い尾を持っていた。

 身体は夕焼け色で、尾は日光に輝いて七色に見える。

 似た鳥をかつて見たことがあった。

 華王国にあった、四霊廟の壁に描かれた、絵の中に。


「まさか――鳳凰……?」


 私と護衛たちが上を見上げていると、祖父も私の隣に立ち、首をのけぞらせた。


「いかにも。正確にはここは神仙山脈ではないが、間違えておりてきてしまったんだろう。このひと月ほど、居座っておる」


 鳳凰は不思議と私を見つめているような気がした。

 しばらく目が合った後、鳳凰はくるりと身体の向きを変えた。

 はずみで尾が靡き、七色の光が散る。


「まるで風見鶏ですね」


 護衛がそう呟いて小さく笑うと、祖父は言った。


「不思議な鳳凰だ」

「私、春帝国との国境にある神仙山脈でも、鳳凰を見たんです」

「なんと。実に幸運だな。普通は人前に滅多に姿を現さないものだ」


 私たちはしばらく無言で鳳凰を見つめた。

 やがて祖父が口を開いた。


「――瑞獣は高貴な魂の生まれ変わりだと聞いたことがある」

「生まれ変わり……」

「詩月の父母のどちらかが、娘の心配をして出てきているのかもしれぬ」


 父母が、鳳凰になって?

 なぜだろう。

 私はこの鳳凰が兄の生まれ変わりなのではないか、と思った。

 こんなのは馬鹿馬鹿しいかもしれない。

 二度と会えない寂しさを、伝説に勝手に当てはめて、悲しみを和らげようとしている。

 それでも私は呼びかけた。


「お兄さま?」


 鳳凰が突然翼を広げた。まるでそれに応えるようだった。

 そのまま杭を蹴り、一気に風に乗る。

 大きな赤い翼と、後に残される長い尾が、実に美しい。

 七色に輝く尾が、まるで鳳凰の飛んだ道筋を描くように後ろに靡いていく。


「まって、お兄様!」


 鳳凰はそのまま飛び去って行ってしまった。

 その姿はすぐに白い霧にのまれた。

 あとには何も残らず、あまりにあっという間の出来事だったので、白昼夢でも見たかと思って放心してしまう。

 すると祖父が言った。


「鳳凰が向かったのは、西の方角だな。いずれかの神仙山脈に、戻るのかもしれない」


 ここで護衛が口を挟む。


「西には春帝国があります! 或いは西の春帝国を指し示したのかもしれません」


 護衛はなんとしても私を春帝国に戻らせたいらしかった。

 私はそれに反論しなかった。

 私はあの日、王宮が攻められた日に森で倒れていた時のことを思い出した。

 あの時俊熙が私を見つけてくれなければ、私は死んでいたに違いない。

「鳳凰が、森の中に入っていった」

 彼はあの時そう言ったのだ。

 俊熙は希望を捨てたり、諦めたりはしなかった。

 私もたった一か月で諦めたりしてはいけないのだ。


(自分の足で平雲州に行って、俊熙を探しに行こう)


 俊熙が皇帝との改革を志半ばで、私を探しに悪路をやってきてくれたように。

 私は護衛たちを振り返った。


「帝都に戻りましょう」


 彼等は表情を輝かせた。







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