急な旅立ち
シャルロットにとって、人の世話は生まれて初めてだった。
吸血鬼は普通、子孫は残さない。大体が人の子から吸血鬼となるからだ。加えて長寿なので生物に埋め込まれた子孫繁栄のための本能も薄い。故に吸血鬼というのは子育てについて疎い。
シャルロットも例に漏れず、子育てなど全く分からなかった。
もしも1歳前後の赤ん坊の世話だったならば、シャルロットはもうお手上げだっただろう。赤ん坊への対処なんて出来ずに、最悪死に至る場合すらあった。5歳程度のアリアですら何をすれば良いのか分からないのだ。シャルロットはただアリアの希望を叶えることしか出来ない。
しかし、そんなシャルロットにとって厄介ごとが舞い込んでしまった。
「ごはんが………ない………!」
アリアが『ごはん』というものを食べたいと癇癪を起こしてしまったのだ。
アリアの話を聞くと、東方にある妖魔の国の特産物である、『コメ』を炊いたものに近いものであるらしい。ステーキと一緒に食べる事で美味しさが増すとアリアは言っていた。とりあえずは我慢してくれと言って抑えたものの、いつ不満を言い出すか分からない。そうなれば早めに『コメ』を確保した方が得策だとシャルロットは考えた。のだが---
「しかし、アリアから目を離すのも危険じゃしのう」
と、一向に纏まらず、城の自室で右往左往していた。
アリアの身を案じるばかりに妖魔の国にいく決心がつかないでいて、アリアの遊び相手をしてきたフェンリルが一つ提案を出した。
「お嬢、アリア嬢を連れて行かれてはどうだ?」
「その手があったか」
すんなりと提案は採用され、すぐに旅の支度へと移行した。不定期にくる刺客たちはフェンリル達が相手をすることとなり、シャルロットのダミーを廃城に設置しておくことで決まった。ダミーはただソファで座っているだけの人形のようなもので、自律型ではないらしい。シャルロット曰く、ただの魔素で作られた人形だそうだ。
だがなぜここまで偽装に拘るのか、一番に疑問に思っていたフェンリルがきくと、実は今はもう理由などないらしい。昔はここに留まらなければならない理由があったらしいのだがシャルロット曰く解決しているとのこと。強いて言うならば己の心配性のため、そしてフェンリル達が少し心配、というくらいだそうだ。
このようにさして問題がなかったため、問題なく旅の支度は勧められた。
途中、馬車を作るのに幻獣達の論争が起きたり、はたまた誰がその馬車を引くのかと白熱した戦いが起こったのだが、そんなことは知らないアリアとシャルロットはのんびりと服を揃えたり食料を調達したりしていた。服に関しては幻獣の1人に任せっきりであったので、中心は食料の調達となったが、シャルロットが魔術で作った罠だけで次々と獣が釣れていくので、結果的に旅の支度にかかった時間は二日程度であった。
その間、アリアは『ごはん』を我慢し、野菜と肉と果物しかない偏った献立をちゃんと食べてくれた。シャルロットは感謝の意しか抱けなかった。
「では行ってくるでの、元気にするんじゃぞー」
「あでゅー」
「はい。いってらっしゃいませ、お嬢、アリア嬢。風邪に気をつけるのですよ!」
フェンリルは結界の調節のため欠席、そのためユニコーンが見送りに来ていた。後ろには何匹か精霊がいるのだが、どれもユニコーンに追随するのみで大して話もしなかった。アリアは少し寂しく思ったのだが、大きく手を振って見送ってくれた。
アリアは彼らが見えなくなるまで手を振っていた。
「うで、疲れたー」
「これから馬車での移動は長い。ゆっくり休息すればよかろう」
「うにゅ」
「しかし……急遽作成したにしては豪華過ぎるのう。この座席ですら弾力性があって居心地の良い。これなら城の修理も本格的に頼んで行こうかの……」
シャルロットとアリアは、黒が基調の、金の刺繍の入ったデザインの馬車に乗っている。引いているのは二角獣のバイコーンと翼の生えた馬、ペガサス。この2匹が馬車引き合戦の勝者である。どちらも貴重な種なので、妖魔の国の関所を通るときに怪しまれないためにもシャルロットは魔術による誤魔化しをしている。バイコーンは黒い馬、ペガサスは白い馬に見えるようにしている。
しかし、それだけでも怪しい要素は沢山ある。
まず、外見上12歳程の少女と5歳程の少女が護衛も付けず2人で旅など妖魔からしても有り得ない事柄である。仮に山賊に狙われたら人生は終わったも同然だ。
そして、最近は白い馬でさえあまり見かけないという。市場では高値で取引され、貴族を見ると、白馬を持ってるかどうかで貴族の格がわかると言われているらしい。どれもこれも刺客たちの記憶からの情報だが。
ここまで怪しい要素があって普通に関所を通れる可能性は低い。
シャルロットが〝王〟と名乗り、堂々と入るのもいいが、それだと留守中なのが己を狙う姫にバレてしまう。そもそもシャルロットは他の〝王〟と面識が少ない。妖魔の〝王〟も見知らぬ部類に入るのだ。敵対関係ではないが、堂々と入るのも躊躇われる。逆に己を偽り抜けたとなると、妖魔の〝王〟に見つかってしまったら何か陰謀でもしてるのかと疑われても仕方ない。
このように怪しさ満点のシャルロット一行は、どのように関所を抜けようか悩んでいた。
「妖魔は幻術や魔術に長けておる。妾の本気の隠蔽、幻術でも不審がられると思うぞ」
「ならば堂々と正体を明かせばいいのでは?」
「んむ……しかし彼奴とはあまり面識がなくてのう」
「しかし幻術を使って、見破られる方がまずいですよ。言い訳さえ言わせて貰えないかもしれません」
「じゃが………ああ、何か穏便に済ませることができる方法などないものか……」
「それを今模索してるんでしょう」
バイコーンとシャルロットが焚き火を挟んで相談する中、アリアは出発から2度目の食事を済ませ、馬車の座席で心地良く寝ていた。近くではペガサスが横たわり休んでいる。
現在は夜。ブレーメの森をあと少しで出るというところだ。これから人の通る道に入るので、今の内に細かい予定等を立てていた。
「妾は『コメ』さえ貰えればそれで良いのじゃ。領地や奴隷も求めていぬ」
「それを正直に伝えれば良いんじゃないですか」
「それをすると一瞬で隣国へと妾のことが伝わるぞ?」
「ではお手上げじゃないですか」
「だから一時間懇々と悩んでおるのじゃろう!」
目立ちはしたくない。だが〝王〟には了解を得なければならない。隠れて行くと〝王〟に怪しまれ、堂々と行くと己の情報が世間に知れ渡る。
あまりに良い方法が思い浮かばず、己の身分のために5時間近く悩んでいたシャルロットだったが、結局出した方法とは。
「………適時、臨機応変に行こうぞ」
「行き当たりバッタリですね」
今までの時間は何だったのかとため息を吐くバイコーン。
上を見れば、東の空は少し明るくなり始め、辺りからは活動し始める動物達の物音が聞こえる。
やれやれ、とバイコーンは馬車の方へ向かい、ペガサスを起こしに行ったのだった。
だが、一行は1つ、大切な事を失念していた。それに気が付かないまま、彼等は妖魔の国へと急ぐ……
***
アリアを客観的、端的に表すならば、無口無表情、であろう。
いきなり見ず知らずの地へ来てしまったのに、慌てずただ『ステーキが食べれなくなった』事実だけに悲壮に暮れていた。実際、頭の中はほぼ『食』の事で埋まっており、その他は『寝』そして『お兄』しかないのである。一般の5歳児でもここまで短絡的な思考はしていない。
しかしながら、5歳にして適応能力が高いのはシャルロットの城では『食』と『寝』が確保されてあり、尚且つ娯楽も、携帯電話や、喋る動物達で満足だった。唯一足りない『お兄』も、シャルロットと戯れる事で誤魔化せた。知らない土地に来て初めて会った人間であるシャルロットはアリアに衣食住を提供してくれ、そしてアリアの我儘にも付き合ってくれた。
名前を付けてくれた時、愛里からアリアへと己が変わったような気がした。気の所為かと一度は思ったが、明らかに昔の己とは違うところがある。だがアリアは怖くはなかった。なにせ、頼りになるシャルロットがいるのだから。
常に見守り、優しく微笑むその姿は、まるで『お姉』を得たようで。
彼女のお陰でアリアは『お兄』と会う可能性が高まり、そしてこの世界でも生きていける。
そしてアリアは夢見る。
『お兄』と『お姉』と一緒に楽しく暮らす、その未来を。
(まず……お兄に、あう!)
目標を胸に刻み、まず目の前の事を見る。自分がしなければいけない事、そして我儘に付き合ってくれる彼女の手助けを。日本とは違う世界を知り、そして日本へ帰る手段を探す。それが当面のアリアの目標。
そして今、己がすべき事は……。
シャルロットは、眉を顰めて外を窺っている。どうやら馬車の外に何かあるようだ。
(やっぱり、おてつだい、だいじ)
馬車から顔を出し、外を窺う。
(あっ……むり……)
窓の外を見た瞬間に入ってきた景色とは、己が乗る馬車を囲むように陣取る怖いおじさん達。皆が下品に笑っていて、一般幼児ならば泣き出す。
目の前を塞ぐ怖いおじさん達に、アリアは顔を引っ込めた。
「盗賊?こんな昼間にか?」
ペガサスとバイコーンからの報告を受け、窓から外を見るシャルロット。
馬車の両側面の窓から見える外の景色には、自分達を囲む武装した薄汚い男達の姿が目に移った。
「面倒な。追い払えぬか?」
『ワタクシの範囲攻撃ならば問題ありませんが、アリア嬢が耐えられるかどうか……』
「却下じゃな。確かペガサス。お主の範囲攻撃は敵味方関係無しじゃろう?妾ならともかく、アリアがおる」
『しかし、近付かれるのも厄介です』
現在、盗賊は少しずつ距離を縮め、あと十数メートルのところまで来ている。
馬車内の護衛に警戒しているのか一斉にかかる様子は見せないが、数メートルまで来れば流石に襲いかかるだろう。馬車の中には外見では12、3歳の少女と5歳の幼女しかいないので、盗賊はさぞかし盛り上がるだろう。通常ならば最悪、その場で全員に犯される場合もある。
実際は並の人間よりも遥かに力の強い吸血鬼なのだが、外見ではただの美少女なのは変わらないのだ。ここで無理矢理逃げ切ったとしても執念深く追いかけてくる可能性が高い。
ならば殲滅、とシャルロットは考えたのだが、既にシャルロット一行は人の通る旅道へ出てしまっていた。
ここで皆殺しにしたとして、もし人が通ったら怪しまれる事必須である。加えて馬車に血のりでも付いたとしたら、それでまた怪しまれる。シャルロット達に利益など1つもないのだ。
(せめて宝石でも落としていってくれたら良いものを…………)
だがそんな事は有り得ない。盗賊が宝石を所持していたとして、人を襲う時に持ってくるわけがない。アジトの倉庫にでも押し込んであるのだろうと思われるが、こんな大人数で襲うとなると、アジトにも留守番がいるため、それは百人くらいの組織にはなるだろう。それを殲滅するのはとても面倒くさい。
無論、シャルロットはそのような事など理解している。このような小言を吐いたところで何も変わらない事も。
シャルロットは己の利益を優先する合理主義者であり、そして効率主義者でもある。
愛や友情などよりもまず実益、と考えており、普段の行動からもその意識が垣間見れる。
例を出すと、刺客の情報をフェンリルから聞き出し、対策を予め用意しておいたり、ティーカップやソーサーのセットは彼女のよく通る行動範囲内に仕舞ってある。そのため城の半分以上は使われていない。城の老朽化の発覚が遅れるのもこのためであるが、シャルロットは行動範囲を広げようとは思っていない。面倒だからである。
城の修繕をしているノーム も迷惑被ってはいるのだが、シャルロットのそのような考え方を理解しているのか、それとも匿われ救われた恩義があるのかとやかく言う様子はない。むしろ喜んで修繕に当たっている。
このように極めて効率主義、実益を求めるシャルロットにとって、特に忌み嫌っているのはいくつかある。
1つは、愛や友情などを第一に信じる輩である。
呪詛が使われる前の刺客によくいたが、そんなに人を殺して心は痛まないのか、お前に血と涙はないのか、とほざく輩である。愛や友情のある環境で育てられたのか、己の価値観を押し付けるような発言にシャルロットは嫌気を覚えていた。まず根本としてシャルロットは吸血鬼である。種族の違う人間を殺す事に躊躇いはない。人間の冒険者がゴブリンを討伐するような感覚だ。ゴブリンも思考と会話は行える。中には人間に協力的なゴブリンもいるのだ。シャルロットから言わせて貰うとしたら、そんな事言うのならお前はゴブリンやコボルド、オーガなどを1匹も殺してないのか、と問いたい。それを偽りなく答えてから言うのであれば真摯に向き合って己の価値観を言うところだが、問うた全員が目を逸らし、下を向いた。そんな偽善者にかける言葉などない。シャルロットその場で瞬殺していた。
2つ目は、予想外の事、である。
シャルロットは面倒事は確かに嫌う。だが全てを嫌うわけではない。面倒事を避けるための努力や頑張りは行う。そのためならば多少の面倒事も惜しまない。そうしてまた面倒事を避け、効率的にこなして行く。それは積み木のように積み重なっていき、最終的にシャルロットに実益をもたらしてくれる。その実益を元に面倒事を避け、との繰り返し。
それは1つのサイクルとなって、シャルロットを中心に円環となっている。
だがそこへイレギュラーが1つでも起こるとなると、そのサイクルは崩れて、多大な影響がシャルロットへ降りかかる事となる。それがシャルロットにとって一番許せない事であった。
今まで積み上げてきたものがたった1つの出来事で崩れ、それまでの努力や頑張りが意味のないものと変わり果ててしまう。たった1つ。これまで積み上げてきたものを冒涜するような小さい事で……。
故にシャルロットは気が進まない。
(ああ、こやつらから身包み全て剥ぎ取ったとしても、妾の利益は少ない……せめて装飾品でも……ん?)
シャルロットは固まった。不思議そうにアリアが首を傾げる。
じり、じり、と盗賊が近づいてくる。アリアでも盗賊の笑い声が聞こえる範囲まで近づいている。
『お嬢、溜まりました。いつでも撃てます』
バイコーンからの念話が届く。見越して準備していたようだ。
それは盗賊の命が完全にバイコーンの手中に入ったことを意味する。バイコーンの特徴として、魔素で作られた暗い紫の雷のようなものを周囲に落とす技を持っている。世では〝終わりの雷〟と呼ばれ、バイコーンと共に不吉な象徴とされている。その威力はさながら天の怒りのようであり、常人ならば骨も残らず確実に死ぬであろう。
そんな凶悪な技が直ぐ先に起きようとしているというのに、気付かない彼等は警戒しながらも、にやけた顔で囲んでいる。アリアは外を見ようとしないが、シャルロットは少し哀れみを抱いた目で彼等を見ていた。
しかし盗賊の顔が鮮明に見えるというのに、シャルロットは直ぐに殲滅の令をださなかった。
「……………………バイコーンよ」
『はい』
「妾は1つ、大きな事を失念していた」
『それは?』
「馬車の荷台には?」
『何も無く、全くの空ですね』
「左様か。当たり前じゃのう」
『ですね』
苦虫を噛み潰したような表情のシャルロット。
「ハァ………利益の無い奴等じゃと思うておったが、まさかこんな風に利益となるとはのう……」
「………?」
アリアはまた逆方向に首を傾げる。
「おいてめぇら!死にたくなかったら身包み全部俺らに寄越せ!」
痺れを切らした盗賊が声を張り上げた。醜いものよ、と呟きながらシャルロットは令を下す。
「バイコーンよ、1人残し、その他は全て滅せよ」
『了解しました』
直後、豪華な馬車のところだけを除き、周囲に多数の〝終わりの雷〟が落ちていった。
1つ見ただけで不吉だというのに、数十発もの〝終わりの雷〟を見た旅人等は、旅の無事を必死に願ったという。その話は世界中に広まり、人々に響めきを起こした後、他の噂に潰されるように消えていった。
***
街道から離れ、森林の中を数十分歩くと見える、大きな崖。
近くには滝が流れ、幾多もの穴が崖には空いている。周りは蔦や葉に覆われ、とてもではないが、人が住めるような場所ではなかった。
しかし細々とした獣道を進んで行く奇怪な二人組が。
一人は小汚い服を着た盗賊のような男。
泣いているのか目は真っ赤に充血し、顎は細かく震えている。さして寒くはないのだが顔は逆に蒼白、今にも倒れそうであった。怪我はしていないようだが、背後にいる一人に恐怖を抱いているように見える。
もう一人は豪華なドレスを着た少女。
乱暴にされた様子はなく、表情は氷のように動かない。歩き方に気品があり、貴族の令嬢と言われたら誰もが信じるだろう。
何も知らぬ者がこの場を見たのならば、少女が野盗に襲われ、連れ去られている、と感じる。しかし、良く観察してみれば不可解な点が幾つかある。
まず一つに、少女が男の後ろを歩く、という点。
男の住処に少女を連れ去る場合、逃げないように目を離さない必要がある。周りは獣道、少女の体力でも万が一に逃げれる可能性はある。その可能性を潰すためにもまず男は、普通は少女を前にして歩く。盗賊や野盗の鉄則だ。
二つ目はその二人の表情。
男が怯え啜り泣き、少女が無表情。他人がこの場を見たとしても、この異質さは感じられる。
少女が仮に手練れだとしても、武器を持っていない点や、筋力的にも男に劣る点がかり、警戒して緊張した面持ちになるはず。その光景のように圧倒的優位な立場になる事はまずない。加えて多感な時期、感情が見られないのもおかしい。
そんな少女が、角を曲がり、数秒後に口を開いた。
「して、この路は歩き難くてかなわぬ。貴様等の根城は一体どこにあるというのじゃ」
小鳥のさえずる音や、木々のざわめきが聞こえる中、やけに少女の声が響く。
「ひゃい!あ、あああと、もう少しでごさいますっ」
男ーラバトは上ずった声で答えた。媚び諂い、少女の顔を窺うが、少女は至って無表情。心の底からの恐怖が男を襲う。
先程、この少女を襲った際、寒気も弥立つバイコーンによって逆に返り討ちにされ、ー一番腕の立つラバトも瞬殺でーこの男だけが生かされた。
ただ水鳥の羽音にさえ驚くほど縮み上がっていたら、少女が今と変わらない無表情で言ったのだ。
『貴様等の根城に案内せよ。さすれば、助けてやらんこともない…』
男はこの言葉に縋り付き、慌てて道案内を始めた。
彼女の気まぐれで殺されやしないかと危惧しながら、歩を進めること一時間。
半日にも感じられた根城への道もあと少しというところまで来た。
あと3回曲がれば……この茂みを通り抜けて、そこの角を……。
「ここ、ここを通り抜けた先がジブンらのアジトでございますっ」
男は振り返り、嬉々として喋る。
「こ……これで本当にオレは助けてくれるんですよね?」
早くこの場から逃げ出したい一心で話しかけるが、当の少女は捕食者の目で前を見つめるだけだった。
男など眼中にないのだろう。目もくれず、無視を続けている。
「あっ、あのっ!」
男は少し張った声を出す。すると少女は、居たのかとばかりにその瞳を男へ向けた。
「ああ……そうじゃな。妾は確かに貴様を助けると言った。約束通り、助けてやろう……」
男に安堵の笑みがこぼれる。
「この世からな」
瞬間、男はその言葉の理解ができずに惚けた。
数巡し、言葉を噛みしめる事でようやく彼女の意図が汲み取れた。しかしそれは男にとって絶望でしかなくて。
「盗賊なんぞになって……この世は不条理だと思わんか?なぜ貴族共は自分を虐げる…なぜ自分は貴族に生まれなかったのか…なぜ自分は盗賊なんぞしているのか、とな」
不覚にもその通りだと思ってしまった。
男は血の気が引き、腰をついて後ずさる。
「不満じゃろう?苦しかろう?その苦悩、妾が終わらせてやろうぞ」
「ひ……あ……」
叫ぼうにも声が出ない。逃げたいのに身体が思うように動かない。
「なぁに、道案内の礼じゃ。苦しむ事なく死なせてやろう。もしかしたら、来世は貴族かもな?」
「ひ、ヒ、ヒアアアァァァァ!!!!」
少女は無造作に男に人差し指を向ける。
すると、綺麗な指の先から、真っ黒な球が現れる。唸る様子もなく、光も反射しないソレは、まさに闇と敬称すべきモノだ。
ソレは少女の指を離れ、ゆっくりと、静かに男へ向かっていく。
男は、ソレが己の命を奪うものだとは理解しながらも動けないでいた。身体が重く、足腰に力が入らない。まるで重力が何倍にもなったようだった。
男は、ただソレが着実に己へと進んで行くのを見る事しか出来ない。
「あ、アア……!くるな……来るなァ!!アアアアァァァァ!!」
「煩いのう。残党の輩が気付いたらどうするのじゃ」
少女が喋ったと同時、ソレは男の胸の中央に着弾した。
「ヒアアアァァァァアアアアアアア!!!!」
ソレと同じような黒いシミが、胸から広がって行く。
剥がそうと手で胸を毟るが、不幸な事に手にもシミが付いてしまった。
手、腕、腰、脚、足、と身体が黒いシミで覆われていく。それと同時に悪寒と共に死が近づいているのがわかる。
「アアアアアアアァァ……………」
ついに口も覆われ、そして鼻、目……。
数十秒後、そこにいたのは、人の形をした黒い物体であった。
そこだけ光を切り抜いたようであり、まさしく闇、と敬称すべきもの。
もう二度と使われる事のない獣道の脇に佇み、永く居続けることとなる。
「中級でこの程度……柔い。柔過ぎる…」
寒々とした茂みで毅然と立つ少女は、紅い眼を光らせ、先を見つめる。
「さて……精々抗ってみせよ、人間」
***
ガサス・キューバブレは、たった今入った報告に酷く困惑した。
「ラバト共が一瞬で殺された?それは事実か?」
「はい……オレもしっかりとは見てないですが、閃光と同時に奴らが倒れたんだ。しかもそいつらは全員首が繋がってなくって……」
その光景を思い出したのか、口に手を当てる小柄な男。顔は既に真っ青になっていて、戦意はほぼ消失していた。
ガサスは思案し、すぐさま答える。
「ん、じゃ相手は確実に魔術師だろうな。初手でアイツらを殺ったようだが、連発は出来ないはずだ。数で押し切れば勝てるさ」
「まじっすか!?」
「マジだ。大抵ああいうのは自分の能力に過信してるんだ。油断したところをサッと殺れば万事解決。簡単だろ?」
「で、でも大丈夫っすかね……」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。なんなら、殺したら褒美を与えてやってもいいんだぞ?」
「ままままじっすか!!オレ、行ってきます!」
「頑張れよー」
手を振って男を送り出し、ガサスは荷物を纏め始めた。戦いのためのではない。逃げるための、だ。
(不意打ちでもラバトが瞬殺じゃムリだな。相手の力量を読み間違えちゃいけねー、十分化け物だろうに)
ガサスが統率する盗賊の中で、二番目に強いのがラバトであった。彼は『魔』の耐性が全く無いかわりに、物理では相当な強さを発揮した。動体視力はどんな速さでも目に捉え、反応速度は随一。相手が魔法を撃ってきても避けて反撃できる程だ。そんな彼にとって、状況判断能力だけが唯一の問題点だった。
しかしそれ以外はほぼ相手を圧倒する力を持っているのだ。それなのに範囲攻撃でもない魔法もどきに屠られるとは、よくよく考えれば戦力差が歴然としてる事に気づくだろう。
誰よりも現在の状況を理解できていたガサスだけは、ただ逃げるために手を動かす。
携帯食料、松明、寝袋、武器、暗器。他にも様々な物をポーチやリュックに入れていく。
たった数分で身支度を終え、ガサスは小柄な男が向かった逆方向へと向かった。
「いやぁ、もしもの時のために逃げ道作ってて良かったぜ。備えあれば憂いなし、ってな」
しばらく歩いて辿り着くのは古汚い扉。積まれた瓦礫の中に佇まい、瓦礫の一部と化している。
ガサスは口笛を吹いて古汚いその扉を蹴る。すると朽ちた木材の扉は直ぐに破壊され、その奥に一本の道が見れるようになった。
「おー、久しぶりに来たなあ。風があるからか少し埃クセェな……さて、照明はちゃんとつくかっと」
脇にあった小石にガサスが手を当てると、朧げな光が手前から奥へと順についていった。
ヒュウッ、と口笛を吹き、ガサスはスキップで進む。微かに後ろから戦闘音が聴こえるが、どれもとても遠くから響くように感じられる。近くには誰も居ないようだ。
等間隔に並ぶ照明を二百個程数えたくらいだろうか。よくこんなに並べたなぁと過去の己に感心していたガサスは、照明とは違う光に目を向けた。
「おっ、出口か」
前方には青々とした木々が生い茂り、洞窟のアジトから抜け出した事を意味している。
周りを見渡し、ガサスはほんの少しだけあった警戒心を完全に解いた。
「脱出成功っ。またイチから組織作るとすっかなぁ」
「ほうほう、潰された事よりも先の事を考えるか。その楽天的な思考には学ぶことがあるの」
「いやぁ、リスクばかり恐れてちゃ仕方ないじゃん?んじゃ、良いところを見つけていこうかなと思ってさ」
「妾はついリスクばかりを考えてしまうからの。今後の為にもその思考、頭に入れておこうか」
「へぇ、お嬢ちゃんの年齢で迷うことなんて恋愛くらいしかねぇじゃん?まさか幼女体型の年増?」
「淑女に年齢なぞ聞くものではない。まぁ実を言うと妾に年齢なぞないのじゃがな」
「………へぇ、これまた大物で」
出口の先にいたのは貴族の娘のような少女。しかし目は冷え切って、人ではなく感じられる。身の丈以上の丸い石に足を組んで座り、とても様になっているなとガサスは思った。
しかしこの状況に、ガサスの勘は激しく警鐘を鳴らしていた。まず、完全に逃げ切ったと確信したところで見つかったという事は、少なくとも単体で襲ってきたわけではないということ。彼女の身なり的には、一個小隊程の兵を集めていても変ではない。
加えてガサスの位置をいつから認知していたか分からないが、彼女に探知能力があるのは間違いない。そして周りに他の仲間がいない事から彼女は単独行動でここまで来たことがわかる。
しかも年・齢・が・な・い・という。これが示すのは彼女が人ではない、あるいは寿命を超越した超人ということだ。彼女の話を間に受けるわけではないが、ここで嘘をついても彼女になんの利もないため、ガサスは高確率で彼女の言うことは事実だと思った。
「いやぁ、たまげたなぁ。高位の魔法士が襲ってきたかと思ったら、人外のお嬢さんときた。一体俺らはあんたらにいつ襲われるようなことをしたんだ?」
ガサスは素直な感想と、多少の情報収集の半々で話しかける。
「……そうじゃな、主な要因は他にあるのじゃが。まぁ貴様等の仲間に強姦されかけたのもあるのぅ」
「そりゃあ俺は指示してないぜ。俺は奴らに見回りしか頼んでなかったからな」
「しかし監督不行届じゃな。部下の失態は上司が責任を取る。万年共通の決まり事であろう?」
「理不尽にもほどがあるぜ。分かったよ、いくら払えば良い?」
「先を見越すのは良い事じゃが、若干予想が外れておるぞ?妾はな、別に金など二の次」
「……へぇ。じゃあ何が欲しい?」
少し考えるような動作をした後、彼女は言った。
「対価など要らぬ。隷属も不要。妾と貴様は敵同士…妾は敵は全て殺すと決めていてな。貴様らは妾の同族を殺した。あとはまぁ、貴様らが妾を利用しようとしたならこっちもしてやろうと思うてな」
「……そうかい。情状酌量の余地は」
誰もが惚れるであろう美貌の彼女は、コロコロと笑った。しかしその目は凍てつく程冷たかった。
「ないのぅ。死にたくなければ精々抗うがよい。もしかしたら逃れられるかもしれぬぞ?」
***
『お嬢、彼らは?』
バイコーンはぎっしりと馬車に積まれた金品を横見ながらシャルロットに問うた。
「彼奴らは妾の同族を殺しておった。あの匂いは…特に人間に肩を持っていた奴のじゃった。吸血鬼の中でも古参での、戦闘能力は低い代わりに文才に恵まれていたのじゃ」
無表情で遠い何処かを見つめるシャルロット。その後ろ姿はどこか悲しく、寂しそうにバイコーンは感じた。
「うにゅー!お腹空いたー」
「おう、待っておれアリア。今簡単なものを作る故な」
空気を読まない、
アリアからの食べ物の要請に、直ぐに返すシャルロット。その顔はいつもの穏やかな微笑が浮かんでいる。
バイコーンは軽く首を振ると、周囲の警戒に集中したのだった。