子豪の本拠地へ
※本日二話目の投稿です。
「珠蘭様、春帝国に帰りましょう」
通りを歩きだすと、私の横を歩く護衛がそう話しかけてくる。
帰る、とは妙な言い回しだ。本来私の故郷はここなのだから。
「……陛下に私を説得するよう、言われてきたの?」
そう尋ねると護衛はバツが悪そうに頭をかいた。
するともう一人の護衛が、辻に設置された立て看板を指差し、小声で言う。
「珠蘭様は懸賞金がかけられているのです」
剥き出しの木材で作られた看板には、似ても似つかない似顔絵が描かれ、「華王国王女、李 詩月の行方に関する有力情報に懸賞金」と記されている。
護衛が呟く。
「全然似ていないですね……」
懸賞金など、もはや今はどうでもいいように思える。
兄すら失った私は、希望が全て潰え、全てが暗闇の中のように思えて、ただこの通りを歩くだけで精一杯だ。
むしろなぜ、歩けているのか不思議なくらいだ。
ただ最後に一つ、私にはまだやりたい大事なことがあった。
鈴玉を探しに行くことだ。 これだけは、まだやらないと。
鈴玉の実家のある場所は知っていた。
華王国の有名な商家なのだ。
3階建ての木造のその家まで行くと、私は護衛に頼んで、家人に鈴玉について尋ねてきてもらうことにした。
護衛はなかなか戻らなかった。
しばらくしてもどってくると、彼は硬い表情をしていた。
「どうだった? 鈴玉はいた?」
「いいえ。お探しの娘は、先月までここにいたらしいのですが……」
「今は?」
「新政府の者がやってきて、娘を砂広州の砦まで連行していったそうです」
「なんですって……!」
鈴玉が、魏 子豪によって囚われている。
私のせいだ。
詩月王女の侍女をやっていたせいだ。
私が春帝国に逃亡し、挙句に呑気に女官なぞをやっていた時に。私は、何をしていたのだ……。
悲嘆に暮れている場合ではない。
「行かなくちゃ」
「珠蘭様、ご冗談は…」
「本気よ。まだ私にも役に立つことが、やるべきことがあったわ」
最後の力を振り絞り、私は足を鈴玉を捕らえているらしい、新政府の拠点に向けた。
私は新政府が本拠地としている、砂広州へ向かった。
馬車での移動の最中、長く子豪の支配下にある砂広州の民は、度重なる戦でさぞ疲弊しているに違いない、と考えていたが、実際は予想とは違った。
村々は落ち着いており、田畑も美しく手入れされている。
密かにその様子を見て、拍子抜けしてしまった。
春帝国の皇帝が発行してくれた過所を携え、私は春帝国の民の一人として、砂広州に入った。
砂広州は王都に比べれば小さな街だが、市場も賑やかだった。
歩く人々の顔は表情豊かで、搾取や疲労を感じさせる民は殆どいなかった。
砂広州は川が流れる崖の側にあり、崖に立つ大きな砦が新政府の根城だった。
下から見上げると、崖と一体化したように要塞は聳えている。窓は沢山あるがどれも小さい。
私は砦の入り口に立つ門番に言った。
「華王国王女、詩月様の侍女が此処にいると聞きました」
革の胸当てをした門番は、その瞬間眉根を寄せた。
「なんだ、お前は。何の用だ」
私は自分の髪に挿した簪を引き抜き、兵士に渡した。一般の旅行者と同じく、簡素な動きやすい、やや丈の短い袍を纏っていたが、簪だけは一級品だ。
白金に翡翠の花飾りがたくさん取り付けられている。翡翠も安価な混濁した濁りのあるものではなく、深みととろみのある濃い緑色のものだ。
兵士は簪と私を何度も見比べた。
「私は詩月王女の使者です。どうか子豪様にお目通りを」
兵士は中にいた同僚を呼び出し、何やら数人でガヤガヤと相談をし始めた。
なかなか決まらないらしい。
痺れを切らした私は、彼らに声をかけた。
「通してくれるつもりがないなら、もういいわ。怒られるのはあなたたちよ?」
さっさと踵を返し門から離れようとすると、護衛も一緒についてくる。
すると門番が慌てた声を上げた。
「ま、待て。分かった。だがその武装した二人はならぬ」
私は護衛たちと目を見合わせた。
彼らは表情を強張らせて首を左右に振った。
「ここまで来て、入らなければ意味がないわ」
「しかし、危険です!」
「最後の大仕事を果たしてくるから、待っていて頂戴」
強がってそう言うと、私はまだ言い募る護衛を残し、砦の中に入っていった。
砦の中は殺風景な外観とは異なり、温かみがあった。
石の床には絨毯が敷かれ、岩壁にも布の壁紙が垂らされている。兵士たちは揃いの服を着ているわけではなく、その代わりに同じ色の幞頭を被っていた。
砦の階段は岩を切り開いたもので、一段一段の大きさや高さが不揃いだった。その歩きにくい階段を、私は緊張であらくなる呼吸を落ち着けながらのぼった。
私は砦の中の広間のような大きな部屋に通された。
待ち受けていたのは子豪ではなかった。
流石にすぐには、司令官である子豪に会わせてはもらえないらしい。
私を迎えたのはどうやら子豪の部下の一人で、兵士に「部隊長」と呼ばれていた。
部隊長は中年の男で、歴戦の戦士らしく筋骨隆々としていた。
纏う袍の上からも、その腕や肩の筋肉の盛り上がりが分かる。
部隊長は私が広間に現れると、いかにも胡散臭そうな視線をこちらに投げた。
濃い眉を寄せる。
「華王国の詩月王女の使いというのは、本当か?」
「はい。詩月王女の侍女、鈴玉がこの砦に囚われていると聞き、参りました」
両手を胸の前で組み、頭を下げる。
「お前が詩月王女の使いだと、どう証明する? ――なにぶん、この砦には王族を名乗る偽物がやたら押しかけてきて、困っているのだ」
差し詰め、慎王子を名乗るものたちのことだろう。
私は背負っていた鞄を下に下ろし、中の布を床に広げた。
神仙山脈から回収した宝石たちが、ジャラジャラと音を立てて広がる。
かつて鈴玉が私に持たせてくれた、詩月王女の全財産だ。
その大きな布いっぱいに広がる、金銀に輝く眩い装飾品を前に、部隊長が目を見開く。
「詩月王女所有の財宝です。どうぞお納めください。――代わりに、鈴玉をお返し下さい」
部隊長は何も言わなかった。
いや、彼は喘ぎ過ぎて過呼吸になっていた。
子豪の部下は農民上がりも多いと聞く。
こんな宝石たちは、見たことがなかったのかもしれない。
どうにか呼吸を落ち着けると、彼は言った。
「わ、分かった。お前を魏司令官に会わせよう」
私は今一度、頭を深く下げた。




