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休暇の始まり

「御用納めだわ!!」


 日没の鼓が後宮にも鳴り響き、麗質が歓喜の声を上げる。

 刺繍をしていた糸を躊躇いもなく切ると、彼女は道具を裁縫箱に戻した。

 今日の暮鼓は、年末年始の長期休暇の始まりを告げていた。

 宮城の官吏や女官は、一斉に休暇に入るのだ。

 いつもは宮城に押し込められている女官たちも、この間、宮城を出ることを許され、自宅に戻れる。

 仕事を終わらせた女官たちが、それぞれ離席し、舞うような軽い足取りで職場の明天殿を出て行く。

 日没を過ぎて宮城の外に出るのは危ないため、明日の暁鼓と共に、皆宮城を出て行くのだ。

 いつもはすぐに消灯してしまう相部屋の女官たちも、今夜は浮かれているのか、遅くまで起きており、ガサゴソと何やら荷物の整理をしている。

 結局、灯りを消したのは私が一番先だった。



 翌朝、空は抜けるような快晴だった。

 吐く息は白く、空気は冬らしくピリリと冷たかったが、皆の興奮で後宮全体に熱気があった。

 荷物を全て持つと私も麗質にならい、同僚たちに挨拶をすませた。

 帰省する女官たちの荷物はたいした量で、皆大きな鞄に手土産を入れた布袋を下げている。

 私は土産を渡す相手もいなければ、私物すら少ない。

 数着の単衣や(かんざし)をまとめた程度だ。


 後宮の宮と宮の間は大荷物を抱えた女官たちがひしめき、しばしの別れを惜しんでいる。

 急に寂しくなる後宮に残される妃嬪たちは、私たちの様子をわざわざ宮の入り口にやって来て、見物していた。

 妃嬪たちは滅多に後宮の外に出られない。

 あの視線には、きっと複雑な感情が含まれているのだろう。


 大和門に向けて歩いていると、背後から肩を叩かれた。


「珠蘭! 良かったぁ。帰る前に会いたかったのよ!」


 私を引き止めたのは花琳だった。彼女はゴソゴソと鞄をまさぐると、中から紫色の巻物を出した。


「花琳さん、それは……?」


 恐る恐る尋ねると、花琳は満面の笑みで言った。


「万春殿日誌の、二巻よ!」


 一巻を借りてから、一月弱。

 正直、一巻がどう終わったのかもう記憶にない。

 というより、内容が過激過ぎて、殆ど覚えていない。

 私は噴き出す冷や汗に感動を覚えた。真冬なのに。


「あのですね、花琳さん。私これから……、休暇は蔡侍従の邸でお世話になるんです」


 鍵も既に預かっている。俊熙は少し残業をしてから帰宅するつもりらしかった。

 そんな所に、この巻物は持っていけない。

 すると花琳はその円らな瞳を更に丸くさせた。


「えっ、そうなの!? 凄いこと聞いちゃった!」

「私、華王国出身なので、今は休暇でもあちらに帰れないんです」

「そうよね、ごめん。っで、でも、これからあの蔡侍従と一つ屋根の下ってこと!?」


 何を想像したんだろう。花琳の白い頰が、桃のように赤くなった。


「はい。まあ、そうですね」

「――もしかして、帝都の年越祭も、二人で行ったりするの?」

「年越祭って、なんです?」


 知らないのぉ!?

 と前置きすると花琳は話し始めた。

 年越しの日は、大通りが飾り立てられ、たくさんの屋台が出るのだという。

 帝都の民はこの日ばかりは夜中まで出歩き、飲み食べ遊び、騒ぐのだ。


「ねぇ、帝都に残るなら一緒に行かない?」


 花琳のお誘いは急で驚いたけれど、とても嬉しかった。


「行きたいです!」


 すぐに返事をすると、私たちの会話に横にいた麗質が乱入した。


「ちょっと、私も誘ってよ!」

「なんだかいつもと変わりばえしない面子になっちゃうわね」


 花琳がそういうと、私たちは互いの顔を見て笑った。


 大和門を通って後宮の外に出ると、そこも帰宅する官吏たちで大混雑していた。

 宮城を南北に区切る通りが最も人で溢れていて、なかなか前に進まない。

 ようやく宮城の外に出て、俊熙の邸にたどり着いた時には昼の時間になっていた。





「この邸って、結構汚かったのね……」


 邸の立派な門をくぐり玄関に入るなり、私は思わず呟いた。

 俊熙は日頃、邸に帰っていない。宮城に泊まり込んでいるからだ。

 私が華王国を出てここに初めて来た時は、じっくり邸を見るゆとりがなかったので気づかなかったが、よく見れば中はかなり埃が溜まっていた。


「掃除しなくちゃ」


 荷物を床に下ろすなり、私は両腕の袖をまくった。

 まずは、落ち葉舞い込む中庭の掃き掃除をした。冷たい風に吹かれ、手がかじかむ。

 次に雑巾を濡らし、邸の調度品を全て拭いた。

 丁度外は晴れていたので、寝具類を叩いては干す。

 そのあとは、邸を出ると超特急で市場に向かい、食料を買った。なにせ邸の台所にあるのは、米くらいなのだ。


 やっと昼食作りに取りかかれた頃には、もう夕方になっていた。

 これでは夕食を作っているようなものだ。

 竃に火を起こし、鍋を温め始める。

 油を入れて微塵切りにしたにんにくを投入すると、パチパチと油がはぜ、にんにくの香りが立つ。

 そこへ空芯菜を入れて、菜箸で混ぜる。

 料理は全く得意ではないが、尚食局の花琳から、簡単にできるものを何種類か、教わっておいたのだ。

 料理くらいはできないと、俊熙にここを追い出されかねない。

 肉団子の汁物の作り方も教わっていた。

 調味料を混ぜて捏ね、食べやすい大きさの肉団子を成形する。

 それを煮えた汁の中にドボンと入れる。


「嘘、なんで?」


 汁に入った途端、丸めた肉団子は一斉に崩れ、散り散りになった。菜箸で掬おうとするも、時すでに遅く、塊はほとんど残っていはい。かつて肉団子だった肉の欠片が、汁の上の方を漂うのみ。

 何を間違えたのかわからず、竃の前でしばし放心する。

 小鉢に少量とりわけ、飲んでみると意外にも味は悪くない。


(これはこれで、いいかもしれない。汁物として成立しているよね)


 肉団子だったと言わなければ、俊熙も気づかないだろう。

 前向きに考えて力強く頷くと、鍋の蓋を閉めた。



 俊熙はなかなか帰ってこなかった。

 仕方がないので空腹を堪えながら、邸の中の細々とした場所の掃除を続ける。

 俊熙が左遷された錦廠は閑職として有名なはずだった。まさかこの時間まて残業しているのだろうか。

 日が完全に沈み、中庭を細かな雪が舞い始めた頃。ようやく俊熙が帰宅した。

 丁度その時二階にいた私は、階段を駆け下りた。


「俊熙、お帰りなさい!」


 玄関まで走って行くと、俊熙の紺色の外套の肩の部分に雪が積もっていた。

 彼は私を見とめるや、速口に詫びた。


「遅くなって申し訳ありません。……お一人にしてしまいましたね」

「ううん。お疲れ様。錦廠のお仕事は忙しいの?」


 俊熙は荷物を持って二階に上がりながら、答えた。


「そうですね。意外とやることが色々とございまして」

「錦廠って何をする所なの?」


 踊り場を曲がった所まで追いかけ、俊熙の背中に尋ねる。

 俊熙は一旦立ち止まり、簡潔に答えた。


「――掃除、でしょうか」


 答えるなり、俊熙は自分の部屋に入っていった。

 掃除?

 まさか外廷の掃除をしている?


「まさかね……」


 首を捻りながらも、食事の支度をしようと台所に向かう。


 中庭には食事をするのに丁度いい卓や椅子があったが、季節的に今は厳しい。

 台所の隣にある部屋は、小上がりの木台が設置され、その上に長い卓が置かれていた。そこに温め直した食事を並べる。

 二階から下りてきた俊熙は官服を着替え、薄い緑色の(ほう)を着ていた。

 頭上に載せていた冠も取り、半分髪を垂らして、残る髻を柔らかな布で巻いている。

 そういった畏まらない衣装を纏った俊熙は、昔華王国で一緒にいた彼を思い出させる。

 俊熙は並べられた食事を見て、目を丸くした。


「これを全部作られたのですか?」

「そうよ。座って! 一緒に食べようと思って、待っていたの」

「驚きました。誰かに教わったのですか?」

「うん。花琳にね」


 俊熙と向かいあって座るのは、とても新鮮だった。

 不味いのではないかと気になって仕方がなかったが、俊熙はどんどん箸を進める。

 きっと大丈夫だったんだ、と胸を撫でおろす。

 私は肉団子となるはずだったボロボロの肉屑入りの汁物を啜りながら、聞いた。


「華王国のこと、何か聞いてない?」


 俊熙は茶を飲み干してから、口を開いた。


「錦廠に移ってからは、情報が入って来にくくなりましたが、少しは届いています。魏 子豪が打ち立てた新政府――新華王国には、いまだに(シェン)王子を名乗るものが次々とやってくるそうです」

「それって、お兄様の候補がたくさんいるということ?」

「そう。実に馬鹿馬鹿しい。どうせ偽物ですからね、誰にも確証がない」

「でもその中にもしかして、お兄様がいるかもしれない」


 すると俊熙は即座に首を左右に振った。


「それは有り得ません。もし貴女だったら、子豪の立てた政府の輿に乗りたいと思われますか?」

「私は勿論、思わないけど……」


 でも兄が今どう感じているかは、分からない。

 黒龍国に攻められ、華王国を去った日。

 あの日、私は兄が幽閉されていた冷冷宮に行った。

 あの暗く、寒く、掃除の行き届かない宮を思い出す。

 あんなところに十年も閉じ込められていたのだ。

 兄がその間に何をどう感じたかは、誰にも分からない。

 物思いに耽って、箸を持ったままの手を卓に下ろしていると、俊熙は言った。


「詩月王女の行方には、懸賞金がかけられています。恐らくあれは、慎王子の正当性や真偽に確信がないからです。行けば何をされるか分かったものではありません。――絶対に、この国をでない方がいい」


 私は蜜柑に手を伸ばしながら、頷いた。


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