魏司令官の憂鬱②
「んあぁ? なーに寝言言ってる!」
体格のいい魏司令官が大きな声を出すと、相当な威圧感があった。
その上魏司令官は不機嫌そうに眉根を寄せた。
報告に来たばかりの部隊長は震え上がり、焦った様子で口を開く。
「本物です! 今度は本物の詩月王女の使者に違いありません!」
「その台詞、慎王子版で何十回も聞いたぞ」
雨後のタケノコの如く、何十人と現れる自称慎王子を何度追い返したか。
一番ひどい偽物は、女だった。怒りを通り越して、呆れてものが言えなかった。
魏司令官は黒龍国兵を追い払った後、残された華王国の王妃や王女達は乱暴に扱わず、住まいを与えて丁重に扱っている。
王宮やその近くで捕らえた王族に乱暴を働いた黒龍国と自分は違う、と自負している。
とりわけ多くの王女たちは黒龍国側に捕らえられた後、将校の慰み者にする為に連れ去られたのだという。
黒龍国との戦いの中で、魏司令官が助け出した王女も少なくない。
そうして王女たちはたくさん見つかったのに、なぜか詩月王女だけが、忽然と姿を消してしまっていた。
「ですが、詩月王女の使者と申す女は、こんなものを持参したのです!」
部隊長が手の平に握り締めていた指輪を差し出す。
分厚い黄金の指輪に、黒真珠が取り付けられている。
魏司令官は瞠目した。
(こんなにデカい黒真珠、見たことねーぞ)
いつぞやの慎王子の産着とやらに比べれば、ずっと説得力があるではないか。
半信半疑で魏司令官は指輪を受け取り、窓辺に向かって歩いた。
陽光に照らすと、黒真珠は淡く輝いた。
大きいだけでなく、深みのある黒色とその照りが美しい。
本物であれば、間違いなく一級品だ。
魏司令官は目を細め、慎重に指先で真珠を撫で、優しく爪を立てて擦った。
真珠の表面には肉眼では確認できない、微かなザラつきがあった。
(本物だ……。これは、模造真珠ではなく、本物の黒真珠だ)
その辺を歩いている庶民が持てるようなものではない。
徐々に呼吸があらくなっていくのを自覚しながら、魏司令官は目の前に控える部隊長に命じた。
「その使者を、ここに連れてこい!」
部隊長は秒速で一礼すると、走って広間へ引き返した。
その娘は部隊長と一緒に、魏司令官の前に姿を現した。
部隊長が胸に抱えているのは、布にくるまれた宝石の束だ。
二人が執務室に入ってくると、魏司令官は呼吸を忘れた。
目を見開き、食い入るように娘を凝視する。
――身なりは悪くないが、さほどよくもない。
だが色白の肌と艶のある黒髪はよく手入れされ、美しい。
娘はゆっくりと歩いてやって来たが、その足取りは全く臆することなく、寧ろこの砦のなかでも堂々としていた。やはり同じく魏司令官をじっと見つめている。
その瞳に魏司令官は見入った。
そこには彼に対する一切のおそれも、敬意も、もしくは侮蔑もない。
彼女はただ、対等な一人の人間と接するような態度で、その場に歩いてやって来ていた。
そんなことは、兵たちを集めて反乱を起こして以来、滅多になかった気がする。
(ただの使者などではないな……)
義司令官は目をすがめた。
(なんだ? この娘、どこかで見たような……)
その姿に見覚えがある気がした。
ごく薄い化粧しかしていない娘の茶色い瞳を見つめているうち、まるで布が水を吸い込むように、じわじわと蘇る記憶があった。
魏司令官は、唸った。
彼は知らず知らずのうち、娘に駆け寄り、片膝をついて座り込んでいた。
心臓が早鐘を打つ。
喘ぐような呼吸をしつつ、娘を見上げる。
「――詩月様。いらして下さったのですか!」
詩月は跪く魏司令官を見下ろしたまま、口を開いた。
「子豪。――何年振りかしら?」
背後に控える部隊長や兵士たちが、思わぬ展開に騒つく。
共に遊んだのは、随分前だ。
子どもの頃だ。
けれど、彼女だと分かった。
見覚えがあるだけではない。
詩月王女には鈴玉しか侍女がいなかったのだ。使者を名乗り、一介の侍女の為に財宝を持参して登場するなど、本人以外に有り得そうにない。
「子豪。貴女の目的は私でしょう?」
「ずっとお探ししておりました。ご無事で何よりでした…」
「慎お兄様がここにいらっしゃるというのは本当なの?」
「はい。だからこそ、妹君の詩月様をお探ししていたのです」
「私を誘き寄せるために、侍女の鈴玉をここにつれて来たのでしょう?」
「お、誘き寄せるなど……」
詩月はずっと得られなかった消息を求めて、魏司令官に尋ねた。
「華王国の右将軍の匡義の息子の義明がどうなったか、知っている?」
「右将軍の息子なら、黒龍国軍に捕えられたと聞いています。一月ほど投獄された後、今はもう釈放されているとか」
詩月はその情報を聞き、心から安堵した。
あの後、義明のことがずっと気になっていた。彼はさほど高位の武官というわけではなかったから、敵軍に捕まっても無事かもしれない、とかすかに期待していたのだ。
詩月は部隊長の抱える自分の宝石たちを見やりながら、魏司令官に言った。
「その宝石も全部あげるから、鈴玉を家に帰してやって頂戴」
魏司令官は自分の顎先を親指と人差し指でゆっくりとしごいた。
宝石と詩月を交互に見ている。
考えあぐねているようだ。
しばらくそうした後で、彼は大きく頷いた。
「――いいでしょう。……その前に侍女とお会いになられますか?」
少し考えた後で、詩月は首を左右に振った。
自分が来たと分かれば、鈴玉は残りたがるかもしれない。それでは意味がない。
無事を知らせることは、後でいくらでもできる。
砦に連れてこられた時と同じくらい、唐突に帰宅を命じられた鈴玉が、困惑しきりで馬車に乗せられる姿を、詩月は砦の小さな窓から見下ろしていた。
鈴玉は展開が飲み込めないのか、きょろきょろと何度も砦を振り返りながら、馬車に乗った。
子どもの頃から見慣れたその後ろ姿と、力強い足取りに、詩月はほっとした。
やがて鈴玉を乗せた馬車が砦を離れ、見えなくなった。
詩月は安堵の息を吐き、すぐそばに立ち同じく鈴玉の去る様子を見ていた子豪に尋ねる。
「子豪。貴方は私のお兄様を、どうするつもりなの?」
「はい。我々、新華王国は慎殿下を国王として、いずれ王都の王宮に入り、朝廷を立てる予定にございます」
「今まで兄を名乗る人物が、なん百人もここを訪れたと聞いたわ」
どうも世間では大袈裟な噂が回っているらしい。
魏司令官はやんわりと訂正した。
「流石に百人は超えていません。せいぜい数十人、と言ったところです」
「私の兄は、いつからそんなに増えたのかしら?」
「バレないとでも思ったのか、愚かな輩がたくさんおりまして……」
苦笑してから大きく咳払いをすると、魏司令官は一転して真面目な顔つきになり、詩月をひたと見つめた。
「ですが詩月様。実は先頃、ついに正真正銘の慎殿下と思われるお方をお迎えすることができたのです……!」
興奮気味の魏司令官とは対照的に、詩月は何も言わない。
ただ、ほんの少し眉根を寄せた。
「会っていただけますか?」
「――勿論よ」
これこそ、魏司令官の本当の目的だ。彼は満足げに数回大きく首を縦に振った。
「たくさんの偽物たちが取っ替え引っ替え現れ、我々も苦慮致しました。ですが、厳正なる調査の結果、既に二名に絞られております」
「私に兄は二人もいないわ」
「ええ、詩月様の兄君は、慎殿下お一人ですね。――ですので、詩月様からのお墨付きを頂戴できればこれ以上のことはありません」
そうして魏司令官は詩月の腕を引き、砦の奥に連れて行った。




