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尚服局の女官

「結構、待つなぁ」


 思わず呟きが漏れる。

 内侍省に案内され、一人で放置されてからかなり時間が経つ。

 ここまで私を連れてきた俊熙(ジュンシー)は、いつになったら戻ってくるのか。

 長椅子に腰かけ、人目がないのをいいことに、ふぁぁ、と大口を開けて欠伸をする。

 長旅の後の疲労がまだ抜けていない。

 お尻と腿が筋肉痛で、姿勢良く座っているのが辛い。

 その時、房の入り口から前触れもなく、男の声がした。


「これはこれは、大きな欠伸だな」


 ぎょっとして慌てて口を閉じる。

 房の入り口に立っているのは、少し浅黒い肌の色をした、均整の取れた体躯の若い男だった。


(だ、誰!?)


 男が纏う衣は官吏の黒でも、宦官の紺色でもない。

 紫色の袍の下から、襞の多い単衣が覗いている。

 髷を固定する銀色の装飾環は、鳩の血のように鮮やかな赤色の大きな貴石が埋め込まれている。

 どう見ても、やんごとない身分の人だ。

 どういう役職に就いているのか全く分からないが、礼をとる方が賢明だろう。

 弾かれるように長椅子から起立し、膝を折って俯く。

 男は軽やかな笑い声をあげながら、私の目の前まで歩いてきた。


「顔を上げよ。――そうか、そなたか」


 そなたか?

 こわごわ顔を上げると、愉快そうに笑う男と目があう。


「そなた、名は何という?」

「蔡 珠蘭にございます」

「俊熙のいとことは、そなたのことか。なるほど。なかなかに愛らしい面立ちではないか」


 誰だか分からない人に、お世辞を言われた。

 誰何していい立場にあるとは思えない。

 仕方なく黙っていると、男は言った。


「余が来たことは、俊熙には黙っていてくれ」


 ニッと笑って私の顔を覗き込んでから、彼は片手をヒラヒラと張りつつ、房を出て行った。

 余、という言葉を使うのは、皇帝ただ一人だ。

 嘘みたいだが、私は春帝国の皇帝に出会ってしまったらしい。




 飾り格子がはめられた窓から外を見ると、建物の影が随分短くなっていた。

 お腹も空いてきている。

 おそらく、正午近くになっているのだ。朝早くに俊熙の邸を出たはずなのだが。

 あまりに待たされ過ぎて、もしや本当に俊熙は私をここで待たせていることを忘れてしまったのではないか、と心配になりかけた時。

 房にようやく俊熙が戻ってきた。

 なんと見知らぬ若い女性を連れていた。

 顔立ちがはっきりしていて、目元が華やかな女性だ。長い髪の毛を左右に分けて三つ編みにし、それを頭の後ろで纏め上げている。薄緑色の衣を着ており、衣装は控え目だったが、後れ毛もなく結い上げた髪に刺す簪は豪華で、その一点でお洒落に対する拘りを感じさせる。

 正直、あり得ないくらい待たされたが、俊熙は少しも急ぐ素ぶりなく、隣に立つ女性に言った。


「ここにいるのが、私のいとこの珠蘭だよ」

「あら、蔡侍従には全然似ていないんですね」


 蔡侍従、とはもしや俊熙のことだろうか。

 俊熙は内常侍だけではなく、侍従も兼任しているのかもしれない。

 背を伸ばして二人の前に向かう。

 俊熙は私にしっかり理解させるためか、ゆっくりと言った。


「珠蘭、今日から後宮の尚服局付きの女官として働いてくれ」


 俊熙は私をいとこだと思わせたいからか、いつもの丁寧な口調を封じていた。


「し、尚服局?」

「後宮の女官を束ねる六つの局のうちの、ひとつだよ。衣服関係を担う」


 すると俊熙の隣に立つ女性が、にっこりと微笑んだ。

 花が咲くような、艶やかな笑顔だ。


「私は麗質(リージィ)よ。尚服局で働いて五年目だから、なんでも聞いて」

「李……、蔡 珠蘭と申します。よろしくお願い致します」


 名前を間違いそうになり、俊熙からぎろりと睨まれる。

 年齢も十六歳だと偽らなければならない。

 気をつけないと……。




 先輩女官である麗質の後について内侍省を出ようとした矢先、俊熙が私の肘をそっと掴み、耳元で囁いた。


「女官達は常に機敏です。貴女も今までの二倍速で動いて下さいね」

「わ、分かったわ」


 てきぱき動かないと、首にされてしまうのかもしれない。

 そう思うと身が引き締まり、麗質との間にできてしまった距離を速足で歩いて埋めた。


 麗質はまず私を調理場に連れて行った。

 丁度昼時のため、女官たちが大勢詰めて忙しなく働いている。

 その間を縫うようにして麗質が奥まで進む。

 奥には木製の大きな長卓が並べられており、雑然と食事が置かれている。


「好きなものを取って。女官用のまかないだから」


 言うなり、麗質は一切の逡巡なく両手に皿を取り、空いている席についた。

 迷っている暇はない。

 取り敢えず目についた麺類と、炒め物を手に取る。

 壁際の席には既にたくさんの女官たちが座り、食事をしている。皆揃いの薄緑色の襦裙を着ている。

 これが女官の官服なのだろう。

 私一人が違う色の衣を着て、尚且つ衿周りに花の刺繍がある少し華美なものだったので、悪目立ちしている。

 麗質と麺の丼に隠れるように、身を小さくして食べ始める。


 炒め物には海老や烏賊といった、海産物が入っている。

 華王国ではあまり食べる機会がないので、珍しく感じる。


「珠蘭っていくつなの?」


 (さじ)で米を口に運びながら、麗質が尋ねてくる。

 気後れしつつも十六だと答える。


「私の方が四つ歳上ね」


 ということは、麗質は二十歳なのだろう。

 つまり、麗質と私は同い年だ。

 周囲の女官たちはお喋りに興じていて、あちこちから話し声が聞こえる。

 途切れ途切れに「華王国」という単語が聞こえ、つい耳をそばだててしまう。


「黒龍国が主要な州を既に抑えたらしいわよ」

「華国王はまだ抵抗しているんですって」


 思わず咀嚼が止まる。

 それと同時に安堵が胸に広がる。

 弟の勇はまだ、黒龍国に敗れてはいないらしい。

 耳を必死に傾けていると、思わぬ名前が聞こえた。


(シェン)王子が……」


 大勢の女官たちの声に埋もれてしまい、その前後は聞こえなかった。だが、たしかにそれは私の同母兄の名前だった。


「それ、口に合わない?」


 私が箸を止めたことを気にして、麗質が声をかけてくれる。


「いえ、そんなことは」

「珠蘭ってこの戦乱を逃れて、華王国から我が国にきたのよね?」

「そうなんです。俊熙に助けてもらって、どうにか春帝国まで来られたんです」


 麗質の皿に視線を落とすと、彼女はもう半分近くを食べ終えている。私はといえば、野菜炒めを少々食べただけだ。

 かなり遅れを取ってしまっている。

 焦った私は、勢いよく麺を食べ始めた。


「あ、熱っ……!」


 麺が予想以上に激熱だった。

 熱湯かと思うほどだ。

 口元を押さえる私を見て、麗質が笑う。


「珠蘭ったら結構おっちょこちょいなのね。あの蔡侍従のいとことは、思えないわ」

「そ、そうですか? あの、俊熙…蔡侍従って仕事中はどんな感じなんですか?」


 すると周囲にいた女官たちが、一斉に顔を上げてこちらを見た。


「その子、新入り?」

「はい。蔡侍従のいとこです。今日付けで尚服局に配属されました」


 麗質がそう告げると、皆が一斉に黄色い感嘆の声を上げる。

 中にはわざわざ席を移動してきて、近くに坐り直す女官までいた。


「あまり似ていないわねぇ」

「蔡侍従って、子どもの頃からあんなに綺麗なの?」

「四歳で簿記を習得したって、本当?」


 質問ぜめにあい、箸を持つ暇もない。

 不思議なことに、女官たちは顔を紅潮させながら、一様にうっとりとした瞳で俊熙の話をしている。

 どうやら俊熙は宮城内で、相当目立つ存在らしい。


「皇帝陛下の侍従でもあるけど、特に皇太后様にも気に入られているの。他の宦官達をごぼう抜きにして、大出世をしているしね。それにあの美貌だもの」

「でも仕事には凄く厳しいわよ。つまらない間違いをすると、痺れるほど睨まれるから」


 分かるわかる、と皆が異口同音に頷いた。



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