別れを告げるみたいです
~イブの街 コウの雑貨店~
「そ、そんな馬鹿なことってっ」
犬獣人のコウは思わず叫んでいた。
「えぇ。そう、馬鹿なことが起こってしまったのです。あのハジメ様でさえ怒りを隠しきれなかったようですが、これは事実です。そしてハジメ様はコウさんにこの場所を守ってほしいとおっしゃっています。自分が最初に持った店だからと……」
スムスはそうコウに告げる。ハジメがスムスに頼んだことの1つであるコウへの説明が行われていた。ハジメにそう言われてしまえば何がなんでも守らなければならない。自分は奴隷としてハジメに買われたが、決して奴隷として扱われなかった。それどころか今では店を持つこともできている。ハジメには感謝しかないのだ。
「そしてコウさんにはもう一つハジメ様からお願いがあります。コウさんの家の前の空き家でハジメ様が雇われていた一家4人がレストランを開きます。恐らくその代金を支払いに来る可能性があります。もし受け取ることで彼らの気が収まるなら受け取っておいてほしいとのことです。もし彼らがお金に困ることがあれば、それを彼らに使って欲しいそうです」
「旦那さま……」
コウは言葉に詰まる。
「最後に、ポーションは作っているから、アイテムバッグから取り出して売ってほしいとのことです。冒険者の手助けの一環だとおっしゃってました。あと、何らかの方法で連絡がとれる方法を考えるから暫く頑張ってほしいとのことです」
「……わかりました。そのうち追いかけると伝えてください」
コウは憤りを感じながらスムスに告げる。
「はい。承知しました。必ずお伝えします。それと、私事ですが、商業ギルドを退職致しましたので、代わりの者がここへ来ることになりますが、ポーションの出所などは内密でお願いします」
「……わかりました。旦那様もかなり頭にきているということでしょうね……。それも尤もですが……。」
コウは頷く。
「えぇ。あまり表面上は怒っているようには見えませんが、そうでしょうね……。さて、リナリーさんたちにも伝言をお願いします。私は急いでクーラに戻らねばなりませんので」
コウが白金貨1枚の送金を知るのはもう少し後になる。彼はこのことが切っ掛けとなり商人ギルドを訪れることを極端に避けるようになるからだった。
~イブの街 リナリー、アーロン、ヴィオラ、ティナ~
「ほぉ、そんなことになっていたんですね。旦那様を称えることをしないと思っていたら……。これはもう暗殺案件ですね、暗殺。殺るのはギルド長と領主、町長と、王族ですね」
コウからの話を聞いたリナリーの目が糸のように細くなり、口には笑みを浮かべ、殺意が周囲にばら撒かれていた。それにおびえてキルトは失禁し、生後1年の子はぐったりしている。
「ちょっと、リナリーさん抑えてください。キルト君とキッシュちゃんが大変なことになっていますからっ」
司祭のティナがリナリーを宥めるが収まらない。コウはため息を吐くと、
「リナリー姉さん、まだハジメ兄さんからの伝言があるんだけど?」
その瞬間リナリーの殺気が雲のように消失する。家族のような呼び方を弟のコウがすれば、姉リナリーの暴走は収まる。これは彼女が暗殺に手を染めた理由にも関連するのだが。
「取り乱してしまいました」
「本当に。リナリーさんは旦那様の事になるといつもこうなんだから」
コウはやれやれと言った口調で告げる。
「それでリナリーさんたちはこのまま冒険者ギルドで依頼をいつも通りこなしてほしいそうです。困っている人がいたら助けて欲しいとのことです。でも決して無理はせず、怪我などには注意するようにとのことです。そしてアーロンさんは自分の作りたいものを作るようにと。もし可能ならリナリーさんたちの武具をお願いしたいと。使用する金属は僕かリナリーさんのアイテムバッグから必要な分取り出していいとのことです。あとリナリーさん、ポーションは好きなだけ使って構わないとのことです。ただし売らないようにとの。売るのは僕のところで1日10本までとします。あとオースティンさんには今まで通りと言われております。そして旦那様はこの国を出るそうです……」
重い空気が一層重力を増した。
「あと、マーサさんご一家にこれからもどうかコウとリナリーをよろしくお願いします、と……」
「旦那……。こんな時に俺らのことまで……ぐす」
ジェフが鼻をすする。マーサも目を赤くしていた。
「任せときな。バシバシ鍛えるからね、ハジメさん……」
「さて、僕は明日朝一番でオースティンさんやアベルさん、アーヴィンさんたちに旦那様の伝言を伝えてきますので、今日はそろそろ寝ますね」
コウはそう言って自分の部屋へと戻るため後ろを向く。それと同時に我慢していた涙が服を濡らした。
~アヴァの国 王城~
時間は枢機卿が倒れ、部屋に運び込まれた頃に戻る。部屋には王の姉である彼女一人。侍女は彼女を着替えさせるために服を取りに衣裳部屋へと下がっておりいなかった。ここは王城であるため基本的に安全だとの認識があったからである。
彼女の部屋に一筋の光が差し込み、息苦しそうに喘いでいる彼女を照らすと呼吸は落ち着いた。
『アドリーヌ、目を覚ましなさい、アドリーヌ』
不意に彼女の王女時代の名を呼ぶ声で目が覚める。そこにはもう十年以上前に死んだ筈の両親が居た。
『……あなたはよくやりました。これまで弟を支えてくれて感謝しかありません』
母親が優しく声をかけ微笑む。
「お母さま……」
『ほんとうに自慢の娘だ。嫁いでも欲しかったのだが、それは欲張りなこと。お前の体は一つしかないのに。自分の幸せよりも国のために苦労を掛けてすまなかった』
父親の顔に後悔が浮かぶ。
「お父さま……私がしたかっただけでございます。そんな顔をしないでください」
先代の王はそっと彼女の頬に手を当てる。
『それでも私たちは娘に茨の道を歩かせてしまった責任がある……』
『あなた、それ以上言えばこの子をまた苦しめてしまいますよ』
先代王妃が先代王を優しく諭す。枢機卿、いやアドリーヌは両親が生きていた楽しかった日々が鮮明に思い出されていた。もう数十年も前の事だったが昨日の事のように……。自然と涙が零れてきた。
『『さぁ、一緒に行こう……』』
「はい」
そう言うと彼女は老いた肉体を捨て、15歳の姿となり3人で天へと昇って行った。その直後ドアが開き侍女が戻ってきた。そこには笑顔を湛え涙を流し逝ってしまった枢機卿の姿があった。
「アドリーヌ様。アドリーヌ様。誰か、誰かおりませぬかっ!」
侍女は20年近く彼女に仕えていた。恐らく現王を除いて彼女が一番枢機卿を愛していた。
『アリア。今までありがとう……』
アリアは頬にアドリーヌがキスをしたような感触を感じ、そのまま床へと座り込み涙を流すのだった。そして数分後王城は悲しみに支配されることとになった。
忍び寄る黒い思いをそれは上手く隠すことになってしまうのである。




