東京鉄道
壬午事件で一定以上の成果が上がってご満悦な一太郎、正月休みの前に何やらお買い物に・・・
その後、偶然の出会いでまたしても・・・
東京鉄道
壬午軍乱、前世での歴史上ではこの呼称も一般的だったのだが、一太郎の予言により殆ど混乱も無かったため、以後壬午事件と称される。
この事件に関連した様々な関連事件は殆ど発生しない事となったが、代わりに清国が明成皇后に対し、何故属国がこちらに頼らず日本国に頼るのかなどと言う因縁をつけ始める。
が、フランス、アメリカ、日本等が朝鮮国を清国の属国であるとは認められないと反論。
清国は一旦引き下がる事に成った。
しかし、朝鮮国は明成皇后自身が官吏の汚職を招いてしまう様な政策を取ってしまって居る為、朝鮮国内では小さな火種は常にくすぶっている。
清国はここに目を付けて明成皇后に取り入り、結局軍の駐留を推し進めて行った。
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時は一寸だけ遡って6月、東京馬車鉄道が開業するも、急速な技術革新が起こると読む事が出来なかった日本初の路面鉄道と言うべくこの会社は、会社設立自体は明治13年であった為、技術革新に付いて行く事が出来ず、そのまま馬車をレール上で走らせる方向で開業せざるを得なかった。
既に試験的とは言え、山手線が完成し電気車両で運行し始めてしまって居るのだ。
考案者より受け継いで取締役社長となった種田誠一は頭を抱えていた。
一般市民こそ馬車鉄道をそこそこ利用するも、近所で大概の用は済む時代である、それだけでは大した収益も見込めなかった。
一番利用して頂けると思って居た下級貴族や軍人達は、自動車で移動するのが普通になりつつあり、主要地域を輪で繋いだ山手線が益々馬車鉄道の利便性を無くしてしまって居たのだ。
新橋から汐留を経由して日本橋までと言う極短い距離だった事がこの鉄道の集客力の低さにも繋がって居た、だが何処からでも手を挙げれば乗車でき、車掌に声を掛けると何処でも降車できると言う便利さだけで急いで居る者には便利だったのでは無いだろうかとは思われる。
種田誠一のご子息はこの年、陸軍へ出征していた。
「父上、お悩みのご様子ですね、馬車鉄道の事ですね。」
「ああ、尚一か、そうなのだ、凄まじい速度で技術革新が起こってしまってな、もう馬車の時代では無くなってしまったらしい、これからは既に蒸気機関車でも無く電気鉄道の時代のようだ。」
「噂では、帝国陸軍に発明者が居ると言う話ですよ。」
「はっはっは、居てもお前の階級ではおいそれとお会い出来るような方では無かろう、私も電気鉄道にしたいと思う気持ちはある、だがもう少し頑張ってみようと思ってる、あまり儂の事は気にするな。」
「もしもお会いできる機会があったら、父の事をお伝えして置きます。」
「ああ、あまり期待はしないがお願いしておくよ。」
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12月、この年、初めてのクリスマス電飾が施された、何処の外国かぶれが発案したのか知れないが、街が賑やかになるのは賛成である、富の象徴でもあるからだ。
現在日本は、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ等と貿易をしており、日本は製品化したエンジンであるとか半自動小銃等を輸出している。
逆に資源の少ない国なので、様々な材料になる資源や、調味料、食品等が主な輸入品である。
この度フランスからパティシエが来日、銀座にケーキ屋を開業。
フル回転させている脳の為にも甘い物が好きな小官にとってはフランスのパティシエの作る美味いケーキと南米から輸入して一般的になったコーヒーは最高の贅沢になった。
小官はコロンビアスプレモのストレートコーヒーが前世より好きなのだ。
今日は12月24日、本日から1月5日迄の休みを頂いた小官は、父へのプレゼント、母へのプレゼント、弟へのプレゼントを選ぶ為に、小官の提案した百貨店構想を〇井グループの社長に提案したのが原因で22年も早く、12月20日に開業したばかりの〇越百貨店で買い物をしていた。
周りの客はと言うと皆貴族と言った風貌の金持ちと、アメリカやフランス等の公使館員達だらけ、帝国軍制服を着た子供な小官は一人浮く存在である。
クリスマス前に何とか開業にこぎ着けたとの事でたまたま様子を見に来ていたグループ会長は小官を見付けて小走りに寄って来た。
「これはようこそ、益田少佐殿。」
「これはこれは会長殿自ら小官のような小僧に挨拶に来られるとは、恐れ多いです。」
「何を言いますか、貴殿の意見が無ければこのような一大商館の開業など考えもしなかったのがこうして実現したのですから、私から挨拶するのが当然ですよ。」
「いえいえ、父もお世話になってるグループの会長殿がそのような低姿勢で来られては小官の方が困ってしまいますので。」
と言って笑い合った後、売り場を案内されたのだった。
従業員一同は一体何者なんだこの子供は、と言った様子で皆驚きを隠せない様子であった。
そりゃそうだよな、会長が自ら案内して回るなんてどこのVIPかと思うわなぁ・・・
そして、冷え性の母に小官発案から生まれた電気毛布、父上にはお気に入りで乗り回している自動車の椅子に置く腰痛防止のマット、将来劇作家となる弟には舶来の万年筆を購入、周りの視線に晒されながら会長に見送られると言う何だか非常に遣り辛い感じに足早に実家へと向かう事になった。
因みに予め用意してあった図面でエレベーターとエスカレーターを提案しておいた。
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実家へ戻ると、何だか元々お屋敷だったのが増築されて何だか海外の居城の様になって居た。 なんだこりゃ・・・
車庫と思わしき建物も有る、中を覗くと、直ぐに飛びついて購入したけど直ぐガソリンエンジンの自動車に取って代わられたので1年も乗らなかったと思われる木炭車と恐らく乗り分けてると思われるデザインの違う自動車が2台停まっている。
外国との取引で相当稼いだらしいな、父上・・・贅沢しすぎだ。
電気のおかげで門柱には呼び鈴ブザーが付いて居る、小官の開発は確実に日本を便利にして来ているようだ。
早速ブザーを鳴らすと、何だかメイド服着た若い女性が出て来た、メイド喫茶でしかこんな服見た事が無かった。
本物のメイドだ~、とか感心して居ると。
「お帰りなさいませおぼっちゃま。」
と門を開けてくれたのだが、今更おぼっちゃまなどと歯がゆい言い回しを辞めて欲しいものだ。
「小官がこの家の者だと何故知って居るのですか?」
「はい、以前お帰りになった際にお撮りになったお写真で見て覚えました。」
写真と言っても未だ銀板写真だ、進化したと言っても10分もじっとして居ないといけない奴だ、写真嫌いが増える訳である。
この翌1月から小官の主導で開発したフィルムを使った銀塩写真機が発売するのでまだあんなに便利になる事を誰も知らない。
まぁフィルムの開発をした理由はカメラが欲しかった訳では無くもっと崇高な理由からである。
カメラが出来るのは副産物でしかないので小官としては新しい会社を立ち上げないかとお誘いを受けた時には一応お断りをしておいた、これ以上忙しくなっては叶わんのだ。
〇菱グループが日本光学と言う会社を立ち上げたのだ・・・恐らく今のN〇konに当たる会社になるのでは無いかと思うがそうだとしたら70年位?早く設立した事になる・・・遠回しにやらかしちゃった気がするがまぁ良いか。
因みにフイルムに関しては、後のサ〇ラフィルム→〇ニカであるところの薬種問屋、小西屋六兵衛店に薬品の仕入れでお世話になって居たので一枚噛ませて作らせる事になってはいる。
まぁ小官としてはフィルムが開発できたので十分満足だ。
思いっ切り脱線したが、メイド服は小官は前世で萌えと言う程では無かったが絶対領域だけは譲れないと思って居たのだが、このメイド服はこの時代には珍しい短いスカートでニーソであって絶対領域が完璧好みだった・・・パパン、判ってるじゃんか・・・
一寸だけ楽しい正月休みになりそうだ。
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正月休み中、小官は自室に電気こたつを持ち込み、わざわざ取り寄せた温州ミカンを頬張りながらのんびりと小説等を呼んで居た・・・
ある日、みかんを食べようとすると、みかんに見事な青カビが付いて居たので、ペニシリンが作れるかも知れないと思い、奇麗に剥がして持ち歩いて居るシャーレーに入れて保管した。
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楽しかった正月休みもあっという間に終わり、西暦1883年、明治16年、始業である。
明治16年で一つ思い出してしまった、2月には恐らく記録上最大の積雪が観測される筈なのだ、大急ぎで除雪車両を開発する事にした。東京府で46cmの驚異的な積雪、完全に交通がマヒする事は必至である。
僅か一日で図面を書き上げた小官は、最も重機関連で実力が有る〇菱重工業に、陸軍省の肝入りで持ち込む事にした。
----------------------------------------------------------結果、1月30日迄に4台の除雪作業車が完成したのだった。良くこの短期間で完成させたものである。
東北方面へ向けて搬送せよとの指令を出して頂いたのだが、その搬送の日が2月9日、雪は2月8日に降るのだ。
丁度良いデモンストレーションになるだろう。
結果、除雪車両は予想以上の成果を上げる事となったのだった。
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4月に入った、兼ねてより中将殿より要請を受けては居たのだが、12日に陸軍大学校が開校、その臨時講師として小官は週2回だけ教鞭を執る事となった。
一方、東京府某所。
「父上、明日より陸軍大学校への入学が認められました、将校を目指して励みたいと思って居ます。」
「そうか尚一、立派な将校になりなさい、儂はもしかすると後半年も待たずに倒産するやもしれん、軍なら安定した収入で最後まで食って行けるだろう、儂の事は気にしないで自分の道を行くが良い。」
士官学校へ入学して居た尚一は少尉になっておりギリギリで入学資格を得ていた、そして部隊長からの推薦も受けて居たのだ。
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「次は新戦法の確立者であり新兵器開発の第一人者、教鞭を執る学科は新戦法となる、益田少佐。」
小官は壇上に上がり挨拶をする。
「今紹介に預かった益田一太郎少佐である。 新兵器の開発と言う重要な任務を賜って居るので週2回のみの授業となる、貴様らよりも年下であると馬鹿にする者は容赦なく切り捨てるのでそのつもりで居たまえ。 卒業出来る者は恐らく3年間小官と顔を合わせると思う、まぁ他の教授よりは年が近いので仲良くやろうでは無いか、よろしく頼む。 以上である。」
少々生徒共の間からざわつきが起きるが今は気にしないでおくとしよう。
入学式が終わった直後の事だった。
「すみません!益田少佐殿に是非ともお会いしたいのですが!」
教員室にやたらとデカい声で入室を求める者が居た。
殴り込みにでも来たのかと思う程の大声であった。
「こらっ!貴様いくら何でも不躾であろう! 教員室の戸位ノックしてから声を掛けよ!」
とは一番戸に近い机を使って居る中佐殿であった。
「中佐、構いません、小官に何やら用がある様子、面識がある訳では無いが、小官が教鞭を執って居るのが気に入らんと喧嘩を売りに来た訳でも無いでしょうから、通してやって下さい。」
「うむ、益田君、君がそう言うならば通そう。 だが、少々不躾であるぞ、以後気を付けたまえ。」
「は、有難う御座います!」
相変わらずでかい声だ。
「こちらに来たまえ、で、君は何者かね?」
「はい、小官は種田尚一少尉で有ります、電気鉄道を発明した益田殿とお見受けし、是非ともお願いがあり伺いました!」
「ほう、小官の発明品を知っておるのかね。 それで?どのような要件かね?」
「はい、小官の父は、東京馬車鉄道の取締役でありまして、話せば長くなるのですが、会社が立ち上がった3年前には未だ馬車の移動が当たり前であったもので馬車鉄道と言う物を始めたのです、しかしながらその直後から2年で技術革新が起きてしまった為、汽車や電鉄とは太刀打ちが出来ず倒産の危機に追い込まれております、是非にお力添えを頂きたく思って居りました所、たまたま入学を許可された軍大学で益田少佐殿とお会い出来たので是非にと思い訪問致した次第であります!」
「ふむ、成程、路面鉄道の馬車鉄道ですか、あれは確かに線路もまだ短いし消えて行くしかない所まで来てしまってますね、良いだろう、袖すり合うも多生の縁と言うしな、貴様の父上にお会いしようでは無いか。」
「本当ですか、有難う御座います!」
いちいち怒鳴らんと喋れんのかこいつは・・・
「では小官が此処で教鞭を執る火曜と木曜以外の日に、滝野川にある兵科技術研究所までお越し下さいとお伝えしなさい、電気鉄道を導入したいのであれば幾つかすり合わせなければ成らない事が有るのでね。」
「了解しました、本当にありがとうございました!」
あーやかましい奴だった、こんな生徒ばかりだったら教鞭を執るのは辞めようかなぁ・・・ まぁ今更で有るが・・・
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後日、しかも本当に翌日、種田誠一氏が尋ねてくる・・・マジで困ってたらしいな、この人・・・
「失礼いたします、益田少佐殿でいらっしゃいますか? 私は東京馬車鉄道の種田と申しまして・・・」
と、小官と勘違いして井上准尉に話し掛けるのだった・・・
一寸ムカッとした。
「いえ、あの、益田少佐はあちらの・・・」
「え?お若いとは伺って居たのですが・・・」
「小官が益田で有ります。」
「これは失礼いたしました、種田誠一と申します、先日息子から伺って居るとは思いますが、早速で申し訳ないのですが急ぎ伺ってしまいました。」
間違われた事で少々機嫌が悪いのだが、まぁここは大人としては怒ってはいけない。(体は子供だけどな)
「ではお話を伺う前に、少々お時間を頂きます。 山田准尉、こちらの種田殿を工房へご見学にお連れしてくれ。」
「は、拝命致しました。」
「一寸連絡を取る所が有るので少々見学でもしていて下さい。」
連絡する先は、日本鉄道の初代社長となった吉井 友実氏、もう一人は電気鉄道を作って居るのが〇井グループなので車両を販売する為には必要だろうと、〇井物産の社長たる小官の父だ。
色々と込み入った話に成り得るので、陸軍省内にまだ残って居る小官のタコ部屋とも言える兵器開発局事務室にお越し願う事にした。
両氏に電話連絡を終えると、丁度工房の見学を終えて戻って来られた。
「さて、それでは新宿へ移動いたしましょう、井上准尉、車を出してくれ。」
「は、了解しました。」
こうして東京鉄道(前世の都電、昭和初期辺りまで市電とも呼ばれていた)の誕生となるのだった。
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